「伝説の西部男ロイ・ビーンを生き生きと演じるポール・ニューマンの魅力」ロイ・ビーン Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
伝説の西部男ロイ・ビーンを生き生きと演じるポール・ニューマンの魅力
当時の映画スター、ポール・ニューマン、シドニー・ポワチエ、バーブラ・ストライサンド、スティーブ・マックイーンなどが設立したファースト・アーティスツが1969年に現れ、そして1980年に消えて行ったことを今回初めて知りました。これも見慣れないナショナル・ゼネラル・ピクチャーズの配給会社の後に、その4人の横顔をイラストにした画が現れます。大手映画会社では通らない題材やスターの要求を円滑にするための設立目的があったそうです。記憶にあるのは、マックイーンが製作に力を入れた「民衆の敵」(1978年)が日本で公開された時、地味な題材を選んだマックイーンの役者魂に感心しながらも鑑賞までに至らなかったことです。マックイーンの魅力や観客が求めるものとは違うのではと疑問に思いました。その10年の間に製作された作品の中で、鑑賞して感心したのはダスティン・ホフマンとヴァネッサ・レッドグレイヴの「アガサ」のみです。
今回漸く製作されてから52年経ってめぐり逢い、ポール・ニューマンの個性が嵌ったロイ・ビーンの愛嬌と狂気の演技を満喫しました。ウィリアム・ワイラーの「西部の男」(1940年)でオスカーを得たウォルター・ブレナンの名演とはまた違った魅力と面白さがあります。それは監督ジョン・ヒューストンの自由奔放で気の向くままのような、それでいて映画の総てを知り尽くした熟練のお遊びが楽しめる映画タッチに溶け込んだ、味わいのある演技だからです。
実際ニューマンの自伝によると、神秘的で魔法のような魅力を持つ、言葉では言い表せない人だったと、ヒューストンを回顧しています。対してヒューストンも、ポールほどの功績を残した人間なら、甘美なうぬぼれに骨の髄まで耽るのがあたりまえの業界で、一度も芝居臭く自分自身を演じてみせたことがない、と絶賛しています。
『ポール・ニューマン語る』 品川亮・岩田佳代子訳者 早川書房発行より抜粋
「ビック・ウェンズデー」「地獄の黙示録」のジョン・ミリアスが執筆した脚本をヒューストンが気に入り、ニューマンに出演依頼した経緯が面白い。ただし、これはロイ・ビーンという伝説の西部男の正確な伝記映画ではなく、あくまで当時の無法地帯の西部に生きた男たちへのノスタルジーであり、文明開化以前の荒くれ男たちの生き様を面白可笑しく創作した映画の遊びと詩情に、映画としての良さがあります。キャスティングは主演のニューマンの一人芝居に近く、特に助演男優はいません。それというのも保安官とバーテンダーに雇われる部下以外殆どが登場場面が短く、ひとり助演のマリー・エレーナ役のヴィクトリア・プリンシパルだけが新鮮な演技を見せて、登場場面を膨らませた脚本修正を施したとあります。この時22歳の新人ながらニューマンの相手役としていい演技をみせているのも、ヒューストンの役者主体の演出法とニューマンの自然な演技のお蔭と言えるでしょう。その他有名な役者で先ず可笑しいのは、会う前からロイ・ビーンを回顧するラサール牧師のアンソニー・パーキンスの真面目な役柄です。冒頭の派手な殺戮場面の後始末の為だけに現れて、メキシコで病死したあと、天国に彼は来なかったというナレーションが笑えます。タブ・ハンターは、クレジット3番目でありながら中国人とメキシコ人夫婦を殺した罪で絞首刑に処せられるサム・ドット役で、酒場が法廷になりロイ・ビーンが判事姿を見せます。中国人やメキシコ人への人種差別を口にするサムが、過去に白人も殺したからと自分を納得させるナレーションも可笑しい。