ゲド戦記のレビュー・感想・評価
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残念
まず設定の説明をきちんとしていないし、演出も下手なので盛り上がりに欠ける。
原作を読んでなければわからないことがらもそのまま出してある。
原作と違うのは別にいいんです。おもしろければ。この映画は残念ながら上記の理由からまったくつまらない。
新人監督だけの責任とは思えない。映画は一人でつくるわけではないのだから。
しかし実際の製作にあたってる方々は当然全力を注がれてるはずでして、話は個人的には☆一つなんですが、追加☆はその方々にささげようと思います…
神秘的な作画に洗練された表現の詩
主人公アレンは国王の息子であるが心に闇を抱え、国王を手にかけ魔法の剣を持って逃亡。その途中大賢人ハイタカと出会い自分自身との葛藤やこの世界の善悪を感じ、成長していく物語。龍や魔法使いの存在や貧困奴隷など西洋のファンタジーな世界観。賛否が分かれると思うが個人的にこの作品の魅力はその台詞や詩。ハイタカがまだ世に不慣れなアレンに対し説明をしていくのだが、そのセリフの単語のチョイスに感銘を受けました。その中で私のお気に入りを2点紹介します。
・この星の均衡
アレン【この町はおかしいです】
ハイタカ【いや、この町だけじゃないさ。あちこちで作物は枯れ、羊や馬が駄目になり、人間の頭も変になっている。分かるか。】
アレン【疫病か何かですか】
ハイタカ【いや、疫病は世界が均衡を保とうとする一つの運動だが、今起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。そんなことができる生物はこの世に一種類しかいないよ。】
まさに知能が発達し、必要以上に欲望を追求してきた我々人間のことであると思いました。
最後にこのセリフ
・生きていくという事は何かを失っていくという事
ハイタカ「わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ。 苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもある。わしらの命も」
アレンが敵のクモに操られハイタカに襲いかかり剣を止めた時に言い放ったセリフです。
このセリフはとても洗練されているととても思いました。もはやこの作品の主軸だと思いました。
アレンは最終的に生きた果ての死への恐怖を乗り越え、生きていく生の使命を果たすよう前向きに成長していきます。
この世に生まれ生を全うし死ぬのか、いずれ消えてしまう命に怯えながら生きていくのか、現代社会でもどこか通じる部分があると思います。
今一度この物語の真に伝えたいことを知っていただくためにも見返してみることをおすすめします。
内に在る影
複雑な感情に苦しむ王子アレン、魔法使いのハイタカとクモ、両親を亡くした少女テルー、巫女テナー、クモの手下ウサギ等の個性的な登場人物による独特なストーリーが展開する。
王子アレンの声を演じた岡田准一さんが巧い。
王子アレンが抱いた父親に対する憎悪の理由を求め、観賞後にスマホ検索を続けました。
宮崎駿監督の大き過ぎる背中を追う宮崎吾朗監督の次回作、楽しみにしています。
日テレを録画にて観賞
違うのよ、ハヤオが天才過ぎるのよ、、(マツコ風に)
最近、金ローでやってたけど、そういえば昔知り合いにもらったDVDあったなぁ、と。約10年ぶり二度目の鑑賞。
うーん、、。『メアリと魔女の花』(まだ観てないんだけど;)で、あるライターさんが「二時間笑い(小ネタというかクスッと笑えるギャグ)無しはキツい」って確か書かれていて。確かにそうなんです。二時間笑い無しはキツいんです。 金貨をもらえなかったオバサン達がごねるシーンがあるけど、あの程度じゃ大して笑えません。
雄大な景色がパーンと開けて壮大な音楽、という演出に既視感。もののけ姫を思い出す。ラスト付近でラピュタと千尋を思い出す。クモの顔を見て、カオナシを思い出す。
原作未読なので、原作に忠実なんだよ‼…ともしも言われたら、確かに反論できないけど。
あとは、長い原作シリーズの真ん中?辺りだけを映画化されてるはずなので、シリーズ全部を読んでない人にも分かりやすいように、ある程度ハイタカ(ゲド)目線で描いた方がよかったのではと。アレンって、共感しにくいキャラじゃん。いきなり親父刺すし。
