レオン 完全版のレビュー・感想・評価
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宙に浮いた、歪な二人。
○作品全体
終始「無頼人」「根無草」と言った「宙に浮いた存在」を示す言葉が漂う作品だった。自分の居場所を模索し続けるマチルダの姿と、自分の存在意義を見出そうとするレオンの姿が印象的だったからかもしれない。
作品タイトルを出すファーストカットは、繁々と根を生やす木々から、そのとなりに並び立つニューヨークのビル群を映すカットだ。いずれも太陽の下で「根を生やす」という言葉が共通項として浮かび上がるが、そこで影の中で暗躍するレオンの姿は対比的で、鉢の中で生きる「友人」と共に、落ち着ける空間を無くした存在として強く映る。のちにレオンがイタリア移民であることも語られるが、そう言った部分からも「孤独」であり、かつ長期的な安息地を持たぬ「漂流者」としての登場人物の要素が点在していた。
マチルダも同様だ。マチルダの初登場シーンはアパートの吹き抜けに足を投げ出しているカットから始まる。宙に浮いている足元が強調されるパンワークは居場所が見つけられないマチルダ、というのを端的に示していた。
家族が殺害されたあとのマチルダは見ての通りの「根無草」になってしまった。特に序盤のマチルダはレオンからも追い出されそうになる、居場所のない人物として描かれる。だが、一方でその状況こそが、レオンがマチルダに見出した自分自身を投影する共通項となる。これがなければレオンがマチルダの願望を叶えようとする状況になり得なかっただろう。
2人の距離が近づき始めると、「2人がいる空間」という居場所が徐々に確立されてくる。「宙に浮いた存在」の2人が地に足をつけることができるのでは…という淡い期待を私たちにもたらしてくれるが、その裏で「大人」と「子ども」という新たな線引きがこの空間に生まれてくる。
レオンはマチルダの視点を通して「大人」と区別される存在だが、自身では金の管理が出来ず(トニーに一任してしまっている、とも言い換えられる)、牛乳を偏食する「子ども」の要素が見え隠れする。
マチルダも普段の立ち振る舞いは「子ども」だが、レオン以上の社交性を持ち、口調や目線によっては「女性」に変貌する一面も持つ。
2人の身体面や社会的な部分では間違いなく「大人と子ども」に区別されるが、精神的な部分ではその区別が曖昧になる。距離感が確立しない「宙に浮いた」ような曖昧な関係性がもどかしくもあり、そしてなによりの本作の魅力だった。シンプルなラブロマンスではなく、疑似家族ものでもなく、バディものでもない。枠に収まらない関係性は完全版で加わったシーンによって補強されているのも注目したい。マチルダが背伸びをして大人に近づこうとするシーンは二人の関係性を良い意味で曖昧なものにしていたが、マチルダ役のナタリー・ポートマンは少女の性的消費だと感じたという。たしかにそう感じる部分もあったが、個人的にはむしろ少女が無理やり大人に近づこうとする歪さが、レオンとマチルダの関係性に新たな一面を作っていたと感じた。
物語の結末はその歪さの末路といったように感じる。居場所を求めながらも無謀な復讐に挑むマチルダと、そのそばにいようとするもヒットマンとして暗躍するレオン。二人が別れ際に話す「これから」のことも状況からして現実的でなく、曖昧で宙に浮いた言葉だ。
ラストはレオンの形見のようにマチルダが抱いた観葉植物を植えて、ようやく地に足が着いたといったところだろうか。作品のファーストカットともリンクするこのシーンは、居場所のない、歪さを抱いた人物がなんとかたどり着いた場所として描かれていた。ほろ苦さがあるラストが良い味…と言えばたしかにそうだけれども、登場人物の幸せの限界がここであると突きつけられているような気もして、悲しいラストだと感じた。
〇カメラワークとか
