「旧約聖書やキリスト教の新約聖書のパロディのような映画だね。例えば、...」レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
旧約聖書やキリスト教の新約聖書のパロディのような映画だね。例えば、...
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旧約聖書やキリスト教の新約聖書のパロディのような映画だね。例えば、ウラジミールがバンドのメンバーに食をあたえず、演奏させて、もうけは全部自分の懐にいるるところ。それは、(エジプトの人は)監督(ウラジミール(Matti Pellonpää) )を置き、バンドメンバー(イスラエルの民)を苦しめている。他にも、シベリアの地にモーゼ、ウラジミールは戻ってこない(エジプトを逃れカナンの地に帰るが、モーゼはでカナンの地に戻ってこなかった。)皆が、バスで国境越えをしているが、モーゼ、ウラジミールは空のボトルを税関に提出している。バンドは家に戻り、生まれたばかりの子牛にプレゼント(馬小屋でキリストが生まれた時、東方の三博士がイエスを礼拝しに来る)。家族は帰還を祝って盛大なパーティーをする。(放蕩息子の帰還を祝って、祝賀会をする)などなどと、風刺風に描いている。
River of Babylon も詩篇の137からの詩
ドイツの ライプツィヒ でモーゼ、ウラジミールはバンドメンバーと聖書と共産党宣言の文章を交換する。ここのところが理解不足であった。共産党宣言と聖書の比較の意味が何をもたらすか?よくわからなかったけど、監督は両方ともに好感を持っているように感じなかった。
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