サッド ヴァケイション : インタビュー
青山真治が語る「サッド ヴァケイション」
――「Helpless」、そして本作の主人公である白石健次の健次という名前は、小説家・中上健次からとったのですか?
「白石健次っていう名前は、青を白に、真を健に、といった具合にアレンジした青山真治の変形です。でも自分がモデルというわけではなく、名前をつけるのに頭ひねるのも面倒なんで、手っ取り早く作り変えただけです。“赤”と“黒”は知人にいますけど、“白”は今周りにいないし、高校のときに白石ってやつがいたなあっと思って。実際、北九州では白石っていう名前は割とポピュラーかもしれない」
――本作では、今まで以上に中上健次の世界に近づいたように思いますが、そこはやはり意識的だったのでしょうか?
「これは意識的にというよりも、あくまでも『枯木灘』を裏返した世界を描こうという大前提があったんです。そして、僕なりの『枯木灘』批判でもあります。『Helpless』という映画は、中上健次の秋幸3部作(『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』)だと、最後の『地の果て至上の時』にあたる作品で、父親が自死してしまうという状況からのスタートだったんですね。その後、この状況から次の展開として、中上は『奇蹟』を書きましたが、僕は『枯木灘』を反転させた『サッド ヴァケイション』に逆行したわけです。『枯木灘』は父親との葛藤を描いていましたが、この『サッド ヴァケイション』では母親との葛藤を描いています。結局、中上は母性を描くことはしなかったんですね。『父権があり、その裏側に母権がはりついている』ということは講演では何度か話しているんですが、小説としてこれを大テーマとして書くことはついに無かった。それに対する批判として、裏返しにした『枯木灘』の可能性を考えるということが、この『サッド ヴァケイション』のそもそもの原点でした」
――これからもサーガが続いていきそうなんですけれども、サーガの続編は、やはり「岬」のような作品になるのでしょうか?
「逆行したからといって『岬』に行くかどうかは分からないですね。というのも『Helpless』を作った直後は『サッド ヴァケイション』を作るつもりもなかったし、『EUREKA』を作るつもりもなかった。『EUREKA』を作った後にも『サッド ヴァケイション』みたいな映画を作るつもりはなかったんです。ただ、こういう形で同じキャラクターが再登場する形式の可能性は監督になる以前から模索していた記憶はあります。それでも、現段階で、この次どこへ行くのかっていうことはハッキリと言えないですね」
――デビュー作から数えて9作目の共同作業となる青山作品には欠かせない存在のたむらまさきキャメラマンですが、デビュー作から田村さんと組んだ理由とその魅力は?
「最初に“たむらまさき”という名前を意識したのは、小川プロのドキュメンタリーの撮影監督としてですが、それよりも決定的だったのは同時期の『修羅雪姫』(74/藤田敏八監督)でした。極めてあいまいなフレーミングで、それまでの日本の劇映画ではあまり見たことがなかった。タランティーノが『修羅雪姫』にこだわる部分も田村さんのキャメラワークによるところが大きい気がします。彼の魅力については、もはや他人ではないのでうまく言えませんが(笑)、想定内の動きをしない、ということでしょうか。我々の想像の範囲内、こうすればこうなるだろう……という常識の外に田村さんのキャメラワークの本領があると思います。それは集中力なのかも知れないし、空間把握力なのかもしれないし、そうしたものが、とにかく普通とは異なっているんです。それがどう異なるのかは言い難いもので、この言い難さが田村さんの魅力のような気もします。現場では、いわばハンター(狩人)です。同じ場所にいても、違うものを見て、違うところに立っていて的確に獲物を捕える。だから、現場で田村さんに僕から何か特別に要求するということはありません。田村さんが僕の予想を越えた何かを掴むまで、ただひたすら待つんです」
――今後、映画監督として作りたい作品は?
「活劇、ハードボイルドみたいなものをいずれ撮りたいと思ってます。アクション映画をやれる土壌が今の日本映画にはあまりないので、難しいとは思うんですが、なんとか成功させたいと思ってます。自分で言うのもあれですが、僕の書いた小説『雨月物語』を脚色したシナリオも凄い活劇ですよ(笑)。今の時代劇は、侍の話ばかりでしょう? 僕は『侍なんてくたばっちまえ』って思ってるんで、武士階級全否定の映画を作りたいですね」
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