秋日和のレビュー・感想・評価
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会話と会話の間と複数人の間合いの取り方が数学的に計算されている
三馬鹿トリオは気にしない!
昭和のコメディである。
映画の始まりに東京タワーが映る。昭和33年(1958年)に東京タワーは建つ訳だが、僕は直後に東京タワーに連れて行って貰った。この映画位の事だと思う。連れて行ってくれたのが、亡父と亡父の母方の祖母つまり僕にとっては、曾祖母であった。そして、彼女は慶応生まれで、江戸時代のババァだった。時間が経つのは早いものだ。
ここに出てくる『大ちゃん』が団塊の世代。あや子さんが多分昭和6年位で我が母。こんな綺麗な母ではなかった。がしかし。この頃からジョニ赤飲んでるなんて。しかも、パパやママなんてやっぱり階層が違うね。
お母さん役の映子さんは大正の女性の役だと思うが、我が小学校の担当教員が大正生まれの女性だった。さて、この女性教諭かとんでもない教諭であった。理由は分からぬが、とんでもない女子教諭であった。
この映画上映の1960年の6月4日に安保闘争が日本を吹き荒れる。2歳半だった僕はある理由があってなんとなくその日を覚えている。亡き母に生前にその話をすると『嘘つけ!』って言われていたが、母も僕も絶対に忘れられない日である。
僕も母と上野のアメ横の甘味処で茹で小豆を食べたのを思い出す。上野へ映画を見に行った帰りだ。見た映画が『楢山節考』
『貴方もこれから、お母さんもこれから』とは言われなかった。
あれから40年も経つんだね。
時代の雰囲気。人生の一コマ・生活の一コマを丁寧に描き出す。
小津監督の映画を初めて観ました。原節子さんの映画も初めて観ました。
外国人が好きそうな映画。外国人が描く一つの理想の日本の形があるなと思いました。
バブル狂騒以前の、『サザエさん』の昭和。
結婚は個人の物でありながら、まだ家と家との結びつきの頃。良家でありながらも、母子家庭だと 不利になることもある(経済的な、社会上の地位的な後ろ盾がないから)、そんな頃に、父の友人たちが、友人の忘れ形見のために、一肌脱ぎますが、話がおかしな方向に。
物語自体は特に目新しいものはない。昭和・TVのゴールデンタイムを飾っていたホームコメディにもありそうな物語。『寺内貫太郎一家』とか『時間ですよ』とか『ありがとう』とか。ちょっとお節介な人々に巻きこまれた人々のドタバタ劇。なんだかんだと言ってハッピーエンドになるのも同じ。どうハッピーエンドになるかは様々だけれど。
でも、なんか違う。TVドラマが、ちょっとこげたゴロゴロのサトイモの煮っ転がしが器にドン!と大盛りに盛られているイメージなのに、この映画は有田焼等の器に美しく盛られた海老しんじょ、彩りも鮮やかなシシトウ付き。TVドラマが胡坐かいて頂くような感じがするのに対して、小津作品は正座していただくような感じ。といってもかなりリラックスしてお茶を片手に鑑賞できるのだけど。
この当時に大卒という大企業の部長や教授クラスのおじ様方という超エリート・上流階級を扱っているから?