ロイ・ビーンが憧れるリリー・ラングトリーのポスターを標的に撃つ男を酒場の皆で一斉に撃ち殺すのも、コント劇のお遊びの面白さ。ポン引きから娼婦を救うのに保安官をあてがい、ひとり残った女性をモノにしようとしてマリーの嫉妬のライフル銃で撃たれそうになってからの夕闇の二人のショット。そしてそこに監督ヒューストン演じる謎の山男が熊を連れて登場する展開の不思議な面白さ。監督も役者も嬉々として演じることを楽しんでいるのが伝わります。この熊がペット兼ボディガードになって、3人がピクニックに興じる何とも長閑なシーンの安らぎ。そしてステイシー・キーチの怪演が楽しめるバット・ボブとの対決も見ものでした。恐れ慄く市民が慌てる場面では、棺桶屋が棺桶に隠れるカット。白髪に白塗りの顔で黒ずくめの衣装が不敵な笑みは死神の如く。誰もが予想してしまうロイ・ビーンの卑怯なやり方で決着する喜劇タッチは、バット・ボブの身体を貫通する弾痕の穴を大きく見せる。このようにふざけている様でいて的確な崩しというかお遊びで、人間の可笑しさがどのシーンにもあります。
後半は弁護士フランク・ガスが町の有力者になってゆき、石油開発の産業革命の波が押し寄せる。演じるロディ・マクドウォールの生真面目さも何処か可笑しい。文明が町を変えていく中で、リリー・ラングトリーが巡業にやって来る。通信販売のタキシードを変に着込んでいざ劇場に行くとチケットは二日前に完売で入れない。賄賂を要求され楽屋に案内するという男に騙されて痛い目に遭うビーン。結局憧れた女神に会えず仕舞い。少年のような純真な心も持ち合わせている独裁者を演じるポール・ニューマンのこの繊細さ。その前に保安官の妻になった女性たちに失言を謝罪するシーンもいい。謝っている様で少しもその気が無いのが明らか。このような男の微妙な心理を演じるニューマンの演技が、今となってはとても貴重に思えてきます。そしてマリーが亡くなり町を去るロイ・ビーン。それから20年後の成長した娘ローズを演じるのが、60年代後半から70年代に活躍した憧れの美しき女優ジャクリーン・ビセット。時代設定は少なくとも1919年を過ぎている。(熊が立派な墓に埋葬されたのが1899年)実在のロイ・ビーンは1903年に78歳でこの世から去っている。ビーンが現れた時のローズの育ての親になったテクターの台詞、“この町で馬に乗る人はもう居ない”がいい。史実からかけ離れたストーリーも、ここに至ってどう決着を付けるかに迷った末のガスとビーンの対決を、町を焼き払うスペクタクルで誤魔化したよう。この力任せの展開に賛否は残るものの、実際の撮影では監督のヒューストンは病気のためディレクターズチェアに座ったまま気を失ったとあります。代わりにニューマンが監督を兼ねて一発勝負の撮影最終日を終えたとあり、こんなエピソードもスタッフとキャストがまとまり映画作りを楽しんでいたのが窺われます。またヒューストンの苦し紛れの発案に、ワイラーの古典も参考にしたのではないかと、個人的には想像しました。そしてこのビーンが作った町が灰になることで、ラストシーンのビーン回顧が何とも言えない効果を生んでいます。前作「うたかたの恋」でオーストリア皇后エリーザベトを演じたエヴァ・ガードナーも齢50歳。妖艶とエキゾチックな美しさはそのままに、綺麗に歳を重ねた貫禄と威厳ある佇まい。ビーン博物館に誘われてビーンの遺した最後の手紙を感慨深く読みます。この正攻法な映画的な語りの味わい深さが素晴らしい。
暴力と無秩序が支配した未開の地で生きた西部男の波乱の人生を描く西部劇の、ユーモアとエレジーの心温まる作品です。それはヒューストンとニューマンの信頼関係、監督と役者に留まらない、互いの人間性を認めた上で培った映画への愛で溢れている。それが感じられる優しい映画でした。