「日本本土復帰運動が始まったアメリカ世の沖縄と日本の「義」のシンボル高倉健」網走番外地 南国の対決 山川夏子さんの映画レビュー(感想・評価)
日本本土復帰運動が始まったアメリカ世の沖縄と日本の「義」のシンボル高倉健
任侠映画のヒット作シリーズ網走番外地。見つめられたら震えが止まらなくなるだろうなと思うくらい、かっこいい主演の高倉健さん。
今年は沖縄本土復帰50周年を迎えますが、この作品は、日本本土復帰前の、外国としてみなされていた沖縄で撮影された日本の任侠映画で、とても貴重な作品です。
当時の沖縄では、米兵が凶悪な犯罪を犯しても琉球や日本の法律では裁けない(米軍統治下で米兵は裁かれないという法の抜け目があった)から、法の裁きを受けず米国に帰国して「お咎めなし」という不条理に沖縄の人達が怒りの抗議を繰り返して、「日本本土復帰」運動が高まっていた時代です。
シリアスな任侠映画なのに、(大スター高倉健が沖縄にやってきた!)と沖縄の人達が黒山の人だかりを作っている様子が映り込んでしまっていて、収拾つかなかったんだろうなあ。
網走番外地シリーズの高倉健さんは、ヤクザだけど「義」の人で、人情家で、弱い者いじめは絶対しないし、筋が通らないことはしない。人を殺したり、あくどいことをして生きてる悪い奴を、やっつけるために立ち上がって、血しぶきを上げる!!
喧嘩する高倉健さんと田中邦衛さんを見つける子供たちが笑顔でうれしそうにしてるのに、
「喧嘩シーンの野次馬」ということで処理されています。
フィクション映画なので、本来は喧嘩を眺めている野次馬は恐怖におののいていたり、巻き添えにならないように逃げるとか、興奮して「もっとやれやれ!」と目をランランと輝かせるか、迷惑そうな顔をしてるか、そういう演技をしているべきなのですが、「警察もやっつけきれない、本当に悪い奴をやっつける強い人」の「橘真一(高倉健)」が本当に沖縄に現れた!といわんばかりに、沖縄の人達が目を輝かせて高倉健さんたちを見つめています。
この羨望のまなざしは「大スター」の彼に投げかけられたものだったのかもしれませんが、「網走番外地」という作品が(さんざん悪いことをしてのさばってる奴らを義侠心のかたまりのような持ったヤクザさんがぶっ殺す)というお約束のストーリーで、網走番外地では沖縄でも大ヒットしていたし、ということはつまり、沖縄の人達も(さんざん悪いことをしてのさばってる奴らをやっつけたい!)という思いを持っていた、「橘真一(高倉健)」という、いわば「義賊」のような存在に対する憧れを持っていたから、ヒットしたとも言えます。
高倉健さんの任侠映画は戦後、戦場の死闘も経験して兵役から戻ってきた「兄さん」から始まって、「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」で、戦場で散り損ねたこの命、「義」のために散らせてみせましょう!と、戦後の混乱期に跋扈した「極悪人」を命を賭して斬りに行くという、まさに「義」の体現者。
ニコニコと嬉しそうな顔で高倉健さんや田中邦衛さんたちを見つめる沖縄の人達(エキストラ)を見てると、沖縄を統治してるはずの米軍ではなく、日本の「義」のヤクザさんに思いを寄せて、歓迎しているウチナーンチュの姿がそのままフイルムに収められていて、
(これは沖縄を日本本土復帰しないとダメでしょ)と思わせてしまいます。
この作品は1966年発表の作品ですが、1965年に佐藤総理が「沖縄を日本本土復帰させないと日本の戦後は終わらない」と発言して、この後、大規模な「沖縄本土復帰運動」がはじまり、日本でも学生運動の最盛期を迎え、沖縄本土復帰が争点になった「復帰闘争」などが始まります。
この映画の高倉健さんたちの乱闘シーンは、今の首里城公園の守礼門で撮影されて、当時は首里城は沖縄戦で燃えて存在しておらず、小さな「守礼門」くらいしか、撮影して
映えるオキナワらしい建物がありませんでした。
健さんたちが乱闘シーンを真面目に演じてる間、周りを囲っているウチナーンチュの黒山の人だかりがあまりにも嬉しそうにニコニコしてるので、最前列には、どうも役者さんらしき人達が仕込まれていて、恐怖の表情をみせたり、乱闘を見ながら怖そうにして体裁は整えているのですが、見物人が多すぎて、異様な熱気があって、普通の状況ではありません。
こんな中で真面目に喧嘩してる健さんたちも、こんなに沖縄で歓迎されると思ってなかったんじゃないでしょうかね。
網走番外地を映画館で見ながら「いつか義賊が現れるのを待ってたウチナーンチュ」の熱烈歓迎が、この異様なシーンを産んだと思うし、私はこのシーンを見ながら、わけのわからない感情に襲われて、さめざめと泣いてしまいました。
私は日本本土復帰前の沖縄で生まれて、本土復帰闘争で怒りを露わにして琉球政府の立法院(議会棟)に火炎瓶を投げるウチナーンチュなどを見ながら育って、米軍軍政下におかれて虐げられてきたウチナーンチュの「怒り」に触れながら生きてきたせいか(復帰後も解消されてない部分があって、私の住んでいた那覇は米兵の居住エリアがもう無いのでトラブルに遭うこともないのですが、米兵が多く居住している地域では今もトラブルが多い。
よく日本の歴史の教科書に「1858年に米国と日本で締結した日米修好通商条約が不平等条約で、「外国人の犯罪を日本の法律で裁けない(略)といった、日本側に不利な項目もありました」と書いてありますが、まさに、それ!そのまんま! 「沖縄で米軍兵の犯罪は日本の法律で裁けない」んです。だから、今年本土復帰50年を迎えても、いまだに沖縄住民から抗議の声が上がっているんですね。
今年は沖縄本土復帰50周年という大きな節目の年になります。
この映画は1966年の作品。沖縄本土復帰は6年後の1972年に実現します。
当時「義賊」を待ち望んでいたウチナーンチュの姿に触れる映画として、私は日本の近現代史を学ぶためにも、この作品、見ていただきたいです。