出口のない海のレビュー・感想・評価
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あらためて平和の大切さを実感
評論子は、その分野に詳しいわけではありませんが、ネットの解説によれば、工業製品の品質管理の分野に「デミング賞」というものがあって、それは、「戦後の日本に統計的品質管理を普及し、日本製品の品質を世界高水準に押し上げることの大きな礎となったウイリアム・デミング博士の業績を記念して創設されたTQM(総合的品質管理)に関する世界最高ランクの賞」とのことです。
(もちろん、デミング博士はアメリカ人)
戦後の日本に教えることができたくらいですから、太平洋戦争中のアメリカ工業界は、すでに(兵器の)品質管理手法を確立していたということになるのだろうと思います。それだけ信頼性の高い(品質的に優良な)兵器が対日本の最前線に供給されていたということになります。
一方で日本の側といえば、戦局挽回の切り札ともいうべき兵器(回天)を潜水艦に搭載し、せっかく敵前にまでたどり着いたとしても、肝心のその回天が故障で発進不能というのでは、何をかいわんやでしょう。
潜水艦の艦長としても、回天の出撃不能を聞いても別段驚かないところを見ると、そんなことは日常茶飯事だったことが窺われます。けっきょく、回天の兵器としての信頼性は、「その程度のもの」と言わざるを得ないのだと思います。
そして、そんな「やくざな」兵器に、文字通り命をかけて搭乗させられる搭乗員こそ、無念の一言では、その心情を言い尽くせないことでしょう。
そんな状況で太平洋戦争を戦った日本の「無茶ぶり」もさることながら、改めて戦争のない世の中の大切さに思いが至りました。評論子には。
敗戦があって今の日本と私たちがある
明大野球部の名ピッチャー並木が、仲間に感化されて海軍に志願し、人間魚雷回天に乗るなる話。
並木は家族、友人、恋人に野球と青春真っ只中の生活から、急に特攻へ。
当時大学に通える人は限られていたはずで、そのレベルの人でも戦争(日本の負ける可能性や、戦争の意義)に何の疑問を持たずに海軍志願したり、特攻を請け負ってしまう無知さに驚きを隠せない。当時はそれだけ日本という国が幼かったのだと思う。
敗戦後日本は成長し、また情報社会の今、私たちは、「特攻以外の戦闘方法を考案する余裕もない状態での戦争参戦なんてあり得ない」と誰でもわかる。命より大切なものをなんてない。「敵を見たことがあるか?」という父のセリフにあるように、誰も自分の目で戦争意義について裏取りをしないなんてありえない。
選択肢の少ない当時、無駄死にだとわかっても、人間魚雷の存在を知ってもらう為に死ぬと理由づける並木少尉。本番1回目出番なしで引き返し、2回目故障で突撃できず引き返す。死ぬ覚悟を何回も繰り返すなんて、どんな精神状態だ!と切なくなった。
しかしながら、演習で浮上できず回天の中に閉じ込められて死ぬという最期も、かなり間抜けで別の意味でも切ない。実際、役目を果たせた回天はほんのひと握りだった模様。
悲しい兵器&お粗末な結末
世間体を気にする主人公なのか。
召集状が来る前に自ら海軍に志願する青年。
挙句の果てに人間魚雷「回天」に志願する始末。
戦地で幸運にも生き延びておきながら、演習で回天に乗船して岩場に挟まれ身動きが取れず絶命となる悲しい結末。
本当に面白くない作品。
俺は「回天」を伝えるために、死のうと思う
映画「出口のない海」(佐々部清監督)から。
「神風特攻隊」には、いろいろな遺品などが残っており、
どうしても、ドラマチックに描かれてしまうが、
潜水艦に装備されていた「回天」という「人間魚雷」のほうが、
その孤独感は、強かったと思う。
魚雷の中に、人間が乗り込み、相手のレーダーを潜り抜け、
敵の戦艦に体当たりする、まさに生きて帰れる見込みはゼロ。
それもそのはず、「回天」には脱出装置はなかったから。
どうしてこんな兵器が考えられたのか、私には信じ難いが、
回天の乗組員である主人公が語るシーン。
「俺は『回天』を伝えるために、死のうと思う。
人間魚雷という兵器があったことを。
人が兵器の一部になったことを、
この悲しい事実を語り残してもらうために死ぬ。
それでいい。まぁ、俺は俺なりの理由づけだけどな」
また作品中、何度か使われる台詞に、
「おまえは、敵の姿を見たことがあるか?」というのがある。
戦争とは、いかにも敵と戦っているようだが、
実は、その姿を見たこともなく、アメリカ兵とは、
どんな体格で、どんな言葉を話すかも知らずに、死んでいく。
だからこそ「何のために死ぬのか?」を自分なりに、
理由づけして戦う必要があったことは、とても辛かった。
そういう意味では、こんなバカげた兵器があったことを、
次世代に伝えるために死ぬ、という理由はありなのかもしれない。
だって、しっかり私には、伝わったのだから。
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