「前提は大切」D-WARS ディー・ウォーズ TRINITY:The Righthanded DeVilさんの映画レビュー(感想・評価)
前提は大切
2007年の韓国国内興行成績1位ながら、米国公開で酷評されたモンスターパニック映画。
先日、TV放送でポン・ジュノ監督の『グエムル 漢江の怪物』(2006)観ながらスマホで作品について調べてたら、本作品が関連作品としてピックアップされていた。
それまで作品の存在を知らなかったが、あまりの酷評ぶりに返って見たくなるのが人情というもの。その後たまたま古本屋で中古DVDを見つけたので迷わず購入(税込250円。一緒に買った『シン・レッド・ライン』と合わせてワンコインなら内容ひどくたって損した感じはしない)。
さっそく見たけど、中途半端で違う意味でガッカリ。
確かにドラマ部分は貧弱だが、この手のジャンルにはありがちなケース。
一方、CGのアクション・パートはクオリティは高くないが、LAでの市街戦を中心にそれなりの見応え。
本作品を隠れた名作とか、再評価すべきなどというつもりはないが、「エド・ウッドに大金とCG使わせれば作れる映画」とか、「エメリッヒ版『GODZILLA』が名作に見える」といった悪口が、なぜ出てくるのだろうか。
アメリカでの辛辣すぎる評価は、作品の前提にあるのではと思う。
先に自分なりに気付いた欠点を指摘すると、主演俳優の力量不足とそれを補えない演出の甘さに、凡庸なカメラワークと雑な編集、と多岐にわたる。
本作の上映時間は1時間30分。長けりゃいいってものでもないが、この辺りに特撮ありきでドラマ部分への興味の薄さが見てとれる。そこがエド・ウッドを引き合いに出される要因かも知れないし、興行成績がよかった本国でも作品評価が高くなかった理由なのだろう。
一方で、韓国での過去の事件で命を絶った恋人が、五百年の時を経て巡り逢い、そのために邪悪な勢力も蘇るというストーリーはそんなに悪くは感じない。
問題は、物語の前提となる生まれ変わり(いわゆる輪廻思想)がキリスト教圏でどう捉えられるかが製作側の念頭にない点。
生命が何度も生死を繰り返す輪廻思想は東洋特有の概念で、すべての命は神に創造されると考えるキリスト教の教義とは相容れないし、信仰心が強いほどアレルギー反応を示す要素。そのことは差別に否定的なヒューマンドラマ『最高の人生の見つけ方』(2007)でさえ、作中で輪廻に対して辛辣な揶揄が投げ掛けられていることからも窺い知れる。
最近では『僕のワンダフルライフ』(2017)など生まれ変わりを扱うハリウッド作品もあるとはいえ、それらではリセットのためのシステムに過ぎず、過去の因縁という概念ではない。
その宗教的バックボーンの違いが「ドラゴン出てればプロットなんて必要ない」という一部メディアの投げやりな批評につながっているのでは。もう少し踏み込んで言うなら、有色人種の韓国人がアメリカの白人に生まれ変わるという設定への潜在的拒否感の表れなのかも。
ロスを舞台にアメリカ人を主人公にしたことからも、本作が米国を含む海外への配給を視野に製作されたことは明白。
もし、五百年前の舞台がヨーロッパのどこかで、生まれ変わりではなく、その時の子孫が運命的に出会う設定にしていたら、アメリカでの評価も変わっていたはず。
ここまで擁護しておいてなんだが、高い金払って劇場で鑑賞するほどの映画ではないと思う。