「生と死」みたいな抽象的なテーマって難しいんだよね、映像化したとき。映像でも舞台でもそう。具体的な台詞、人物、戦いに落とし込まないと、対岸の火事って感じで眠くなっちゃうの。
ル=グウィンの原作がいつ頃のものかはちょっと知らないけど、たぶん2006年に吾朗さんがアニメ化するまでの間に、父ハヤオさんはじめ色んな方がファンタジーアニメーションを作ったと思うし、時代と共に進化してると思うんだよなぁ。だから、相当、肉付けし脚色(要はアレンジ)しないと映像として弱い。制約があって脚色できなかったにしても、せめてテナーのキャラちょっと変えるとか、、個性なさすぎでしょ、、
ミヤさん(宮崎駿)が好きなのでついつい辛口になってしまいました。お父上を乗り越えたいっていうのは、何となく伝わってきますよね(冒頭とか)。多少古臭いところはあるものの、子どもと年寄りの描き方が抜群に上手く、思わず口にしたくなる含蓄のある台詞のオンパレード。ミヤさんは脚本がいいんです。 「刺さる台詞」、ナンテ難しい。そこまで皮肉っぽくはなりたくないんですけどね、既存のファンタジーアニメーションの表面だけなぞったような映画を観ると思うんですよ。やっぱりミヤさんてスゴいんだなって。
世界の黄昏時に手を取り合うこと
「金曜ロードショー」で3回目の鑑賞。
原作は未読です。
特撮ファンにとったら、「ガメラ2 レギオン襲来」での水野美紀のセリフ―「『ゲド戦記』の、後ろ」でお馴染みの原作の一部分を換骨奪胎し映画化していることで、ストーリーが非常に分かりにくいと云う批判を受けた本作。
今回久しぶりに鑑賞し、難しいなと感じる部分もありましたが、我々が抱える様々な問題を、人間と竜の関係性、均衡が崩れた世界として比喩し、異種族との和解、自分自身を受け入れることの素晴らしさ、限られた命をどう生きるかと云う問い掛けが心に沁みる作品だなと思いました。
アレン(人間)とテルー(竜)がはじめは誤解によって相手を避けていたものの、次第にお互いを理解し、手を取り合って困難に立ち向かって、それを克服していく様はまさに今私たちが生きる世界が求める理想そのものではないかな、と…。
純粋に面白くなかった…、
地上波放送で再視聴。
過去2回くらい観てるはずなのに結末を覚えておらず、新鮮な気持ちで観れた。
が、一言でいうと面白くなかった…。
扱ってるテーマは哲学的だし、ユーモアとか話の明るさとかは求める気はないのだけど、それにしてもなぜこんなにつまらないのだろう…。
つまらなさのありかを言語化したい。
・登場人物を丁寧に描いている感じがしない。というかシリーズものの途中作を作ったせいか、釈が足りないせいか圧倒的な描写不足を感じる。正直よくわからなかった部分多数。ここに尽きる。受け手の自分の読解力が足りない部分ももちろんあると思うけど、ハイタカとかクモさんとかもう少し丁寧に描いて欲しかった…。
・↑のこともあり感情移入するキャラクターがいない。かといって物語の構造とかを考察して楽しむ感じでもなかったと感じる。
・アレンとテルーの声優さん、棒読みっぷりが気になってしまって物語に集中できなかった…。テルーは歌部分はとても良いのだけど、セリフが残念…。
描き方によってはもっと面白くできたと思う分、何だか歯痒い気持ち。
手嶌葵さんのアルバムから入りました
TOHOのリバイバル上映で鑑賞しました。
手島葵さんの「ゲド戦記歌集」は何年も前から聴いていて大好きなアルバムなんですが、映画を観たことがなかったので(笑)この機会にと観てきた次第です。
他のジブリ作品と比べるとメッセージ性とキャラクターの魅力に乏しく、心に響くものはなかったです。街並みや世界観なんかは良かったですが。
映画のレビューはこの辺にしておいて音楽の方ですが、ゲド戦記歌集はサントラってわけじゃないんですかね?手嶌さんの歌声が聴けるのはテルーの唄と時の歌だけでした。他のアルバム収録曲もメロディは使われているものがありましたが歌は無しでした。その点はちょっとガッカリしましたが、テルーの唄を草原で歌うシーンはじっくり聴かせてくれて唯一心に響くシーンでした。
今後も歌集は聴き続けようと思います。映画はもういいかな…
説明不足で惜しい
最初は低評価だったので見るつもりはなかったものの、他の3作品を映画館で見たので、勢いで鑑賞。
