「どこまでもハツラツとして朗らかなシンデレラ❤」青空娘 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
どこまでもハツラツとして朗らかなシンデレラ❤
若尾文子映画祭にて。
本作は増村保造の監督2作目にして、以降、若尾文子とのコンビで数々の傑作を生み出していく出発点の作品。
主人公の有子(ユウコ)は高校を卒業したばかりの女の子だが、演じる若尾文子はこの映画の封切年に24歳になっている。
顔立ちに幼さは残っているものの、色っぽさは隠しようもない。
セーラー服の胸元のチラリズムなどは明らかに意図的で、増村保造がどこに若尾文子の魅力を見出していたかが垣間見える。
有子は地方の祖母の下で育ったのだが、高校卒業に伴って東京の父親に引き取られることになっていた。
地方から上京した田舎者の体は東京駅に降り立った場面でこそ表現されているが、たちまち若尾文子の都会的なセンスが滲み出して全く田舎臭さなどない。
加えて、若尾文子の所作がいちいち優雅で、言葉遣いも美しい。
若尾文子に限らずこの時代の主役級の女優は総じて所作が綺麗で、モデルがウォーキングのトレーニングを受けるように、女優も所作を教え込まれて銀幕に登場していたのだろう。もちろん演出の振付もあっただろう。
また、尊敬語や謙譲後が綺麗に使われた脚本は、恐らく70年代まではあったと思うが、それが若尾文子の特徴のある声音と江戸弁のイントネーションで発せられるのが魅力的だ。
現在はリアリズムの観点からか、ああいう美しい日本語が映画で聴けることはなくなった…。
さて、物語はというと、なかなかにひどい話だ。
主人公の有子は、死の淵にあった祖母から告げられた出生の秘密をすんなり受け入れる。そして、上京後の義母や異母兄姉からの仕打ちにも 明るく従うのだ。
父親(信欣三)が職場の女性(三宅邦子)との不倫によって有子をもうけたその言い訳が、妻(=有子の義母)(沢村貞子)とは愛のない政略結婚だったというのは笑わせる。そのお陰で企業の社長としてセレブな生活を送っているうえに、不倫相手だった有子の実母のことは行方も知らないというのだ。
だがしかし、その父親を有子が慕っているのが、またよく分からない。
時代だと言い切るのは早計で、病におちた父を有子が諭すことでちゃんと倫理観を示している。それによって義母や異母兄姉が大団円を迎える単純さこそが時代なのだろう。
1966年に安田道代(大楠道代)で再映画化された作品のタイトルは『私は負けない』(監督:井上昭)だが、若尾文子の有子は決して負けん気で踏ん張っているのではなく、根っからの朗らかさで逆境を素直に受け入れているのだった。
高校の美術教師・二見(菅原謙二)が、教え子の有子を恋愛対象に見ていたことに全く疑問符を打たないのもどうかと思うが、幸い二見と有子の恋は成就しない。
ラストシーンでは、まさか有子の実母が二見に興味をもっているのではないだろうかと、少し訝ってしまう。
増村保造の演出は、早口のセリフでテキパキと物語を進行させてリズミカルだ。説明的な場面もほとんどなく清々しい。
テクニカルな見どころは前半にあるピンポンゲームの場面だ。編集には中静達治という人がクレジットされているが、カットごとのアングルとそれを繋ぎ合わせたモンタージュ技術により、今見てもスピーディーで迫力がある。
ここで異母姉(穂高のり子)のボーイフレンド広岡(川崎敬三)が有子を見初めるのは必然だ。
広岡の母(東山千栄子)が、有子と異母姉を人違いするコメディーなどは平和で痛快だった。