・マチルダに復讐者としてのスキルを教えることをレオンが呑むまでの二人のカット割りが印象的。それに至るまでは二人だけの空間でも切り返しショットが大半で、ほとんど二人を同じフレームに入れようとしていない。孤独な2人、という関係性の強調というべきだろうか。
・家族を殺されたマチルダがレオンの部屋に入れてもらうカットと、終盤の激戦から脱出を目の前にしたレオンのカットは、どちらも主観カットで強い光の方へと向かっていく演出。マチルダがレオンを希望として見出したときと、レオンがマチルダを希望として見出したときには大きな隔たりがあった、ということか。だとするとそこも一つ、「二人の歪」の要素と言えるだろう。
〇その他
・やはりナタリー・ポートマンの名演に惹かれる。無邪気な子供の目をするときもあれば、20歳前後のようにも見える色気、冷たさ、含みを持った雰囲気を作りだすこともできる。シーンによって全然印象が変わる芝居が衝撃的だった。
ノーマン・スタンフィールドは、奇妙な悪役の真骨頂
今までずっと観たいと思っていた作品なので、とても楽しみにしていました。そして、やっと鑑賞致しました。
まず失礼ながら不満点を上げさせて頂きます。
映画の進行は突っかかりもなく、スムーズに見れましたが、個人的には何処か退屈してしまうような場面が多かったです。
その理由は、自分が最近の派手な演出を見慣れ過ぎてしまった事にあると思います。昔の映画は演技も演出も自然である事が多いです。自然であるが故に、間の違和感等を覚えてしまいます。
それは受け取り手の問題なので、映画自体は悪くありません。
そして、人によっては少女愛の様なモノを感じてしまい、気持ち悪くなってしまう人も居るかもしれませんが、変にラブシーンを入れてなかったので、そこは安心出来ました。
ですが、ゲイリー・オールドマン演じるノーマン・スタンフィールドは最高ですね。奇妙で何処かカリスマ性の感じる悪役は、最近では沢山排出されていますが、このお方が真打の様に感じます。
ラストシーンも好きな物でした。レオンが射撃されるシーンは直接的に映す事無く、倒れるだけのシーンでした。
その後、ノーマンは置き土産を貰います。
何もかも完璧なラスト。彼処でレオンが助かってしまうと、物語にチープさが出てしまいます。そこを上手く綺麗に終わらせていました。感服です。
決して”家族的な愛”の物語ではない
パッケージや予告を見て、孤独な殺し屋と少女が時間を重ねるにつれまるで親子のような家族愛が芽生えるストーリーを予想していた(通常盤はそのように捉えられる)がこれは男女の愛などだと気づいた
マチルダは自分の年齢を18と偽り(本編で記載はないが設定は12歳)、レオンを愛人と紹介し、レストランで映画のようなキスをせがみ、ベットで初体験を済ましたいと言う(完全版にしかないこのシーンが2人の関係性を表すのにかなり重要)
ゲイリーオールドマンの悪役さはかなりかっこいい!ヤクでキマっている表現がかなりリアルで不気味だった
マチルダの大人っぽく見せようとする仕草や性に対して素直な所があまり好きではないが、中學生らしさは存分に出せていた
名作中の名作
大好きな映画でDVDも所有していますが、やはり一度は映画館で観てみたい。幸いにして今回、期間限定のリバイバル上映があることを知り、その希望が叶うこととなりました。
この映画の魅力はなんといっても登場人物にあります。
主役は寡黙で不器用、子供のように純粋な心を持ちながら、プロの殺し屋として冷静、冷徹、冷酷に仕事をこなすレオン。警戒心が強く、就寝時は常に銃を手元に置き、椅子に座り、片目を開けたまま眠る徹底ぶり。鉢植えの植物が唯一の友人であり、安息の居場所がない根無草のレオン自身を暗喩しています。
ヒロインは12歳の少女でありながら、どこか大人びた色気のあるマチルダ。しかし、家庭環境は最悪で日常的に家庭内暴力を受け、優しさや愛に触れたことがなく、学校にも通っていません。家族を皆殺しにされた後の彼女は文字通り身寄りのない根無草となります。