つまらないとか、色々書かれていたので期待しないで見ました。
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テルーが実は竜だった、という設定は、ちゃんと説明さえしてくれたら良かったのに、惜しいなという印象。
おおまかなメッセージは良いんです。不老不死を願うんじゃなく、今ある限りある命を大切に思うことが大事って言いたいんだと思うし、それは良い。
心に闇を抱えてしまって、幽体離脱?っぽくなったり生きる怖さ故に自分でも訳のわからないことをしてしまうとか、それもまぁ有りうるかもしれないので、アレンの不安定さも一応よしとします。
残念なのは、
「竜が人間の住む領域に姿を現すなんて、ただごとじゃない!」
という設定なら、そことテルーの存在の整合性をきちんと説明しないとアウト。
冒頭で、つい最近、海に竜2匹が現れて共食いしていました。
でも実は竜だったテルーは10代後半くらい?の少女。仮に竜として生まれて普段は人間の姿で暮らしてるなら、もう10年以上、竜と人が共存してることになってしまい、「今は共存していない」という城で王に家臣が話してた、この世界の設定に矛盾します。
もしかしたら、テルーは幼少期はただの人間の女の子だったけど、ごく最近?または今回の、クモに首を締められて生死の境に瀕して初めて竜が宿った?あるいは人間としては死んだけど竜になって蘇った???のか。。?もしれませんが、倒れたあとあっさり竜となり、ここで全く説明無し。とにかくこれが最大の謎で、見ててモヤモヤ。
原作を何も読んでない私のような観客も行くので、映画だけで最低限の筋書きは説明するべき。これが無いのでテルーが竜になって、クモは倒すしまた幸せに暮らすし、っていうハッピーエンドを素直に受け入れられなくて残念。。
あと設定として気になったのは、「真の名前」が重要というのは千と千尋の神隠しと同じ。原作がそうだったなら、何も同じ設定の話を映画化しなくてもなぁ、と少し残念。人が竜に変わり、また人の姿に戻る場面、テルーが千と千尋のハクに思えてしまいました。パクったわけじゃないんだろうけど、状況が似ててなんだか残念。
敢えて評価するなら
「力を持つ者は、世界のバランスを保つためにそんなに簡単に力(作中では魔法、現代なら科学?核兵器?)を使ってはならない」という教え。
テルーの竜設定をきちんと説明したうえで、このあたりを深く掘り下げられたらもう少し高評価の映画になりそうだったので、それが惜しいです。
背景の絵、音楽は美しい。しかし肝心の話が! 吾朗監督…
背景の絵は美しい。音楽も美しい。歌も綺麗。
そりゃさすがにジブリスタッフですから。最高のスタッフの技術を結集できますからね。
しかし、最も肝心な、脚本や絵コンテが。だって宮崎駿監督ではなく、宮﨑吾朗監督ですから。
比べるのは酷かもしれませんが、息子は天才ではなかったのですから。
(背景は綺麗でも、アニメーションとして絵の動きに、魅力が全然ありません。
何よりも、話が…)
公開当初から何度見ても、やはりこれは失敗作だと感じます。
何よりも、原作者を激怒させた点が、まぎれもない失敗の証です。
もともと駿氏の生涯の愛読書である小説。数多くの監督からの映画化オファーを、全て原作者は断り続けていた(若かりし頃の駿氏も断られたことがある。)しかし名実共に宮崎駿の実力が海外にも知られ始めた頃、原作者自身が
「もし私の作品を映像化できる人がいるとすれば、それはハヤオ・ミヤザキだけ」
と言ったことがもとで、ジブリが映画化することになったそう。
しかし、吾朗氏監督にしてしまった事が 失敗でしたね…
これまでに原作ありの映画化では、駿氏の「魔女の宅急便」も「ハウル」も、原作と違う点があっても、そのイマジネーションの素晴らしさに原作者も絶賛しました。
高畑氏の「おもひで」も。「火垂る」は原作に無い場面をたくさん入れたことで よりリアルな感動が深まりました。「耳をすませば」は、不人気すぎて連載打ち切りになった漫画を、その年の第1位のヒット映画にして、原作者は泣いて喜んだほど(作者コメントで見た記憶があります)。
「ゲド」は、原作に無い場面で、
まず 主人公が 国王である父親を殺す。しかも、最後まで本人は「何故あんなことをしてしまったのかわからない」そんな重要過ぎることを、最後の最後まで!
