「まあ余談なんだが」プリティ・ヘレン 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
まあ余談なんだが
昔だが、兄がこんな話をした。
兄は地方とはいえ中核都市に住んでいて、そこに都市にあるゆうめいな高級レストランの分店が出店した。で、新しもの好きの兄は、奥さんの誕生日にかこつけてそこを利用したのだった。レストラン側にも(妻の)誕生日が伝えてあったので、デザートのタイミングでウェイターがオペラチックな抑揚でバースデーソングを歌った、とのことである。「恥ずかしかった」とつけ加えた。
けっきょく、その話は、レストランでバースデーソングを歌われ恥ずかしかった──というものであって、レストランの味やサービスやエクステリア等々に関する話は一切無かった。ただし、それを見ても聞いてもいないわたしも、やはり恥ずかしくなった。
アメリカのレストランでお客さんのためにバースデーソングを歌うのは、そこがホスピタリティーの大国だから、も無論あるにせよ、そもそも彼らがアメリカ人だからである。
日本のレストランで日本人ウェイターが日本人客の誕生日を祝うのに、英語でバースデーソングを歌うのは、無茶苦茶に勘違いな歓待、拷問にひとしい饗応であると、わたしは信じている。
かつて都市部では、アメリカのフードビジネスの教養をまとった、「にわか外国かぶれ」のオーナーが、そこで働くウェイターやウェイトレスに、ホスピタリティーの精神と、誕生日にバースデーソングを歌う必要性を力説していた。ことがあった。
昔は、外遊してきたオーナーが「外国のやり方」を、日本人客に見せびらかしたいと思っている──みたいな飲食店が、けっこうあった。のである。
アメリカにはバースデーソングを歌ってくれる陽気な給仕がいる。
それは日常としてYouTube等でも多数見られると思うが、この映画では、末娘の大事にしているカバのぬいぐるみ(!)の為に、イケてるウェイターがハッピーバースデーを歌うシーンがある。超絶に上手く、かつヒップホップのアレンジで、聞いていて楽しかった。
店側に誕生日を祝ってもらうならば、それが上手いことにくわえ、聞いていて楽しいことが絶対の条件である。はずだ
せっかくの大枚をはたいた食事中に「聞いていて恥ずかしい」ような歌を、要求したワケでもないのに歌われて、その恥ずかしさにじっと耐える、という不快さは、その料理の対価と同等か、それ以上の損害賠償を請求し得る、と、わたしは思った。
本作を見返して兄の話をまた思い出した──という話。
ケイトハドソンもすでに古い名前になったが、かつてのゴールディーホーンのようなコメディエンヌで00年代に人気があった。よく思うのだが、顔もゴールディー・ホーンに似ている。
「RAISING HELEN」(邦題プリティーヘレン)はケイトハドソン扮するところのキャリアウーマンが、事故死した姉の三人の子供を引き取って育てるという家庭悲喜劇で、当時ヒットメイカーのGarry Marshallが監督し興行も振るったが出来はまあまあ。
邦題がプリティーヘレンなのはプリティウーマンの監督だから。知っての通り、邦題が柳の下を狙うばあい、内容も意味もさしおいて近似させる。