だけでなく、ウィキペディアによると、部屋の絵とか本物を使って撮影しているとか。そういうこだわりなどに現れる演出が、その雰囲気の違いを醸し出しているのだろう。
当時、”モダン”の象徴の一つだった団地も、今あえて真似したいセンスの調度類・家電に飾られている。モデルハウスのようなインテリアだけど、モデルハウスにならない、生活感も滲み出る絶妙さ。
言葉使い、抑揚、間、声の高さ・出し方そのすべてが洗練されている。「ごきげんよう」の世界。個人的には、上流階級の奥様方が「あんた」というのは好きではないけど、あの当時はそれが普通だったのだろう。
寿司屋の娘がべらんめえ言葉を話すのでさえ、どこか上品、可愛らしい。丸の内に勤める寿司屋の娘となれば、寿司屋の在所は、銀座か築地か、足の踏み入れるのを躊躇する超高級店を想像してしまうが、魚河岸の威勢の良さを出しているのだろう。
監督は、かなり細かい演技指導をされたとか。だからなのか、時折棒読みに感じるときもあるが、さすがにおじ様中年3人組はそれが鷹揚さにみえる不思議さ。沢村さん他、ご自分のものにして、近くに居そうなご婦人ぶりを見せて下さる方々もいらっしゃる。
本牧亭はすでに閉館していて、ステーキの店がどこかは知らねど、松坂屋裏のとんかつ店は、小津監督が贔屓にしていたという、蓬莱屋(営業中)であろうとほくそ笑んでしまう。(何気に、上野・御徒町はとんかつ激戦地。老舗有名店が多い)
学生時代に、湯島・御徒町・上野を散策していたとなれば、おじさま方の通っていた大学は東大か。
そんな現実に即した土地感覚も嬉しくなってしまう。
そんな時代の美しきかなを愛でる映画かな。
でも、雰囲気だけではない。やはり人間や時代の雰囲気をしっかり描いている映画。
戦争を経て、平凡な毎日が続くのが一番という手ごたえを感じさせてくれる。上流階級と言ったって、手が届きそうなクラス。しかも、高度成長期だから、ゆったりした中にも、右肩上がりの幸せを予感させてくれる。
そんな人物描写が、原さん演じる母に凝縮。
原節子さんは絶世の美女との評判の高い方。
個人的には正直あまり美人には見えなかった。きゃしゃな司さん・岡田さんと並んでしまうから余計に原さんの大柄が際立つ。年齢的に若いお二人よりふくよかになられるのはしょうがない。ふくよかになったから大柄というのではなくて、意外に口大きいな、手も大きいな(白魚のような指とは例えがたい)、全体的に男性のような骨格をされているな、背も高いし。意外に所作が雑だし。中村玉緒さんの若い頃が文楽人形の娘にそっくりなのと比べて、原さんは日本人離れしている。あえていうなら、マレーネ・デートリッヒ系。三輪明宏さんにも似ている。やっぱり美女か、と思いながら観ていました。そんな方が、日本的な家屋に日本の着物着て収まっているから、縮こまって窮屈に見えるのかと。
ああ、でもラストの場面。娘を嫁に出して、一人で寝支度する場面、あのほっと一息つく場面の美しさ。役目を果たせた安堵感と、これから一人で生きていかなければならない覚悟と、一人になってしまった気の抜け方と…。(この時代は、まだ娘は嫁に出すもの。気軽に実家に帰れない)空の巣症候群。それでもの、艶。円熟した色気。情感の細やかさをあれだけで表現してしまうその演技力。やっぱり美しい人だなあと感動しました。う~ん、年と美しさって重ねるものなのね。
今、美魔女とか流行っているけど、それらの美魔女と違い、人生を感じさせるひとコマ、日常のああいうひとコマに凝縮される美を丹念に描き出す。
小津監督ってすごいです。
題名の本当に意味するところ
主人公は司葉子のアヤ子のようで、やっぱり原節子の秋子です
題名は秋日和なんですから、終盤の結婚式の後でおじさん三人組が、いい結婚式だった、お日柄もよかったとか言ってますが、結局は秋子の話です
彼女の日和具合の物語です
原節子40歳、司葉子26歳、岡田茉莉子27歳
アヤ子と百合子は24歳の設定
原節子の演じる秋子は45歳くらいの設定なので、ちょっと気の毒ですが、秋子は超美しい未亡人という設定なので許しましょう
間宮と田口の奥さんの警戒ぶりが可笑しいです
冒頭でおじさん三人組がちょっと違った色気が出てきたと絶賛するように、大変に中年男殺しの雰囲気が自然に原節子から立ち上っています