これは鈴木敏夫氏が「父親を殺せ」と吾朗氏をそそのかしたのだそうです。しかも試写会で「その場面で駿氏が立ち上がって出て行ったのを見て、やったー!と思った」と述べています。
なんて醜い。 原作へのリスペクトなど無く、話題作りに燃える商魂しか感じられません。
その一方で駿氏は、(インタビューで読みましたが)「千ちひ」の裏設定の1つで、油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏など若手)を溺愛し、血だらけのハク(駿氏)を「さっさと片付けな、もう使い物にならないよ」と捨てる場面を描き…どれだけ苦しかったでしょう。 「ポニョ」も、幼少時に一緒にすごせなかった息子への申し訳ない想いをこめて、宗介=吾朗として描いてるのだそうです。切ない…
吾朗氏の「ゲド」は、長い原作をどう2時間以内にまとめるか…と苦心するのではなく、
原作の雰囲気やエッセンスだけ頂いて、ありきたりのファンタジーアニメにしてしまいました。
(悪役は永遠の命を欲する、朝日で消える…とか凡庸すぎ。未読ですが、そんな単純な原作じゃないのでは。命は大切、とか名言的なセリフは、ただセリフとして言うだけで、アニメーションとして絵が動く力で描けていないので、いまひとつ感動に届かず、説教くさくも聞こえてしまいます。
真の名、正体は竜、など 作者の深い考えの込められていそうな点は、意味不明なまま未消化で、ただ「知りたい人は原作読んで」という丸投げなスタンスなようです。 駿氏の作品の場合、説明不足で意味不明な点は、たくさんの人が知的好奇心を刺激されて深読みし、想像を広げられる楽しみがあるのになあ。)
原作の壮大なファンタジー設定をちょっと借りてきた中で、優秀で立派な父親と比べられる自分のプレッシャー、寂しさ、吾朗氏の感情を描きたかっただけにしか感じられません。
原作者に失礼だと思います。そしてジブリにも。
もし、これがスタジオジブリとしてではなく、吾朗氏が自分で作ったスタジオで、自力で作った映画なら、星5の評価をあげても良いと思います。それなりのレベルのアニメとしては見れます。美しい部分はいくつかあります。テルーの唄声は好きです。(セリフは下手ですが)
しかし、全て七光りの世界で、話題作りに燃えるプロデューサーにそそのかされて父親殺し? 全く評価できません。嫌悪感しか無いです。
吾朗氏だけでなく鈴木氏に重大な責任があります。
ジブリ作品とは別枠の作品として扱うべきです。
もう一つ、この映画のジブリらしくない点は、後半が単純な勧善懲悪ものになってしまった点だと思う。ジブリらしさといえば、悪役もみなそれぞれ事情を抱えて懸命に生きていること、ナウシカやもののけ姫を見れば顕著だ。(ラピュタはわりと勧善懲悪っぽいムスカがいるが、あそこまで振り切って悪役だと、かえって清々しい(笑) ゲドではクモとウサギというわかりやすい悪役がいて、しかも動機は「永遠の命」と「見返してやる」というありきたりパターン。おいおい、アメコミやクラシックディズニーじゃないんだからさ…ジブリといえば物語の深みなのに。
それでも嫌いになれない宮崎吾朗監督
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「ゲド戦記」。悪い噂はチラホラ聞いていたのですが、4作品公開で3作品観てしまったら、そりゃぁ最後の1作も観たくなりますよね?
