Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン
劇場公開日:2006年8月26日
劇場公開日:2006年8月26日
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2012年1月19日 冒頭では朝鮮と日本の歴史を延々と説明するテロップ。驚いたのは在日の99%以上は南出身であるということ。59年から20数年間にわたって行われた北朝鮮への帰国事業は「地上の楽園」と巧に宣伝されたおかげで、貧苦にあえぐ9万人の在日朝鮮人が相次いで渡っていったのだ。両親は済州島出身にもかかわらず、この映画の監督・語り手の3人の兄もこうやって北朝鮮に渡った。
朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)の幹部まで務めた父親ヤンはあくまでも北朝鮮マンセー。最近の北の様子を見ていれば考えも変わるだろうに、身内が北朝鮮人になってしまったことや、頑固者である性格であることから意固地になっているようにも思える。しかも本来の祖国ではないのに!である。
初めて北朝鮮へ行ったときの様子や、20年後にピョンヤンを再度訪れて父の古希を祝うことになった2001年。ようやく朝鮮籍から韓国籍へと変えることを認めてくれた。頑固な一面と娘に対する優しさ。家族の姿としては微笑ましいものがあった。
『パッチギ2』を観たばかりなので、在日の家族が日本語、朝鮮語のチャンポンで会話するリアリティを見せられ、彼らの置かれた立場や主義・主張が痛いほどよくわかる。共産主義の理想とはかけ離れてしまった現在の北。様々な差別や対立もかなり収まりつつある大阪生野区だが、温かい家族がしっかりと根付いているのだ。
在日本朝鮮人の話。
その中でも、日本に住みながら金日成に忠誠を誓い続けた、
朝鮮総連の元幹部の話。
そしてこの映画を撮ったのは、
その元幹部の教育にもかかわらず
主体思想に染まらなかったというその娘。
そういう特殊な状況下にいる人たちが、
物事をどう考えているかが描かれていて興味深い。