劇場公開日 1964年6月28日

「なんだかわからないほどの強烈な映画体験だった」赤い殺意(1964) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0なんだかわからないほどの強烈な映画体験だった

2019年8月31日
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鑑賞方法:DVD/BD

なんだろう?
なんだかわからないが、確かにとんでもない傑作を今観たのだということは分かるのだ

貞子もまたひとつのファムファタルだ
彼女は安らぎのある風貌だが、決して美人ではない、どちらかといえば不美人だ
スタイルが良い訳でもない
良くいえば肉感的、悪くいえば小太りだ
若くもない、小学校の子供がいるのだ
頭も少し弛い
それでもなお男の人生を狂わせ破滅させるファムファタルなのだ

平岡は彼女のファムファタルたる魔性の力に自滅し、彼女の亭主は威張りながら結局全て彼女のコントロール下に置かれてしまうのだ

春川ますみの演技は強烈な忘れられない印象と説得力をもっている

鉄道は蒸気機関車の大きさと重量と迫力をもって 、彼女の運命をどんなに理不尽であっても抗いようもなく行く着く先に運んでいくのだ
その暗喩というのは明白だろう

そして序盤とラストシーンの少女時代の貞子の太ももに這う蚕の意味はおそらくこうだ
芋虫の様な蚕への嫌悪を感じながら、同時に内股を這う性的快感に痺れているのだ
蚕を取り除くことはできず彼女は快感にへたりこんでしまっているのだ
性への嫌悪と欲求が渾然一体となってしまっている、それが彼女だ
その原体験の記憶なのだ
そして終盤になって夜中に庭から男に呼び掛けられて窓を自らあけた事を突然思い出すのだ
無意識に彼女は自身に内在する欲求に男に引き寄せられているのだ

貞子の小声のモノローグの多用
もちろん彼女の内面の声だ
では、訛りがある聞き取れないほど小さいひそひそ声はなんだろう?
それは彼女の意識下の囁きなのだろう
かって微かに聞こえてきた自分の出自を攻撃される屈辱の記憶
そのような精神の動きの表現を巧み映画の映像表現にしているのだ

触れれば火傷する電気アイロンの底面は鏡の様に向けられた方向を写す
平岡はそれを彼女に向けて脅迫する
そして中盤、ストリップ小屋の屋根の上で平岡は自分語りを彼女に強制しようとする
それは鏡のようなアイロンと同じだ
その晩、彼女は夢から覚めてアイロンの底面を見つめるのだ

何故に題名が赤い殺意なのか?
赤いと色彩を訴えておきながら、何故に白黒で撮影しているのか
この時代ならカラーで撮れたはずだ
むしろなぜ積極的に白黒を選択したのか?

題名の殺意は分かる
では赤いとは何か?
彼女の抑圧された人生のなかにには、赤い血潮があり、肉体が押し込められているという意味なのかも知れない
だから貞子役に春川ますみが起用されたのだ
彼女の豊満な肉を映像にしたかったのだ

その赤さを白黒で撮り敢えて見せないことで、抑圧された彼女の本性を表現する
それが監督の狙いだったのかも知れない

そしてまた貞子は元は東京の女性なのだ
なのにいまはすっかり仙台弁しか話さない
訛りを自らに強制しているうちに、意識下で独白までを訛らせている程までになっているのだ
これもまた抑圧された彼女の象徴だろう

しかし平岡は直ぐに彼女を本当は東京の人でしょと本性を見抜くのだ

仙台の旧家、嫁と姑、不気味な小さな老婆達、因習、訛り、雪、汽車
そんな中で彼女はいまと変わらず生きていくのだ
成り行きで結局彼女の望む様に物事は全て決着する
彼女は最初から終わりまで何も変わりはしていないのだ
これからも変わりはなく生きていくのだ

そういった全てが当時の日本の女性の置かれた状況を表現しているのだ
いや日本的に見えて世界的に普遍なことなのかも知れない
本作の製作意図はそこにあるのだろう

そしてそれは21世紀の今も少しは未だに引きずっているのだ

しかしこんなことは全部理屈だ
このような理屈ではない
なんだかわからないほどの強烈な映画体験だったのだ
それほどの強烈な映像表現だったのだ

このような前衛的ともいえる映像表現を娯楽作品として撮って見せた今村昌平監督の才能には感服するばかりだ

あき240