で、率直にいうと面白くはなかったです。なんとも中二病全快のストーリーでした。原作小説が1972年発行なので当時は新しかった内容かも知れませんが今観ると痛いです。いきなり原作の3巻を映画化しているので、長い物語の途中からで世界観もよくわかりません。演出も微妙でずっと盛り上がる所がないので観てて眠気をさそわれます。
声優に俳優を使ってるだけあって、全体的に違和感があるのですが、中でもヒロインのテルーの声が突出して下手い!・・・と思ったのですが、中の人の手嶌葵が福岡県出身だったので、同郷の身としては大目に見とかんといかんかなっと思いました。
正直本作は全然好きになれなかったのですが、観た後で検索していたら宮崎吾朗監督は嫌いになれないんですよね。ネットで調べてて、岡田斗司夫さんというアニメ研究者の方が話してた本作が作られるまでの経緯が面白かったので紹介させて頂きます。
元々宮崎駿監督が作りたがっていて、原作者アーシュラ・K・ル=グウィンに何度もお願いしていたのだか、ずっと断られていた。
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後年になって原作者のアーシュラさんが有名になった宮崎駿作品を観て、気が変わってジブリに映画化OKしてくれた。
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その頃には宮崎駿は高齢になっていて、もう監督をやる元気がなくなっていて、「俺が監督できないなら誰もできないので断れ」とジブリ側に通達。
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ジブリ側のプロデューサー鈴木敏夫はせっかくの機会なので作りたかったが、宮崎駿が作りたかった映画を他の監督にやらせると駿が「そこはこうじゃない、お前はわかってない」等ボロクソにツッコミを入れてくるので、おいそれと他の監督には任せられない。
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そこで駿に幼少の頃からボロクソに言われ続けて育ち、駿に抗体がある息子の吾朗に白羽の矢を立てた。
という流れのようです。息子が監督するようになった原因は駿監督にありますね。正直アニメ監督って何処までの仕事をしているのかはわかりませんが、吾朗監督は鈴木プロデューサーから抜擢されて、初めて作った割には頑張ったのではないでしょうか?鈴木プロデューサーも批判されがちですが、ワガママな天才とずっと付き合いつつ、会社を上手い事回すのは大変な事だと思います。
と言うわけで個人的に映画は面白くなくても、ワガママな父親の代わりに頑張った吾朗監督は嫌いになれません。今後も頑張って欲しいものです。ちなみに原作者に吾朗が監督する事を伝えに行った時に、批判する原作者を説得したのは原作者の息子だったらしく、後に鈴木プロデューサーがこう言ってたそうです。
「天才の息子はいいヤツだ」と。
面白かった
途中まではアレンもテルーも刺々しくてあまり感情移入出来なかったが、挿入歌テルーの歌辺りから二人が打ち解けてきて、感情移入もしやすくなってくる。声優は菅原文太、香川照之、田中裕子など圧巻の豪華キャストだが、新人のテルー役手嶌葵さんもすごくよかった。テルーの歌は名曲だと思う。話自体は囚われた女性を助けに行くという王道の話だが、原作の話がちょっとだけ会話にでてきたりして、原作を読んでいると結構壮大な話に思えてくる(影とか冥界とかテナーやテヌーの昔とか)。後テナーはドラゴン族だったんですね。原作とは話が違うけど、これはこれでよし。ドラゴンの造形が美しかった。最後にエンディングの圧巻の主題歌で涙😭
原作を読んで欲しい
私はジブリ作品のなかでゲド戦記が1番好きです。
竜と人間が暮らしているという世界観、テルーの挿入歌はとても素敵だと思います。また、生と死について深く考えさせられます。
しかし、他の評価にもある通り、意味がよく分からない。となるのも分かる、、、
その理由は、原作を読んでいないと散りばめられている伏線を完全に回収することが出来ないからだと思います。(原作を読んでも理解できない箇所があったが(--;))
映画ゲド戦記は、アーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』を原作としています。冒頭にはこんな詩があります。
ことばは沈黙に
光は闇に
生は死の中にこそ
あるものなれ
飛翔せる夕方のタカの
虚空にこそ
輝ける如くに
『エアの創造』
ゲド戦記はこの詩にもあるように、ことば、光と闇、生と死、タカがキーワードになると思います。
