赤線地帯のレビュー・感想・評価
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赤線地帯の倫理と資本主義の精神
二度目の鑑賞。原作の「洲崎の女」の洲崎は川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」の舞台となった赤線。
やはり悪い女を演じる若尾文子がいい。金、金、金。金こそが次なる金を生み出すことを骨身にしみて理解している遊郭の女を、肩の力、目の力を抜いて、淡々と演じて見せる。
これぞ「赤線地帯の倫理と資本主義の精神」である。
これは幾つかの家族のあり方についての物語である。ここに出てくる女郎たちは、それぞれの事情があってその家族から離れて、遊郭「夢の里」で働いている。親の犠牲になってここへ来た者、子の犠牲になってここへ来た者。職を失った夫に代わってここで働く者。父親への反発から出奔してここへたどり着いた者。結婚生活の夢破れてここへ戻ってくる者。
家族という近代の作り上げた枠組みが破たんした結果、女たちが「夢の里」へやってくるのである。彼女たちは生きていくための金を稼ぐためだけにここにいるのではない。あるものは失われた誇りと経済的自立の回復を企図し、あるものはここ以外の居場所を見つけられずにいる。そして、この夢が醒めたら行くはずの世界が失われたときに行く先は精神病院なのだ。
「俺たちは政治の行き届かないところで社会事業をやっている。」
遊郭の旦那がうそぶく言葉の欺瞞を糾弾することはたやすい。しかし、もともと政治の及ばない領域のはずの家族や性の問題に、法律の光が当たるようになってきたことに、旦那も女郎たちも当惑していることは確かである。
そして件の「売春防止法」によって、政治権力、警察権力の空白地帯を埋めていく結果となるのだ。
今や、家庭と学校とを問わず教育の問題にも権力が介入する事態が日々報道される。幼児虐待、度を越したいじめなどの問題は社会として解決の迫られる問題なのかもしれない。
しかし、そうした問題の解決策として、政治権力が人間関係のあらゆる部分に介入する。赤い線の中も黒い組織もすべて漂白されていくのが現代なのだ。溝口健二は、このように社会の隅々までに政治的な正しさが要求される時代の戸口をこの作品で素描している。
吉原が舞台で売春防止法前の赤線地帯が見られる
映像から色が匂い立つ傑作
素晴らしい映画だった。
モノクロフィルムの映像でありながら、どこからも色がわかる。どんな服を着て、どんな色でこのネオンはどんな色をしているというのが見て取れる。素晴らしい作品だった。色使いはやがてこの映画の中にいる人々の息遣いにもつながってくる。
赤線地帯の名前の如く、これはそういったばしょに生きる人々の映画である。
様々な事情でそこにいる人達。ひとりひとりの事情は違えどもひとつの場所に集った人達の様々な感情を白黒の中に表現している。
溝口は、これの前に数本カラーの映画を撮っている。
けれどもこの作品でまた白黒に帰ってきたのには必ずや理由があったはずだ。
話は変わるようだが、最近ふと宮崎駿は溝口のようだと思った。
溝口の映画をカラーにするときっとこんな感じになるのだろう。
ふとそんな風に思う。
吉原で“働く”女たちのバイタリティー
“吉原”=花魁のイメージしかなかった私は、江戸時代の華やかな遊郭とは別の、庶民の生活に根付いた(?)戦後の貸座敷の風景が衝撃的だった。しかも本作制作当時は、正に売春防止法が施行されようとする矢先で、先行き不安な娼妓の日々の生活をリアルに描いている。ここで春を売る女達は様々な目的を持っている。店を持つために金を貯める者、結婚を夢見る者、息子と暮らすことを夢見る者、道楽な父親へ反発する者、病気の夫と乳飲み子を抱えながらいつかこんな生活から抜け出そうと思っている者。名女優達の競演が華やかかつダイナミックだ(特に京マチ子と若尾文子が美しくもしたたかで良い。生活に疲れた風の小暮実千代も好演)。大切な息子から「汚らわしい」と拒絶されて精神に異常を来す者や、病気の夫が自殺未遂を起こしたりと哀しい出来事も多々あるが、この女たちは皆逞しい。何より興味深いのは、売春が公認だったこの時代の娼妓たちの価値観だ。とかく現代では売春は女性にとって最低の行為とみなされがちだが、本作の女たちは皆プライドを持っている。特に印象的なエピソードは2つ。まずは、普通の結婚を夢見ているより江。仲間の助けもあって店を逃げ出し、無事に田舎で所帯を持ったのだが、この人は絶対戻ってくるなと思って観ていたら案の定、再び店に舞い戻ってくる。私は、元売春婦として軽蔑され苛められて泣く泣く戻って来ると思っていた。しかし彼女は、結婚生活のあまりの貧しさに耐えかねて、自分の意志でこの生活に戻ってきたのだ。これは一見自堕落な生活を忘れらないからと思われがちだが、そうではなく、自分でお金を稼げる“職業”についていた女性の自立心がそうさせたのだと思う。結婚前、彼女は夫に頼らずともそれなりの生活ができる身分だった。しかし専業主婦になったとたん、貧乏暮らしを余儀なくされる。嫁ぎ先が元々貧乏なのもあるが、一家を養えない不甲斐ない亭主に愛想をつかすのは当たり前と言えば当たり前なのだ。もう1つは親の借金のかたで身売りされてこの店に来たしず子。無邪気に天丼をほうばっていたまだ幼いと言っても良いほどの少女。派手な着物と化粧で初めて店に立つ彼女。彼女はきっと怖くなって逃げ出すだろうと考えた私の予想はここでも裏切られた。彼女はおずおずと手を差し出して男を呼び込むのだ。こんな幼い少女でも、この町で“働く”という意味を理解し、それを受け入れようとしている。このラストシーンにものすごい衝撃を受けた。映画公開2年後に売春禁止法が可決された。彼女たちはどうなったのだろう?小暮演じるハナエのセリフが蘇る。「死んでなるものか、生きてこの先の世の中を見届けてやるんだ」と。本作は決して売春婦たちの不幸を描くものではない。女性を描き続けてきた溝口監督の遺作にふさわしい、女性礼賛映画なのだ。
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