そして、悪役のスタンスフィールド。麻薬捜査官でありながら麻薬中毒者であり、麻薬の密売人でもあります。覚醒剤のカプセルを噛み砕くとその表情は豹変し、研ぎ澄まされた凄まじい嗅覚で標的を見つけては、なんの躊躇もなく銃をぶっ放す。周囲を震撼させるその様子はまるで『無敵の人』。完全にぶっ飛んだ人物設定なのですが、それを完璧に演じきるゲイリー・オールドマンの演技にはただただ圧倒されます。
映画はこの3人の絡みを中心に描かれていきます。当初はまったく接点のなかった3人ですが、マチルダの父親がスタンスフィールドの麻薬をくすねたことで、マチルダ以外の一家全員が皆殺しに遭い、たまたま外出中でその難を逃れたマチルダがレオンの部屋に逃げ込んだことから3人の関係が作られていきます。
スタンスフィールドへの復讐を目論む12歳のマチルダは、プロの殺し屋であるレオンから殺しのテクニックを学んでいきます。当初は教えるのを拒んでいたレオンですが、マチルダの覚悟に触れて惜しみなくそのノウハウを伝授していきます。
一方でふたりの間には愛情も芽生えます。孤独で愛を知らない根無草のレオンとマチルダ。年の差はあれど、そのふたりがひとつ屋根の下で生活を共にするなか、徐々に心を通わせ、互いを心の拠り所とし、生まれて初めて信頼しあえる大切な存在として認識するようになります。根無草のふたりにようやくできた安息の居場所。
ただし、これは恋愛感情というより、疑似保護者と被保護者のような疑似家族に近い関係性、家族愛に近い関係性でもあり、単純な恋愛感情とは少し違うのかなと自分は思っています。
完全版にはレオンとマチルダが心を通わせる過程が踏み込んで描かれ、特にマチルダがレオンに恋愛感情を抱き、レオンがそれに戸惑うシーンも描かれてはいますが、これは本当の意味での恋愛感情というより、少女が必死に背伸びをして大人に近づこうとする過程で芽生えた感情、あやふやな関係性をなにか確かなものにしたいという心情の表れなのかな、と自分は解釈しています。
物語は残念ながらハッピーエンドとはなりませんでしたが、それでもレオンは無機質な人生から短い間ではありましたが、人を愛する人間らしい人生を送り、マチルダも無事に復讐を遂げ、愛や優しさ触れて、その後は強く生きられたのではないか。そんな希望の見える終わり方だったと思います。
マチルダ尊し
とにかくマチルダが可愛らしかった。
特に印象に残ったのはマチルダが、物真似ゲームをレオンとやるシーン。
普段は大人ぶろうと振る舞っているマチルダだが、単調な生活に飽きてゲームをやろうとレオンを誘う。はじめレオンは困惑するものの、マチルダに合わせようとゲームに取り組む。
殺し屋であるレオンがマチルダに振り回されているシーンに心が温まった。
孤独であった殺し屋レオンが、マチルダに振り回されるなかで、人間味を取り戻していく。
初めはレオンに対して無機質な印象であったが、最終的には親しみがわいた。
スタンスフィールドがヤクを吸ってイカれる演技がとても良かった。最高に気持ち悪かった。
まるで極上の小説を読んでいるような気分になる映画。
やっていることは銃撃戦がメインなのに、ベースに哀愁があるためか、文学的な香りがする。
役者、ストーリー、舞台が揃った名作。
最後のシーンからスティングが流れるエンドロールは最高です。
レオンーノーマンの相討ちは、デスノートの夜神月ーLに匹敵する素晴らしさ。
このシーンのカメラワーク初見の時、リュック・ベッソンは神と思ったくらい衝撃的だった。
マチルダとレオンは、お互いに孤独で、初めて愛する対象を見つけて、疑似家族になった。
必死にマチルダを逃がそうとするレオンに、この瞬間まで生きてきてよかったねと涙が止まらなかった。
そして、マチルダと共に生きることを諦めず、けれど敵を侮ることなく、最期までマチルダを守ったレオンに感服した。
死に直面して、レオンは己が生きることより、マチルダの幸せを願ったんだろうな。
9.11のテロの前のNYは、どこか牧歌的。
今度、NYに行った時、リトルイタリーに行こうと決めた。
とりあえず、来週もう1回、映画館でレオンの世界に浸ります!
