赤い鳥逃げた?のレビュー・感想・評価
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すでに桃井かおりは「桃井かおり」になっています それが本作の最大の収穫です
1973年2月公開、 東宝でありながら、日活の藤田敏八を監督に招聘して製作された作品 そのため東宝の撮影所組合の反発を受け撮影所の使用もできず外部スタッフを集めて撮られたといいます 東宝が何故そこまでして本作を製作したのでしょうか? 1971年8月公開の「八月の濡れた砂」で示した藤田敏八監督の優れた才能を東宝は欲したのだと思います 日活はこの年の秋、経営不振の挽回策としてロマンポルノ路線を打ち出しました まともな映画は日活ではもう撮れないだろう 人材の流出が始まるに違いない ならば才能ある人材を東宝が他社に先んじて確保できるようにしようということだったと思います 現実にはそういう目論見通りにはならず、ご存知の通り藤田敏八監督はその後も日活で傑作を何本も撮ることになります 当時の東宝は生え抜きだけでなく、広く才能のある監督を外部からも求める気概をみせていました 藤田敏八監督だけではありません 大林宣彦監督も然りなのです 黒澤明監督、市川崑監督の次の時代を担う才能を自社だけでなく広く業界全体を見渡して求めていたと言うことです でもそんなことは全部建前だと思います さて本作の内容は、一口に言えば70年安保闘争に敗れ、目標を見失って自暴自棄になり刹那的に生きる若者達を描いているものです 宏は60年安保闘争を、卓郎とマコは70年安保闘争を象徴しているのです 本作公開のちょうど1年前 1972年2月、あさま山荘事件が起きています これを知らないで本作を観たら何も見えて来ないと思います 本作のクライマックスで猟銃を使うのはあきらかにこの事件を意識しているものです あさま山荘を車に代えただけのものです 赤い鳥とは、道玄坂の歩行者天国で飛んだおもちゃの鳥のことではありません 日本の共産革命のことです そんなものは誰も欲しがらなかったのです 宏をボコボコにしたのは機動隊をなぞらえているようで、実は内ゲバを表現していると自分には見えました このように紐解くと、藤田敏八監督を東宝が使ったのも、東宝の撮影所組合の反発も、単に彼に才能があるからとか、他社の監督を使うなというものではなく、本当は両者ともに左翼闘争の残り火だったのだと思えます 本作を半世紀を過ぎた21世紀の私達が共感できる作品であるとは、とても言えません まして日本映画オールタイムベストの一角を占めるほどの価値と意義を持つ作品であるかというと、そこまでの作品か?と大きく疑問に思います 桃井かおりは1971年5月の市川崑監督の「愛ふたたび」が映画デビュー ATG の「あらかじめ失われた恋人たちよ」は同年11月の公開 本作が3作品目 彼女が広く注目され記憶されるようになったのは本作が最初であったと思います 本作では、すでに桃井かおりは「桃井かおり」になっているのです それだけが本作の最大の収穫なのだと思います
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