Dear Pyongyang ディア・ピョンヤンのレビュー・感想・評価
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未知なる祖国 在日一世のアボジと二世の娘
朝鮮民主主義人民共和国、そこは一党独裁の恐ろしい国。しかし監督のヤン・ヨンヒにとっては愛しい兄たちが暮らす国でもあった。
本作では北朝鮮への帰国事業で離れ離れになって暮らす兄たちへの思い。そして差別と貧困の中で必死に生きてきた在日一世の両親のもとで民族教育を受けながらも日本で自由に生きてきた二世である監督の両親への思いがつづられている。
アボジの口癖は娘の結婚相手は同胞以外はだめ、国籍も変えてはいけないだった。朝鮮総連幹部として金日成に忠誠を誓い、北の言うがまま地上の楽園に兄たちを帰国させたそんなアボジに対して娘はわだかまりを感じていた。
金日成の銅像の前で嬉しそうに写真撮影を楽しむアボジたち、古希の祝いのスピーチでも金主席に忠誠を誓うと述べるそんな父に対して娘は違和感を抱き続ける。
もちろん在日として自身も差別を受けてきたヤン監督だが、在日一世であったアボジたちが受けてきた差別はその比ではない。それは充分に理解している。自分が一世だったなら同じ様に金主席を崇めていたかもしれない。
アボジたちとは違い、ある程度の自由を謳歌できた二世だからこそアボジたちの姿に違和感を感じていたが、そう感じることができたのも在日の生活向上のために活動してきたアボジたちの苦労あってのことだった。だからこそ兄たちを帰国させた父を憎み切れない自分がいた。
北朝鮮帰国事業で北は地上の楽園として大々的に宣伝され、9万3千人もの人々がその見知らぬ祖国へ渡った。そのうちの6千8百人ほどが日本人配偶者だった。
当時は誰もがそれを人道的事業として疑わなかった。日本で差別と貧困に苦しむ在日同胞の生活向上のため、また朝鮮戦争後の祖国復興に貢献できるとしてそれを信じて総連は帰国者を募った。そして日本政府も厄介払いができるとして事業を後押しした。総連の大々的な勧誘活動、訪朝した日本の記者団による北への好意的な報道も帰国を後押しする。
大戦後の当時はソ連を筆頭に東欧では社会主義国の台頭が見られ、差別と貧困に苦しむ人々が平等をうたう社会主義に魅了されたのも無理はなかった。また南の韓国は李承晩の独裁政権下でもあったことで人々は未知の祖国に一縷の希望を託した。
しかし、帰国者からの手紙で徐々に北の実像が明らかになる。地上の楽園などとは名ばかりで帰国者たちの生活はたちまち困窮した。また多くがスパイ容疑で収容所送りにされた。
それら事実を知ったのも後の祭り、帰国希望者は減少するがそれでも北は帰国者を送り続けるよう指示を出す。総連は労働党の意向には逆らえない。そのうち総連幹部の家族にも白羽の矢が立った。逆らえば粛清は免れない。アボジは泣く泣く次男と三男を帰国させるが、唯一手元に置いておきたかった長男さえも金日成の生誕祭の貢物として送るよう命令される。先に送った息子たちがどういう目に会うかわかっていたため拒否することはできなかった。
その時からアボジたちは仕送りを続けた。総連幹部の親族である息子たちはピョンヤンに暮らせるエリート層だ。しかしそんな彼らでさえアボジたちからの仕送りが生命線だった。
古希の祝いの席でアボジは胸につけきれないほどの勲章をつける。祖国に貢献したとして贈られた無数の勲章。それはブリキにメッキを施しただけの安っぽいおもちゃのような勲章である。それを身に着け親族を集めての盛大なパーティーを行った。
金主席の肖像画を背にした自分の姿を撮影した写真をアボジは息子たちや親戚に焼き回しして配った。
それはこの北朝鮮で暮らす彼らの後ろ盾となるものだった。金主席に忠誠を誓い祖国に貢献した総連幹部である自分と親族の間柄ということは彼らにとってお守りになると信じてのアボジの行動だった。
信じた祖国は拉致などを行うとんでもない国だった。しかしそんな国に対していまさら反旗を翻すわけにもいかない。家族を人質に取られてるも同じだからだ。アボジたちが娘の前で金主席に忠誠を誓う姿がどこまで真意によるものかは明らかではない。娘であるヤン監督もそこまでは聞けなかった。
ただ、拉致の報道に対してポロっとカメラの前で本音を漏らしてしまう。あれはやってはいけないことだったと。
アボジやオモニたちが当時、見知らぬ祖国北朝鮮に一縷の希望を抱き信じたことは無理のないことだった。韓国も日本もアメリカも信じられない彼らにとってのよりどころはそこにしかなかった。
いつかは祖国が統一され家族がいつでも会えるようになればという思いもむなしくアボジは息を引き取る。