ゲド戦記の世界は、かつて竜と人間は一緒だったが、竜は自由を人は形あるものを望みます。
竜が火と風、人が土と水を選んでから、竜は西で暮らすようになり、一方で人は東で生活してきました。
しかし、最初のシーンで竜が人間の東海域に姿を表しただけでなく、竜同士で食い合いをしている。これは今まで保たれてきた「均衡」が崩れてきたことを示しています。
ことばについて。アレン?レバンネン?真の名?って映画見てるときになりませんでしたか、、
簡単に言うと、ハリーポッターで呪文を唱える時の言葉(レバンネン、太古のことば)と普段話す時のことば(アレン)は異なるのと同じです。
この世界は、大人になるとみんな一人ずつ真の名が与えられます。また、竜、魔法使い、それ以外の一部の人は太古のことばを自由に話すことが出来ます。
真の名は信頼している人以外には決して話してはいけません。太古のことばは知識がある人でなければ使ってはいけません。
人だけでなく、海、馬、石、全てに真の名があります。真の名を知っていれば、太古のことばを使って自由に動かすことが出来ます。その物の命を手中に収めたのと同然です。
アレンとハイタカが初めて出会った時、狼に襲われるアレンを救うシーンがありましたよね。ハイタカは魔法使い(の中でも頂点にいる大賢人)なので容易にアレンを狼から守ることが出来ました。
また、クモもレバンネンというアレンの真の名を手に入れたことで、ハイタカを襲うように仕向けることが出来ました。
光と闇について。アレンが暗闇に恐怖を抱いたり、アレンがアレンに怖がったり、アレン2人いるの?って疑問に思いませんでしたか、、
後半に明かされていましたが、2人のアレンは光と影、表裏一体なのです。
原作では実際に影と闘っているのは、ハイタカです。原作の第1作品目『影との戦い』で描かれていました。ハイタカが魔法学校に通っていたときの話です。
ちなみに、魔法使いはロークという島にある魔法学校を卒業し、杖を授けられることが多いです。
なので、ホートタウンで初めて会う商人達は杖を見ればハイタカが魔法使いだと分かりました。
ハイタカが死者を呼び出すという禁じられていた魔法を行ったことが全ての原因でした。その時に、左頬に大きな傷を負いました。
そのときから、ハイタカは姿の見えない影との闘いが始まります。最初はただの影だったのに、ハイタカ自身の体力(気力)が減っていくと、逆に影はだんだんとハイタカの形を取り力をつけて、ハイタカをより脅かす存在になります。
そして、闘いの最後は、、ハイタカが自身の影を抱きしめて終わります。自分が恐れていた自分自身を受け入れたことで解決しました。
アレンも死という恐怖などを受け入れ、テナーのお陰でクモの魔法から目を覚ましたことで、勇敢にハイタカやテナー達を救うことが出来ました。
生と死について。クモは死ぬことを恐れ、強大な魔法を使って不死の力を手に入れようとします。それが、世界の「均衡」を壊してしまっていました。
世界の「均衡」が保たれなくなると魔法の効きが悪くなったり様々な影響があります。ハイタカは大賢人として、その原因を突き止めるために旅をしていたのです。
クモは女?男?か分からないように描かれていたと思いますが、原作では男です。これらは小説の「さいはての島へ」に出てきます。
クモが生と死の扉を開けるのを防ぐために、アレンとハイタカが冒険に出ます。
原作では、クモを倒した後、ハイタカは魔法の力を使い果たし、魔法使いでは無くなってしまいます。
テルーについて。テルーは何者なのか、竜?人間?原作では、テルーは人間として生まれながらも、竜と潜在的に繋がっています。ちなみに、テルーの真の名であるテハヌーは炎という意味です。
そのような人は、勉強しなくても(生まれつき)竜と同じように太古のことばを話すことが出来ます。
しかし、自分が何者なのか自分自身でも分かっていなければ、竜に変身することは出来ません。
原作では、竜と人間の仲介人として重要な役割を果たします。
映画と原作は世界観は同じだとしても、内容は異なります。
原作では、アレンは父親を殺していません。テルーとハイタカが初めて会った時には、ハイタカは既に魔法使いではありません。テナー・テルー・ハイタカ・アレンの4人が会う場面はありません。
内容の濃い原作を映画にするのはこんなに大変なのだと感じました。作品の世界観、死生観に触れることで多くの学びを得られました。ぜひ、多くの人に原作を読んで欲しいとおもいます。
長文乱文失礼致しました。ありがとうございました。
誰にも感情移入ができない
まま映画が終了した。。
登場人物全員の背景が見えない。
なんで父親さしたん?なにに怯えてるん?