初めて見たときはフツーに面白かったが、名作とは思わなかった。完全版ということで2度目の鑑賞。今回はすごく面白いと思った。みんなが名作だと言うのに引かれて名作だと思った。
レオンがブヒブヒ言いながらブタの鍋つかみを使ってでマチルダを笑顔にさせる場面が良かった。ようやくマチルダの笑顔がみれてちょっとホッとした。だけど笑顔の場面なんてここぐらいしか思い出せない。
マチルダが「愛か死」と言ってロシアンルーレットをする場面は、どうなるうんだろうとハラハラした。レオンはマチルダが失敗するとか言ってるし。結局引き金を引いた瞬間にレオンが銃口の向きを変えて事なきを得たが、 「危っぶねー、あやうく映画が終わっちまうとこだった、ヤレヤレだぜい」とホッとした。マチルダの本気度が垣間見えた。
12才と言えばまだ子供でいていい時期だ。だけどマチルダは早く大人にならなくてはならない状況だ。レオンがマチルダに大人になったほうが良いと言ったあとの会話が気に入った。
マチルダ : 「もう大人よ。あとは年を取っていくだけ」
レオン : 「俺は逆だ。年は取ったが、大人にならないといけない」
レオンかっけー。別に名言とも思わないが、レオンが言うとすごくかっこいい。
後年、ナタリー・ポートマンが性的な表現とセリフに対して意義を申し立てたという記事を見た。言われて見ればその通りだ。
2人で同じベッドで眠るの前の告白のセリフなどはかなりひどい。レオンの腕を枕にして安心して眠りにつく場面は、ほほえましい親子にしか見えなかった。レオンも安心したらしく爆睡したようだ。
日本公開時(1995)は普通に面白かったが名作とは思わなかった。公開後、割りと早い時期から名作として絶賛され出したのにはちょっと驚いた記憶がある。名作の定義は人それぞれなので、「レオン」を多くの人が名作だと思うことに異論はない。僕の名作の定義・基準は、その作品を見終わったとき、または途中で、「これって名作じゃね?」と思ったかどうかだ。どの場面、セリフ、展開が名作なのかというのではなく雰囲気で思うだけだ。今回、完全版を見て僕はすごく面白かったし名作だと思ったが、みんなが名作だって言ってることにかなり引かれたことは確かだ。我ながらけっこう適当だと思った。
スタッフロールの文字の色
純粋なハッピーエンドではないがマチルダには幸せになって欲しい。
レオンも多くの人を殺めているので、因果応報とも捉えられる。
ポスターで赤い書体が使われていて個人的に赤いイメージがあるが、エンドのスタッフロールは青い文字が使われている。
この青が薄過ぎず、明るくとも燻んでるとも見える絶妙な色で、ぼーっと眺めてるだけで余韻に浸れます。
やはり名作と言われる映画はすごい。
ずっと昔、中学生くらいのときに親戚のお姉さんに勧められてビデオで見たのですが、そのときは正直そこまで刺さらなかった。アクション凄いな〜映像おしゃれ〜最後のシーン切な……くらいの感想だったと思う。その時はレオンとマチルダの愛は親子愛(家族愛)なの?恋愛なの?と思ってた気がする。でもずーっと心に残っていて、今回リバイバルで近くの映画館で上映されると知り『観たい!』と思うぐらいには強く残ってて。いい大人になり、映画館で観られる日がくるとは。
まず、二人の愛は家族でも恋人でもどうでもいい、とにかく『愛』、その一言。相手のことを心から大切に思い、愛しく思い、ただ一緒にいたい、何が何でも守りたい。これが愛。
ナタリー・ポートマン、『美少女』という言葉を体現したような美少女っぷり。可愛すぎる…永遠に観ていたい…。
そしてジャン・レノのレオンは、とてもとても渋くて格好いいのに、映画を観て子供のようにはしゃいだり、妙に素直で疑うことを知らず騙されてしまいそうな危うさもあり、どこか幼いというかピュアというか。マチルダが大人びた少女で、レオンは少年っぽい大人という感じがした。
愛に飢えていた少女と、愛を忘れていた男が出会い、互いに唯一無二の存在となり、相手から与えられる無償の愛を知る。お互いに与え合っているさまが印象的で、切なくも幸せで。レオンの最期は悲しいけれど、心から人を愛することを知って満足しているようにも見えた。
マチルダがレオンを『大地に根を張らせた』ラストがひたすら美しかった。
okey.