原節子は、若い時はちょっと毒もある雰囲気を持っていましたが、それが綺麗サッパリ消えています
劇中では、間宮が昼飯を誘うと用事があるからと断っているのに、結局時間のかかる鰻を食べに行ってます
ビールまで飲んでます
上品だけどさばけてもいることを説明していますが、それよりも秋子は実は押しに弱いという説明なのだと思います
彼女が三輪と結婚したのも、どうやら三輪が押しまくったからようで、三人組は薬を買うだけでいじいじしていただけという話を何度も取り上げるのも同じ意図です
お話は彼岸花と晩春を足して2で割って、少々コメディタッチを加えてセンチメンタルを減らした感じです
小津監督作品で一番笑った作品です
おじさん三人組の話は本当にリアルで笑ってしまいます
お寿司屋さんのお客さんの蛤と赤貝の話は猥談です
三人組も同じお店でやってますね
秋子はラストシーンで心配で様子を見にきた百合子が帰ったあと、玄関先の電気を消して真っ暗になった時には、やはり独りの寂しさを噛み締めています
肩でため息をかすかについて空っぽのアヤ子の部屋を見やります
これで良かったんだとの微笑みでエンドマークとなりますが、そのまえにアパートの廊下が映ります
秋子の潜在的な誰かが来て欲しいという思い
そしていつか誰かが来るに違いないとの暗示なのだと思いたいです
百合子でなく本当は平山が来て欲しかったのかも知れません
もう麓から山にのぼるなんて懲り懲り
それは確かに秋子の本心なのでしょうが
平山とは、もしかしたら、もしかするかもということなのだと思いたいです
何年もかかるのでしょうが…
平山が自分の痒いところが云々とかだけでなく、彼女の寂しさを受け止めなければいけないということを、気づけたなら彼はきっと自ら行動する筈です
それならばきっと秋子の日和もきっといい山登り向きの天気になると思います
ハイキング日和のはずです
平山がハイキングに本気で誘えば、秋子が一緒に行く日がいつかくると思うのです
これが本当のテーマなのだと思います
だから秋日和なのです
次は間宮のお嬢さんの縁談だ!と盛り上がって、慌ててお前たちには頼まないと間宮が返します
でも彼女、実はアヤ子と結婚した後藤を好きだったのだと思います
きっと一波乱ありそうです
百合子が怒鳴り込みに来たとき、平山様がお見えですと間宮の役員室に入ってきた若い女性、岩下志麻だと思います
2年後に秋刀魚の味でヒロイン役に抜擢されます
後に極道の妻が当たり役になるとは想像も出来ない清楚なお嬢様姿でした
女性の強さ、美しさ
母や娘、女友達、それぞれの役割から女性の強さ、美しさが感じられた。
母が娘を思う気持ち、娘が母を想う気持ち、亡き夫を想う気持ち、好きな人ができたという気持ちは、他人が想う以上にデリケートで深いものである。そこに親しい人であってもずけずけと入ってこられるのは混乱することだろう。
でも、最後はそれぞれが自分の意思で選択をする。ここに筋の通った強さが感じられる。
また、友達のために凛として男性を問い詰める友人の姿もかっこよかった。
おじさんたちは、決して悪い人ではない。現実を生きている。
よく、女性のほうが現実的で男性はロマンチストだと例えられるが、この作品では女性のほうが精神的世界に生きているようだった。清く美しい演技がそう見えただけかもしれないが…。
晩春と同様に、幸せや結婚について考えさせられる作品だった。
☆☆☆☆★ 小津安二郎が仕掛ける。自身が手掛けた名作『晩春』を、新...
☆☆☆☆★
小津安二郎が仕掛ける。自身が手掛けた名作『晩春』を、新たにコメディーとして再リメイク。
(但し、正式にはリメイク作品としては認定されてはいない)
映画の冒頭は法事の場面。そこで悪友三人組が悪知恵を働かしたからさあ大変。
かくして始まった、今は亡き友人の忘れ形見を《結婚させちゃおう会》の始まり!始まり〜!
尤もこの三人組。若くて綺麗な司葉子をダシにしては。何処か本来の目的は、若い頃に惚れて!惚れて!惚れぬいていた原節子に会いたいが為…って言ってしまえば元も子もない(u_u)
そこで佐分利信が、司葉子の相手として選んだ男は佐田啓二。
………ん?…ちょっと待てよ…と、ならない訳が無い。
だって、そりゃそ〜でしょ〜!
何しろ、この『秋日和』の2年前に。小津安二郎自身が撮った作品が『彼岸花』なのだから( ´Д`)オイオイ!
