「蛍になって帰って来た特攻兵の、彼らの無念を忘れてはならない」俺は、君のためにこそ死ににいく Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
蛍になって帰って来た特攻兵の、彼らの無念を忘れてはならない
私の心配にこの映画は大きく反して、本作は素晴らしい、反戦映画であった。
石原慎太郎氏が製作総指揮を言う事で、公開前から多くの物議を呼んでいた作品であり、しかも2007年度のワースト2位の作品として、この作品はその名を飾っている。そんな多くの思い込みが有り、中々今日までこれを観る勇気が出ないでいた。そしてまた、個人的に私は、平和な世界に住みたいと願って暮す、どちらかと言うと戦争反対派の人間であるからだ。もしもこの映画が、軍国主義礼賛映画であるなら、きっと観ていて不快感で居たたまれなくなる自分を心配して映画を観るのを延々と先延ばしにしてきたと言うわけである。
しかし、この作品は、良い意味で私の予想や、心配を裏切ってくれたのだ。
1944年当時の日本には、特攻隊の兵士として、軍部の立案したその愚かな作戦のために自分の命そのものを差し出さなければならなかった5千人にものぼる若い兵士たちがいたのだ。その彼らの無念の思いを代弁する立派な、反戦映画であり、この作品は日本の戦争と言う負の歴史記録作品でもある。
知覧の空軍基地で、特別訓練を受けた多くの若い空軍パイロット達に、志願と言う名目の命令を下して、アメリカ軍機に体当たりする特攻隊兵士、その生きては絶対に戻れない作戦を遂行させられた、この理不尽な作戦の犠牲となった若者たちの悲劇の物語を、トメさんと言うこの町で食堂を営み、彼ら兵士から、お母さんと慕われていた彼女の目を通してこの物語は描かれる、戦時中の若い世代の人々の青春群像劇であり、家族の物語とも言える作品だ。
S.・ダルドリー監督ケイト・ウィンスレット主演の「愛を読むひと」でも描かれているように、戦争当時の出来事は決して、終戦後の今の平和な時代の物差しである倫理観などだけで、当時の出来事の不条理や、矛盾や、その理不尽さを批判してはいけないと言うことが、この映画を観ている私の胸に思い起こされるのだった。
食糧難の終戦真近い頃に、トメさんも遠く親元を離れて日本中から出征して来たこの縁有る若者たちを、身体を張って我が子のごとくに見守り続けてこられた彼女を初めとする、知覧に在住する女学校生徒たちの苦労や、無念の思いが切々と伝わり涙無しでは観る事が出来なかった。
現在の日本は、厳しい戦時下と言う国難を乗り越え生き抜き、高度経済成長の時代に仕事に励み、日本の発展に寄与した多くの一般の名も無い国民一人一人のその努力と苦労の涙の上に、現在の日本の社会があり、戦争の無い今が存在しているこの事実を、今改めて感謝したい。この映画のトメさんではないけれど、「ありがとう!」と言いたい。
人は皆誰もが、平和な社会で暮らせる事を願う。しかし生れ出る時代を人は選べない。
この時代家族の無事を願い、或いは生れ育った故郷を愛し、それらを護るために、若い命を捧げて死ぬと言う生き方を選んだ人たちの事を私達も決して忘れてはならないと思う。戦死も辛いが、終戦後特攻兵士でありながら、生き残ってしまった中西隊長も辛い。また家族を失った総ての戦争体験者のその遺族の悲しみも、いくら今は平和な社会であると言っても、決してこの過去を忘れてはなるまい。それは日本が、今後また戦争と言う悲劇を繰り返さないためにこそ、必要不可欠なことであると思う。この作品はそう言う意味に於いても制作された価値は充分に有ると私は考えるのだ。