胡同(フートン)のひまわりのレビュー・感想・評価
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地震・雷・火事・親父
“地震、雷、火事、親父”
父親を知らずに育って来た息子《向陽=向日葵》に対し、強制収容所から戻って来た厳格な父親は容赦ない教育で抑え込む。その為に父と子の20年以上に渡る確執が始まる。
これは時代に取り残された父親の話であり、取り壊される長屋の街並みと比例して急速に発展する近代化の波は決して‘待った’をしてはくれない。
父親は自分の行って来た事が間違いだったのを自覚している。だからこそ将棋を指すのも、猫に餌をあげるのも“後悔の念”が心の中にあるからなのだ。
親が子の事を想う気持ちの大きさと、国が国民総ての事を思って推し進める政策。
映画はこの厳格なる父親同様に“少子化を勧める”中国政府に対するアンチテーゼとも受け取れなくは無い。
それにしてもこの頑固親父振りは観ていて堪らない程の懐かしさがある。
初めて息子の絵を見つめる佇まいはどうだ…私はこの辺りからラストにかけて涙が止まらなくなってしまい実に困った。
ただ父親が言う‘息子の才能’が途中それほど感じられないのが少し残念でしたが…。
親は子を‘選定’出来るが、子は親を‘選べない’それは生まれて来た時の《宿命》だから。
(2006年8月11日Bunkamura ル・シネマ2)
どうしようもない世代格差
総合:60点
ストーリー: 60
キャスト: 70
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 70
前近代的時代に育った親としては、子供は親のために存在するし親に尽くして当たり前と思い込んでいるのだろう。特に文化革命という大変に不幸な時代の渦に巻き込まれた父親にしてみれば、自分の人生が奪われたから夢を子供に託したいというあまりに強い思いがあるに違いない。だが物心ついたときにはすでに改革解放の時代だった子供にしてみれば、自分の人生を親に好き勝手にされ、自由も人権もないような生活が楽しいはずがない。
こういう親は日本でも戦前にはいくらでもいただろうと思う。もうあまりに考え方が違うのだから、これで分かり合えるはずなど無いだろう。親子だといっても埋められない違いがあるものだ。結果的に息子の絵の才能が開花したから救われたとはいえ、そうじゃなければ目も当てられない。
映画としてはそれなりに質が高い。一つ一つの場面の描き方は時には瑞々しいし、また親子関係の愛情や軋轢をうまく描いている。しんみりと静かに流れる音楽と合わせて、どうにもならない苛立ちや悲しみの雰囲気が全体に漂う。次々に壊される古い街並みの映像が、古い時代の人の考え方や価値観がもう時代遅れなのを暗示しているよう。実際私が直接見た中国の都市の古い町並みが壊され廃墟となり消え去っていく様子はまさにこのままでした。
だがこのような自分の考えを強引に押し付けてくる親というのが個人的に嫌いなので、どうにも見ている私も少々苛立ちました。私が息子ならば父親のことなど無視して広東に逃げてたと思います。物語の内容に反発するのではなくて、ただの映画として距離をとって見れる人にはいいと思います。このような人は実際いるだろうし、その葛藤を描く物語が悪いのではない。だが映画の最後がどうなろうが、こういう人がやはり嫌いなのです。
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