孤独な殺し屋“レオン”に偶然命を救われた少女“マチルダ”の愛しくも悲しいラブストーリー。
この作品は緩急がいい。
オープニングからシリアスな描写を多数含ませ、中だるみしがちな中盤は明るく笑顔に包まれるようなシーンの連続、そしてラストに進むに連れ目が離せないシリアスシーンと、悲しみと愛情に満ちたラストシーン。
単体作品として素晴らしい映画ってこうやって緩急がしっかりしてるような気がする。
そしてなんといってもジャン・レノ、ナタリーポートマン、ゲイリーオールドマンの3人が凄すぎる。
誰一人代役など出来ない、唯一無二の素晴らしい演技だった。
ジャン・レノ演じるレオンの不器用で愛があって、愛おしくもかっこいい演技が好き。
ただ「無」の男ではなく、映画を見て大興奮してしまうところや、植物を「唯一の友達」として育てたり、要所要所に人間味のあるキャラクターになっているので、とても感情移入しやすかった。
その辺も含め、ジャン・レノの演技が光っていた。
ナタリーポートマン演じるマチルダの子役にしてこの存在感。
無邪気で影があって、レオンだけじゃなく、鑑賞者皆を虜にするような妖艶さをあの歳にして遺憾なく発揮している、とんでもない女優だと思う。
ゲイリーオールドマン演じるノーマンのヴィランたるヴィランって感じの化け物感が大好き。
画面で見ててもこんなにゾッとして、思わず吐きそうになるのに、実際に目の前であの演技を目の当たりにしたら、腰が抜けて動けないかもしれない。
好きなシーンだらけで切り取る隙がない程。
でも他の皆様が挙げてなさそうな印象に残ったシーン、というかフレーズはマチルダの“okey”だった。
父親に殴られ続けてもやめなかったタバコをレオンにやめろって言われれば思わず“okey”
何回もオーケーって言うな!!って言われても“okey”
あんなに普段は尖ってるのに、レオンの前、好きな人の前だと従順になっちゃう可愛さが堪らない。
ただ、唯一(愛し合ってから)“okey”と返さなかったのは、最後の別れのシーンのみ。
ラストのシーンは何十回見ても悲しくなってしまう。
レオンの「君のお陰で生きる意味が出来た。俺も地に根を張りたくなったんだ。」という言葉がめちゃくちゃ好き。
マチルダは幸せになれたかな。
いや、もう彼と出会ってからマチルダは、いつまでも幸せなのかもしれない。
ストーリーを完全にしたバージョン
ジャン・レノとナタリー・ポートマンを一躍世界的存在にした、傑作クライムアクション・ロマンス。
【ストーリー】
舞台はニューヨーク。
イタリア系マフィアのスイーパー(殺し屋)として汚れ仕事を完璧にこなすレオン。
同じアパートに住む、粗暴で子供に無関心な両親のもとでDVを受けながら生活するマチルダ。
二人は顔を合わせれば、ひと言ふた言あいさつをかわす程度の間柄だった。
ある日、麻薬の売人の父親が商品の横流しがバレて、一家全員が取引相手のスタンとその仲間に殺され、なりゆきからレオンはマチルダをかくまう。
頭のよいマチルダはすぐにレオンの仕事に気づき、ただ一人自分に懐いてくれた弟の復讐のために、自分にも仕事を教えてくれと頼む。
強く断るレオンだが、やがて根負けして、マチルダに殺人の技術を教えるようになる。
孤独な二人の、親子のようで、師弟のようで、恋人のようでもある不確かな関係の生活が始まる。
レオンの人物像は、同監督の「ニキータ」に出てきたヴィクトルを広げたもの。
ジャン・レノが「あの役で物語を作ってくれ」と頼むほど気にいっていた、冷酷で存在感抜群の殺し屋です。
マチルダ役のオーディションにはリブ・タイラーもいたそうですが、射止めたのはこの映画が初出演となるナタリー・ポートマン。
可憐な外見ながら頭の回転が速く、一筋縄ではいかないヒロインを見事に演じています。
必要なシーンがいくつも抜けていた、スイスチーズのように穴だらけの北米版でしたが、こちらにはマチルダの訓練シーンと銃撃戦の中の告白シーンも補完して、哀切のラストにより強い印象を刻んでいます。
特にATF——麻薬取締局の部隊突入シーンの中、マチルダが「愛している」とレオンに伝えたシーンは出色ですが、北米でのスニークプレビュー(観客にも秘密にした先行上映リサーチ)では、ブーイングとポップコーンが飛び交うほど不評だったとか。
ベッソン監督、これには相当おかんむりで「アメリカの観客は世界で最良とは思えない」としつつも、ハリウッド式の製作については「仕事を広げてくれた」とも語っています。
個人的見解ですが、そのシーンについて、自分は監督の意見を大いに尊重していますよ。
殺し屋と少女