魔法使いはなんなの
どういう立ち位置なの。
え?テルーはドラゴンだったん?
クモは突然風貌変わりすぎ
作画崩壊しすぎ
説明不足がすぎて、12話あるドラマの突然最終回をみたような気持ち。
ところどころ盛り上がりそうなシーンは来るんだけど、盛り上がることなく、シーンは終わって次のシーンへ。
起承転結の起すらないまま終わった印象。
心をなににたとえよう〜の歌のシーンが唯一よかった。
理解が追いつかなかった…
ジブリ作品リバイバル上映として初めて鑑賞した。
自分の創造力の乏しさや理解力の乏しさもあるんだろうけどこの作品の世界観やらなにもかもが理解が追いつかず苦しい時間となった。
映画作品全てが単純明快であれば楽しいというわけではないが、この作品に至っては複雑すぎてその割には明確なシーンが最後までなくなにを描きたいのかがわからなかった。
例えばアレンの父親殺しはこの作品上では強い意味を成さないのかもしれないが、例えばなぜ殺したのかわからなかったりすると苦しもがく姿に共感が生まれず、ただただ逃げ回ってる姿にみえ鬱陶しく感じる。
ハイタカやテルーなんかも同じ。潜在能力がイマイチわからないため彼らのキャラの意味や存在価値が最後までわからず彼らの行動や言動になにも共感が生まれなかった。
命は大切に。終わりがあるから限りある命を大切に一生懸命生きるんだ。良いメッセージは度々あるのだが、彼らの真なる気持ちが分からない以上これらの言葉も特に心に響かない。
個人的には心の闇を大きくしてしまうと、その闇に飲み込まれ今生きる自分を失う的なメッセージがここの作品には込められてるのかなと勝手ながら捉えて一応観ていたが、結局最後までキャラクターの魅力を感じられず退屈な時間となった。
鈴木敏夫による、アニメ作りの才能は遺伝するのか否かを確かめるための実験作品。
終焉に向かう世界を舞台に、破滅の原因を探る大賢人ハイタカと、心に闇を抱える王子アレンの冒険を描くファンタジー・アニメ。
主人公アレンを演じるのは『木更津キャッツアイ』シリーズや『東京タワー』の岡田准一。
闇の魔法使いクモを演じるのは『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』『もののけ姫』の、レジェンド女優・田中裕子。
クモの手下、ウサギの声を演じるのは『嫌われ松子の一生』『ゆれる』の香川照之。
原案は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、宮崎吾朗監督の父でもある巨匠・宮崎駿が、1983年に発表した絵物語「シュナの旅」である。
2020年、スタジオジブリの作品が4つリバイバル上映された。
その4つとは『千と千尋』『もののけ姫』『ナウシカ』そして本作『ゲド戦記』である。
『ゲド戦記』…?何故このラインナップの中に『ゲド戦記』…!?