『彼岸花』にて佐分利信が、娘の結婚相手が佐田啓二と知り大激怒。周囲を巻き込んでは、しっちゃかめっちゃかにした事実は消えないぞ(`_´)ゞ…って、あくまでも映画の設定ではありますけどね(-_-)
とにかく映画の前半は、『彼岸花』との対象部分が多い。冒頭での法事も、『彼岸花』では結婚式。三人組が高橋とよに対して言う言葉も、『彼岸花』では「そうでなくてはいけないよ」が、「旦那さん長生きしますよ!」だし(笑)原節子と司葉子が住む、団地らしき家を始めとしたセット・会社等の設定(椅子やトイレの位置だったり、壁の色や廊下等、諸々と)のあれこれ。
ところが…。
「娘を行かすには、先ず母親から!」
悪巧み三人組がそう考えた映画の中盤辺り。その瞬間から、映画はハッキリと『彼岸花』から『晩春』へとシフトし始める。
此処から先は、『晩春』での原節子は司葉子となり。笠智衆の役割を、原節子が演じて行く。
モノクロ作品だった『晩春』と違い。(総天然色の)カラー作品として、コメディー色を前面に押し出す為に。『彼岸花』で大成功した三人組を巧みに使った演出は、まさに晩年の小津安二郎の真骨頂。「痒いところが出て来た」問答や。映画の後半に大活躍をする事になる岡田茉莉子。
悪人中年三人組から見たら、「近頃の若い奴等…」の1人にすぎないお嬢ちゃんの岡田茉莉子。
そんな彼女に、この三人組が吊るし上げになるくだりの爽快感等は、本当に溜飲が下がる思い。
大騒動の挙句。映画はやっと大団円を迎えるのだが。母娘が伊香保温泉へと旅行するその際に、再び笠智衆が登場。
この登場場面の設定及び。母と娘が布団に正座し、語り合う。その場面の1場面1カット。その構図。その空気感の1つ1つ。
その全てに(『晩春』との比較で)映画フアンならばグッと来るに違いない。
滞りなく丸く収まり。悪巧み三人組がしみじみと語る。
「案外、簡単な事なのに。社会も周りがあれこれと複雑にさせているんだな!」(正確では無いが、こんなニュアンス)
全くもう!お前たちは、どのツラ下げてのたくってるんだよ〜o(`ω´ )o
そんな事を言ってると、岡田茉莉子から言われちゃうぞ! (。-∀-)イーだ!
因みに、『晩春』で印象的だったリンゴの皮を剥く場面。
どうやら中村伸郎がリンゴはしっかりと頂いた様ですな〜(´-`)
初見 並木座
2019年6月3日 シネマブルースタジオ
タイトルなし
素晴らしい作品ですが、嫉妬してしまいました。
アヤちゃんがマジで羨ましいぃ😢最初は、後藤さんとの、縁談乗り気じゃなかったくせに 最終的には後藤さんと結婚すると言う!!マジどんだけ💢
私は、新郎新婦の 写真撮影シーンはハッキリ言って要らないと思います。
「晩春」の母娘バージョン
「晩春」で、寡夫の父親を置いて結婚することに抵抗を示す娘を演じた原節子さんが、ここでは娘の結婚を心配する寡婦を演じています。
今回は、恋愛と結婚は延長線上なのか、恋愛は結婚のきっかけとして必須なのか、全く無関係でも成り立つ別物なのか、結果的に恋愛してもしなくても同じなのか、そんな所がテーマでしょうか。現在より未婚率は低い時代で、当たり前のように周りが世話を焼く結婚に、監督は当時から疑問を持たれていたのでしょうね。
エロ?親父3人の掛け合いには、今では批判の的となりうる侮蔑的な台詞がありますが、原さん演じる美しい未亡人を巡るやり取りが面白いです。
その未亡人の名前は三輪秋子…「晩春」で、父親の再婚相手として浮上する女性の名も三輪秋子。役者さんもセットも、役名までも使い回しますねぇ。「お早よう」の子供達も少し大きくなって登場。
娘が親の再婚に反発し、親友になだめられて、でも怒って出された食事を口にしないなど、ほとんど流れが一緒でした。
三宅邦子さんに比べて、原節子さんが、斜視も顕著になり、メイクやヘアスタイルのせいか、随分変わったなと思いました。司葉子さんがすごい綺麗でした。岡田茉莉子さん演じる友人、かなりお節介だけど、あんなに強くて心の広い良い人、なかなかいないかも。
やはり素晴らしい!
小津安二郎監督は素晴らしい。
東京物語、彼岸花。もぉ感無量です。
女性の慎ましさも上手に描かれている。
母親の言う、麓から山に登るなんて懲り懲りという台詞も凄く良かった。
娘が母の再婚を聞いて怒って出て行ってしまうけれど娘が友人に諭される。
あんたは勝手すぎないかと。
自分には好きな人が居て、どうして母にだけ厳しくするのかと。そんなの勝手だと。
そのあと、自宅に帰ったら母親が娘に
好きな人が出来たと言ってくれるのを待ってた。とても良い人らしいって聞いて1人で喜んでたのに、と言う。
母と娘の愛情が眩しくて私も目頭が熱くなりました。
司葉子の美しさと言ったらオードリーヘップバーンみたい。
母から電話幸せになってよという、ひと言と童謡をBGMに親子の旅行は終わる。
結婚式が済み、男三羽ガラスも笑えました。
昔の人は、ほんと世話好きだったんですね。相手の気持ちも考えず、自分...