いまだに南北統一への道は険しい。南北の経済格差は東西ドイツのそれとは比べようもないくらい大きく、また北は核保有国でもある。連邦制にする方法もあるが、なかなか話は進まない。また大国同士の思惑も見え隠れする。中国にとっては自国と地続きの国が自由主義の国になれば都合が悪い、また逆にアメリカにとっても朝鮮戦争が休戦中である方がそれを口実に日本に朝鮮国連軍基地を置いておけるメリットもある。日本にとっては北への戦後賠償の問題や難民の流入といった懸念もある。周辺国も今のままでいてくれた方が何かと都合がいいのだ。
元はといえばソ連の南下を嫌って当時の米国が38度線での分断統治を提案したのが民族分断を生んだ悲劇の始まりだった。ドイツと違い分断の責任は朝鮮の人々にはなかった。
アメリカの歴史家で朝鮮半島の歴史の専門家であるブルースカミングスは朝鮮半島が分断されたのは祖国アメリカのせいだと断言している。大国の都合で分断された朝鮮半島、統一を成し遂げるのにも大国側にそれなりの責任があるのではないだろうか。
以前からずっと気になっていた作品。今回「スープとイデオロギー」を見た機会にヤン監督の三部作を一気見した。
このアボジとオモニはちょうど私の両親と同じ世代で同じ大阪の地元に近い生野区ということもありとても親近感がわいた。今となってはお二人とも鬼籍に入られており寂しい限りではある。
リアルに感じた
日本の報道では北朝鮮はどこか遠く変な国に映りますが、本作では北朝鮮国民が身近に、そしてよりリアルに感じられました。彼らは決して特別な人間ではないですし、日本民族も大戦後に分断されていたら、朝鮮民族と全く同じ運命を辿ったと思います。だから、他人事とは思えませんでした。
私は当たり前の様に日本国籍を持ち親戚も国内にいます。アイデンティティについて考えたこともないくらいです。だけど、私がアボジやオモニの様な立場だったら祖国を求める様になるかもしれません。だから、アボジやオモニの気持ちを同じ人間として理解できました。
アボジもオモニも口には出しませんが、帰国事業で息子を北朝鮮に送り出したことを後悔してますよね。あの時代は韓国は軍事政権で、北朝鮮は楽園と言われていたので、送り出す気持ちも分かるなあ。結局は祖国に裏切られた訳ですが、自らのアイデンティティを否定するようでそれを認めたくはないですよね。だから、政治というのは
【一途に”かの国”を崇め続けた両親と、その姿に違和感を覚える娘。だが。娘は末期の父の想いを理解し”もう一度、家族のいる平壌へ行こう。”と最後に言った。】
ー ”かの国”を崇め続け、”かの国”に息子3人を”帰国事業”で送り出した父。娘であるヤン・ヨンヒ監督は、両親と仲が良いがその点だけには、違和感を感じている。
3人の痩せた兄の姿を見て、大量の仕送りを30年続けた母の姿。
朝鮮総連の幹部を55年務めた父の姿。
何故に、ヤン・ヨンヒ監督の両親は、”かの国”をそこまで崇めるのだろうか。ー
◆感想
・今作後に公開された「スープとイデオロギー」を観て、上記の疑問の一部は氷解した。
・それでも、このドキュメンタリー映画を観ると、ヤン・ヨンヒ監督の両親は、”かの国”をそこまで崇めるのかという思いは残る。
”かの国”で会った兄たちの家族の家での楽しそうな遣り取りとは別に、夜になると電力供給量が無いのだろうと思われる、蝋燭生活をする姿。
■この映画を観ていると、母は途中で“かの国”の事情に気付いていた事は間違いない。でなければ、大量の仕送りを30年続けられる訳がない。
だが、父は娘には”早く結婚しろ”とは言うが、”日本人とアメリカ人は駄目だ”と笑いながら言う。
だが、末期を迎えようとするの父の考えは変わって来る。
娘に対しても”国籍を変えても良い”と言い、娘の優しい言葉に泣き崩れる父の姿。
<このドキュメンタリー映画を観ると、人間の思想統制の恐ろしさと共に、それでも思想が違っても親子の絆は崩れないのだな、と言う事を学ばせて頂いた貴重な作品だと思う。
”かの国”に住む兄たちの、妹に対する”頑張れよ。”という言葉と、妹が兄たちに掛ける”頑張って。”という言葉は明らかに意味が違うよな、と思った作品でもある。>
我が身の幸せを噛みしめる
在日朝鮮人である梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督によるドキュメンタリーの秀作。
私小説と言える。
2005年『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』
2011年『愛しきソナ』
2022年『スープとイデオロギー』
私は何も予備知識なく、『スープとイデオロギー』を最初に見た。
そして今回、本作を見る機会があったのだが、『スープとイデオロギー』のおかげですんなりと入っていけた。
大阪に住み、
朝鮮総連の幹部である父、それを全力で支える母、
三人の兄たちは日本で生まれたがいわゆる「帰還事業」で平壌に移り住んだ。
末っ子のヤン・ヨンヒ監督だけが両親と暮らしている。
どんな報道より具体的に北朝鮮が分かる。
かの有名な?万景峰(まんぎょんぼん)号の中が見られるなんて!