数あるジブリ作品の中でもダントツで評価の低い『ゲド戦記』をレジェンドの中に打ち込むとは、これはもはや宮崎吾朗監督に対するいじめではないだろうか?いじめかっこ悪い!!
…まぁ実際には今冬放送予定の宮崎吾朗監督作品『アーヤと魔女』の宣伝を兼ねているのだろうけど、この作品を上映するのは逆効果だと思いますよ、まじな話。
4作品を制覇してみましたが、やはり『ゲド戦記』の人気のなさはヤバい!
一番遅い時間の上映だったとはいえ、日曜日に観にいってガチのマジで貸し切り状態!
自分以外誰一人シアターにいないという状態は初体験だったかも。
どんだけ人気ないんだ『ゲド戦記』!!
10数年ぶりに見返してみましたが、やはりこれはアカン…。
平凡な絵。平凡なお話。平凡な音楽。どこをとっても平凡。素人が教科書通りに作りました、って感じ。
平凡なお話なのに説明不足なため、意味不明な物語に仕上がっている。
そして物語は説明不足なのに、登場人物はみな説明口調。アニメはRPGじゃないんですよ!?
主人公はネクラな殺人鬼アレン。終始暗すぎる。碇シンジくんの100倍暗い。
メンターである大賢人ハイタカ。ぶらぶらしながらたまに農業する。体が光る。パチモンブランドを見抜くという特技がある。そして無能である。
悪の魔法使いクモ。顔が怖い。部下が10人くらいしかいない。一般人にも住所が知られている。舐めプ野郎。
ヒロインのテルー。正体は龍。意味不明。
キャラクターには一切の魅力がない。躍動感もないし、派手なアクションもない。
宗教団体が作ったアニメみたいな説教くささを感じる。
原画には宮崎駿作品にも名を連ねる様な大物が参加しているのに、ここまで絵的にダメなのが不思議。やっぱり監督でアニメって決まるんだなぁー、と勉強になった。
冒頭の龍が共食いしているところが唯一良かったところかも。
アレンを追うカゲが実は光だったと判明するところとか、命は有限だから素晴らしいのだとテルーがアレンに説くところとか、なかなか感心するシーンもあるのだが、演出が悪すぎるせいで今ひとつ感動できない。
作品に込められたメッセージはなかなか良いものだっただけに残念。
まぁでも、宮崎吾朗という監督も気の毒ですよね。どう頑張っても天才・宮崎駿と比べられるんだから。
まずは一スタッフとしてアニメ制作に関わらせておいて、経験を積んでから監督させてあげれば、本人的にも気が楽だったんじゃないのかな〜、とか要らん心配をしてしまいます。
余談ですが、宮崎吾朗を監督に据えるという出来事からも、鈴木敏夫という人物がいかに悪党かというのが分かりますね笑
ジブリ作品である事を抜きにしても
全編に渡ってこだわりがない。何を伝えようとしているのかさっぱり理解できない。
背景はいつものジブリクオリティだが、それ以外は、学生レベル。
作画 崩壊前夜。作監は寝ていたのか? キャラの顔は常に能面。
絵コンテ 映画のほとんどが歩くシーンか会話シーン。
キャラ設定 役割分担が皆無。みんな根暗。
脚本 喜怒哀楽が伝わらない。ストーリーラインが解らない。伏線ほぼなし。
監督が素人なのは仕方ないとして、その神輿を担いだスタッフたちは、どんな思いで作ったのか知りたい。そしてこれをジブリ作品としてオーケーした経緯が知りたい。
1つのアニメとしては悪くはない。
構成が洋画っぽかった。親殺しは主人公が両親に大切にされないかったというよくある理由と、教育もよく受けてないことによると解釈した。特に主人公の方の闇が深すぎて共感を呼ばなかったのかなと思った。
原作者の意図したことと違う作品であったことはきいた。
構図は好みではなかった。
意地悪に粗探しをすればいくらでもある、多くの作品のように。
インスピレーションを受けたあるひとつのアニメとしてはいいと思う。
ジブリ、ゲド戦記、ということにこだわりがなければ観てもいいと思う。
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