昔の人は、ほんと世話好きだったんですね。相手の気持ちも考えず、自分たちの価値観で結婚という重大事をすすめていく。すごすぎ。でも、最後におじさんたちが言ってたように、それを楽しんでたんだろうね。今ではもうないこと。
現代は鬱陶しくなくて良かったと思うどこかで、この映画の時代のどこか暖かな人間関係が羨ましかったりもする。
小津作品の時代の問題点を見抜く目には本当に驚かされる。将来が見えてるかのようだ。
司葉子の清楚さだけは今に残って欲しかった(笑)
単調な展開で今ひとつの感。セリフも退屈なのは世代が違うからだろうか...
単調な展開で今ひとつの感。セリフも退屈なのは世代が違うからだろうか。作品への期待値が高すぎたのかもしれない。
原節子より司葉子の美しさに惹かれた。岡田茉莉子も印象的。
岡田茉利子の各個撃破!
原節子さんの訃報を聞いて、「晩春」を銀座で観た日の夜、自宅所蔵のBlu-rayを鑑賞。
何度目かの鑑賞ゆえに、セリフや筋はとくに追わず、何が映っているのかだけをとらえようと目で追った。
驚いたことに、今更ではあるが、司葉子と岡田茉利子たちが会社の同僚たちと山を歩くシーン(複数形)がすごい。彼らが横一列に並んで歩くシーンは全部、彼らの歩幅、歩調、手の動きが一致しているのだ。某国の軍事パレード並みに登場人物たちの動きが統制されている。しかし、それでいて、軍事パレードのような不自然さは微塵もなく(それは、何度も観てる自分がいままで気付かないくらい)、画面には若者たちのハイキングに似つかわしい明るいリズムが生まれているのだ。
そういえば、佐分利信の事務室の前の廊下を映す時も、画面奥を横切る人物は、必ず手前(から奥へ消えるのも含めて)の人物の動きに合わせて、現れては消える。
何でもない状況にこそ細心の演出。このことによって、観客はいつまでも小津の作り出した画面から目が離せなくなる。
そして、いわゆる肩ごしのショットは、小津作品にはないのではないのではなかろうか、ということである。この作品に関して言えば、やはりその考えは当たった。登場人物が対面するシーンは、肩ではなく、背中越しのミディアムクロース。司葉子と佐多啓二がラーメンをすするのも、二人が同じく壁に向かうカウンターである。
佐分利信、中村伸郎などくせもの揃いの「おじ様」たちの楽しい自虐的な下ネタによって、物語は明るく、都会的な雰囲気に包まれているのだが、ここには、人間のどうしても避けて通れない、親捨て、親殺しについての寓話ともうけとれる、緊張をはらんだテーマが流れている。
帰宅するとスーツから和服に着替える、佐分利信の「脱ぎっぷり」が毎度楽しみなのだが、この作品の脱ぎっぷりよりも、「彼岸花」のほうが恰好良い。なぜだろう、脱いだスーツを拾い上げて片づける奥方が、戦後的な強い女・沢村貞子よりも、やはり、もっと父権に従順な感じのする田中絹代のほうが、絵として様になるのだろうか。それとも、「彼岸花」では、山本富士子との駆け引きがあったのに、この作品では岡田に一方的に押しまくられる佐分利には、もはや父権主義の香りはそこまで求められないということなのか。
みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな
映画「秋日和」(小津安二郎監督)から。
登場人物は、ほとんど同じで台詞の言い回しも同じ。
役柄を意識しないと、作品を間違ってしまいそうなのに、
なんだろう、鑑賞後のスッキリ感が残るのは・・。(笑)
「セクハラ」「パワハラ」に値する台詞や行動が溢れ、
今、こんな作品を作ったら、大変なことになっていたな、と
メモしながらも、よき時代・・で済ませてはいけない、
知恵みたいなものが感じられる作品となっている。
夫は帰宅後、服を所かまわず脱ぎっぱなしにする。
それを、奥さんがハンガーにかけていくシーン。
もちろん、今ではこんな家庭は少ないだろうが、
夫と妻、着替えながら、夫婦でけっこう会話している。
今日は会社で・・とか、向かいの何とかさんが・・
こんな他愛ない会話だけど、よくしゃべっているのだ。
現代の夫婦に足りないのは「会話」だとも言われるが、
これなんかも、ヒントじゃないかな・・とメモをした。
気になる一言は、作品のラストの会話。
「世の中なんて、みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな。
案外、簡単なものなのにさ」
「シンプル・イズ・ベスト」なのに、私たちが複雑にしている。
なるほどなぁ、今でも通じることだなぁ。
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