「吉原で“働く”女たちのバイタリティー」赤線地帯 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
吉原で“働く”女たちのバイタリティー
“吉原”=花魁のイメージしかなかった私は、江戸時代の華やかな遊郭とは別の、庶民の生活に根付いた(?)戦後の貸座敷の風景が衝撃的だった。しかも本作制作当時は、正に売春防止法が施行されようとする矢先で、先行き不安な娼妓の日々の生活をリアルに描いている。ここで春を売る女達は様々な目的を持っている。店を持つために金を貯める者、結婚を夢見る者、息子と暮らすことを夢見る者、道楽な父親へ反発する者、病気の夫と乳飲み子を抱えながらいつかこんな生活から抜け出そうと思っている者。名女優達の競演が華やかかつダイナミックだ(特に京マチ子と若尾文子が美しくもしたたかで良い。生活に疲れた風の小暮実千代も好演)。大切な息子から「汚らわしい」と拒絶されて精神に異常を来す者や、病気の夫が自殺未遂を起こしたりと哀しい出来事も多々あるが、この女たちは皆逞しい。何より興味深いのは、売春が公認だったこの時代の娼妓たちの価値観だ。とかく現代では売春は女性にとって最低の行為とみなされがちだが、本作の女たちは皆プライドを持っている。特に印象的なエピソードは2つ。まずは、普通の結婚を夢見ているより江。仲間の助けもあって店を逃げ出し、無事に田舎で所帯を持ったのだが、この人は絶対戻ってくるなと思って観ていたら案の定、再び店に舞い戻ってくる。私は、元売春婦として軽蔑され苛められて泣く泣く戻って来ると思っていた。しかし彼女は、結婚生活のあまりの貧しさに耐えかねて、自分の意志でこの生活に戻ってきたのだ。これは一見自堕落な生活を忘れらないからと思われがちだが、そうではなく、自分でお金を稼げる“職業”についていた女性の自立心がそうさせたのだと思う。結婚前、彼女は夫に頼らずともそれなりの生活ができる身分だった。しかし専業主婦になったとたん、貧乏暮らしを余儀なくされる。嫁ぎ先が元々貧乏なのもあるが、一家を養えない不甲斐ない亭主に愛想をつかすのは当たり前と言えば当たり前なのだ。もう1つは親の借金のかたで身売りされてこの店に来たしず子。無邪気に天丼をほうばっていたまだ幼いと言っても良いほどの少女。派手な着物と化粧で初めて店に立つ彼女。彼女はきっと怖くなって逃げ出すだろうと考えた私の予想はここでも裏切られた。彼女はおずおずと手を差し出して男を呼び込むのだ。こんな幼い少女でも、この町で“働く”という意味を理解し、それを受け入れようとしている。このラストシーンにものすごい衝撃を受けた。映画公開2年後に売春禁止法が可決された。彼女たちはどうなったのだろう?小暮演じるハナエのセリフが蘇る。「死んでなるものか、生きてこの先の世の中を見届けてやるんだ」と。本作は決して売春婦たちの不幸を描くものではない。女性を描き続けてきた溝口監督の遺作にふさわしい、女性礼賛映画なのだ。