当たり前だが、北朝鮮国民やそのシンパも同じ人間だということがよく分かる。
ヤン・ヨンヒ監督は、両親が全力で北朝鮮を支持する理由を理解できないままであり(『スープとイデオロギー』でタネ明かしされることになるが)、北朝鮮という国に納得いかないものを抱えている。
『スープとイデオロギー』では、すでに父は故人となっており、遺影だけを見たのだが、
本作では元気な姿を見せている。母もまだ若い。
朝鮮総連の幹部、
その言葉だけで構えてしまうが、父は明るく優しい雰囲気が画面からうかがえる。
もちろん、カメラの前だけが全てではないことは理解しているが、「それにしても」である。
日本という国に、
日本人として生まれ育った自分は十分すぎるほどハッピーであることを思い知らされもした。
父と子
北朝鮮について北朝鮮籍の在日2世が語るという貴重な当事者のドキュメンタリー。見られる光景は思想の違いはありつつも愛情あふれる親子の日常。思想や政治は何のためにあるのかと考えさせられます。
メインとなる監督の父と母の生き様は良かったのかどうかは分かりませんが、もし自分がその状況に置かれたらと考えると、一本筋の通った人生として共感できます。
家族愛の物語
表題から北朝鮮が主題の映画かと思いきや、家族愛が主なテーマでした。ヤン監督の父と母の仲睦まじい様子が良く分かり、ヤン監督と父の会話の掛け合いもとてもユニークで面白いです。娘の結婚相手を心配しているのですが、アメリカ人と日本人は駄目だと言います。父は金日成主席に忠誠を誓っていることを何回も口走ります。息子3人とその子である孫が平壌に居るため、母は早く日本と国交正常化をして、自由に行き来できることを望んでいます。国の制度のあり方も大切ですが、一番大切なのは家族愛だということを教えてくれた素晴らしい映画でした。
この映画は北朝鮮でも撮影しているため、北朝鮮の人々の暮らしぶりや新潟と北朝鮮を結ぶ万景峰号の船内の様子も分かります。残念なのは、この映画が公開されたことでヤン監督が北朝鮮に入国出来なくなっていることです。一刻も早く北朝鮮にも行けるようになることを願っています。また、北朝鮮の方が自由に自分らしく生きていける環境となることを願っています。
なお、アボジ(父)、オモニ(母)という単語は知っておいた方がよいと思います。
この映画を製作したヤンヨンヒ監督と関係者のみなさまに深く感謝いたします。ありがとうございました。
『スープとイデオロギー』を観て、これも見ていたことを思い出した。
冒頭では朝鮮と日本の歴史を延々と説明するテロップ。驚いたのは在日の99%以上は南出身であるということ。59年から20数年間にわたって行われた北朝鮮への帰国事業は「地上の楽園」と巧に宣伝されたおかげで、貧苦にあえぐ9万人の在日朝鮮人が相次いで渡っていったのだ。両親は済州島出身にもかかわらず、この映画の監督・語り手の3人の兄もこうやって北朝鮮に渡った。
朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)の幹部まで務めた父親ヤンはあくまでも北朝鮮マンセー。最近の北の様子を見ていれば考えも変わるだろうに、身内が北朝鮮人になってしまったことや、頑固者である性格であることから意固地になっているようにも思える。しかも本来の祖国ではないのに!である。
初めて北朝鮮へ行ったときの様子や、20年後にピョンヤンを再度訪れて父の古希を祝うことになった2001年。ようやく朝鮮籍から韓国籍へと変えることを認めてくれた。頑固な一面と娘に対する優しさ。家族の姿としては微笑ましいものがあった。
『パッチギ2』を観たばかりなので、在日の家族が日本語、朝鮮語のチャンポンで会話するリアリティを見せられ、彼らの置かれた立場や主義・主張が痛いほどよくわかる。共産主義の理想とはかけ離れてしまった現在の北。様々な差別や対立もかなり収まりつつある大阪生野区だが、温かい家族がしっかりと根付いているのだ。
万景峰号の中まで観られる
在日本朝鮮人の話。
その中でも、日本に住みながら金日成に忠誠を誓い続けた、
朝鮮総連の元幹部の話。
そしてこの映画を撮ったのは、
その元幹部の教育にもかかわらず
主体思想に染まらなかったというその娘。
そういう特殊な状況下にいる人たちが、
物事をどう考えているかが描かれていて興味深い。
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