楽日のレビュー・感想・評価
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言葉足らずのドラマの切れ端が残す余韻が心地良い、微笑ましくも切ない作品
第35回東京国際映画祭での観賞。
台北の古い映画館、福和大戯院。閉館前の最後の上映作品は60年代の武俠片の傑作『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』。スクリーンを静かに見つめる老人と子供、客席や廊下をウロウロする怪しげな男女、映写係の男、そして受付兼雑用係の女。セリフらしきものはほとんどなく映画の断片の合間に放り込まれるどことなくギクシャクしたドラマの切れ端が観客の想像を静かに刺激します。いわゆるハッテンバにおけるトラブルの数々に笑わされ、微かに漂う恋の香りが雨に溶けていくかのような終幕が美しいです。短いセリフで匂わされる観客席にいた二人の正体にもビックリです。
誰もいない観客席を5分間流し続けることでも話題になったそうですが、3分以上あった男子トイレのションシーンも忘れてはならない。
映画館ではキン・フー監督の武侠映画『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』が流れている。観客席には涙を流しながら観ている老人がいる。これは1967年の映画の出演者2人、往年の映画スター、シー・チュンとミャオ・ティエンだ。これはさすがにわかりません。台湾映画史上でもかなり有名な作品らしいのですが、マギー・チャン主演のリメイク版『ドラゴン・イン』しか観たことがなかったです。
とにかくこの『楽日』は長回しばかり。そのカットの中心は『西瓜』でも共演したチェン・シャンチーとリー・カンション。足の悪い女性店員と映写技師の2人。チケット売り場で饅頭を食べようとするシーンなんてのは無駄じゃないかと思うほど長いのですが、斜陽産業と化した映画業界と寂れていく館内とともに哀愁を感じさせるには丁度よい。彼女が廊下を歩くシーンにしても長年勤めてきた映画館への惜別の念が伝わってくる・・・ような気がしました。
日本人俳優三田村恭伸も好演していて、ガラガラの観客席の中、1人ポツンと鑑賞していたのに、彼の後ろや隣に次々に人が増える。千秋楽の映画館。足を投げ出すマナーの悪い観客にも愛着を感じ、すりよってくるホモっぽい男であっても温かさがある。皆寂しいはずなのに、映画館という場所ではその想いを語り合うこともできず、一言もしゃべらずに並んで黙々と鑑賞する。トイレに入っても倉庫に入っても、彼のそばには人が寄ってきて、「今日が最後じゃなければ、映画友達になれたかもしれないのに」とでも言いたそうな雰囲気がありました。直情的な言葉がなくとも思いは伝わる。「サヨナラ」という言葉だけがこだまして余韻を残すのです。
『ニューシネマ・パラダイス』のように、映画館の楽しかった思い出があるわけじゃない。ガランとしたラストの観客席が何を伝えたかったのかもわからない。しかし、この長回しのおかげで座席数が600以上ある巨大な映画館であることもわかりました。あぁ、それにしても、エンドクレジットには山田村恭伸と表記されていたことも侘しい・・・
【2006年11月映画館にて】
スクリーンに映るのは"生"の世界か、それとも"死"の世界なのか
※初日最終回上映前に出演者の三田村恭伸さんより挨拶があり、「本当はお祭りの様な作品だったのが削ぎ落としていったらこうなりました。これが果たして映画なのか?とも言われています。」との事。
老舗の映画館が今日閉館を迎える。
全編でほぼワンシーンワンカットが続き独特の世界に支配され、セリフは僅かに2シーン11ヶだけである。
登場人物の殆どはまるで亡霊の怨念に魂を売り渡した様に館内を徘徊しており、一体誰が“生”で誰が“死”なのか解ら無い。その為に自分の存在をアピールしたくても出来ず、触れ合えたくてもままならない。
そしてみんなが煙草を吸い、煙をくゆらせては遠くを見つめる。それはあたかもファーストシーンに映るかっての映画館が華やかな頃を愛おしむ様であり、本当の観客である老人2人が画面上では対峙している。
以前撮られた『HOLE』の様に外は大雨が降り続き雨漏りが激しいが、女従業員が小便器の水を止めると同時にこの華やかな小屋も終焉を迎える。
上映終了後の2人の会話の「誰も○画を観ませんなぁ〜」の一言が監督から発せられる映○に対する愛情を物語っていると言えるでしょう。
傑作だと思います。
※以下続編にあたると言われる『迷子』の方もお読み下さい。
(2006年8月26日ユーロスペース/シアター2)
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