殺し屋のレオンは昔から殺しの仕事を行うことで、
孤独の生活に慣れていた。
そこに家族を失った少女が助けを求めてやってくる。
最初は拒否するところもあり、殺す一歩手前までいくが
踏みとどまる。そして殺し屋の弟子として受け入れ、
2人で仕事を行う中で、その間にはプラトニックな愛が芽生える。
レオンは大切なものに気づくことで生への関心が強く芽生えたところに少女の仇であるスタンスフィールドが住処をかぎつけやってくる。必死の抵抗の末、少女を逃すことに成功するが、肝心のレオンは脱出手前でスタンスフィールドとともに自爆。レオンのお茶目さから感情の移入が激しかったためとても悲しいエンドだったが、ストーリーも秀逸で無駄のない鮮やかなクライマックスだった。
忘れた頃にまた見たくなるそんな映画。
昔見た時は良かった
かなり昔、オリジナル版をレンタルで観た時はかなり良かったと思ったんだけど・・・・今回はなんか、普通だなぁという印象。
オリジナル版では「これは男女の愛かなぁ?単なる疑似保護者と被保護者じゃないか?」とも思えて、レオン=ロリコンと言うのは風評被害な気もした。が、追加されたシーンで、マチルダがレオンとの性行為を望むシーン、レオンが拒否したけどもレオンも気持ちはあるんだなぁと分かる。
ロリコンに特別差別意識は無い。同性愛も昔は病気扱いだったのが、今ではかなり状況が変わった様にロリコンの扱いも変わるかもしれない。
ただ、この二人の関係性に男女の感情は持ち込まないで欲しかったなぁ、少なくともオリジナル版程度の表現にして欲しかった。
もっと根本的な事を言うと、序盤でレオンがマチルダを保護する理由が無いんだよなぁ。殺し屋が、関係無い人間を保護する(絶対、面倒に巻き込まれるのが分かっている)理由が無い。「チョコレートドーナツ」で、その日暮らしのゲイが、隣の付き合いも無い障害を持った子供を保護するのと同じ位に必然性を感じられない。ストーリーの為にそうしましたとしか感じられない。
LOVE or DEATH…孤高の人が拠を得た日々…
Amazon Prime Videoで鑑賞(吹替)。
疑似親子のような関係性から、愛し合う仲へ…
中年の殺し屋と家族を皆殺しにされた少女が織り成すドラマを、ハードボイルド・テイストで描いた、リュック・ベッソンがいちばん輝いていた頃に放った傑作。
ふたりが愛を囁き交わすシーンは、なんだかカラダがゾクゾクして、直視出来ないような背徳感が漂っていました。
劇場公開版では、親子愛と解釈出来る描写になるよう編集された…。それは不本意な形だったそうで、これが本来の姿。
ロリコンとひと括りにしてしまうと、誤った判断を下してしまうかも。確かに過激だけど、そこには美しさが…
訓練や仕事を通して、ふたりは距離を縮めました。互いが互いを大切な拠として、生き甲斐となっていきました。
マチルダの幼さ故の純粋な想い。レオンの不器用な想い。もしかすると破局は規定事項だったのかもなと思いました。
マチルダを逃がす際のレオンの告白が胸に迫って来ました。最後の最後キスするかな?―やっぱりしませんでした。
レオンがスタンスフィールドに撃たれる瞬間を、レオンの目線と一瞬の光の明滅で表現したみたいに、光を効果的に使用したシーンが多くて、印象に残りました。芸術的だし、めちゃくちゃ映画的。スタイリッシュな映像美に引き込まれました。
[余談]
ゲイリー・オールドマンは悪役に限る!
見て良かった
リバイバル上映にて。
昔テレビで見ていたけれど、断片的にしか覚えてなかったので、改めて映画館へ。
レオンが、マチルダに告白されても「腹痛が治って良かったな」とか素っ気なくしていたのに、街で知らない男の子と話しているのを見て保護したくなる、嫉妬してた?ような行動を取ってくれて嬉しかった。
言葉よりも、行動が気持ちを物語っていて良かった。
あともしかしたら彼女がもう少し大人になるまで、せめて本当に18歳くらいになるまで、待とうとしてたのかな、大事過ぎて。そうだったらいいな、と思えた。
どこかで二人で幸せに暮らしている姿を想像したくなる映画だった。
感動
pg12が付いているとどうしても身構えてしまう。
怖いシーンが無いのかなぁと。
家族を殺されてしまった女の子。
家族は父が麻薬をくすねた為、麻薬取締にやられる。
ジャンレノも麻薬取締に指示を受けて殺す殺し屋だが、女の子を助けてしまったことにより、女の子の味方をし始める。
女の子はジャンレノから殺し屋の極意を教わる。
女の子は麻薬取締に復讐をするためにオフィスに突撃するも、捕まってしまい、ジャンレノが助ける。
しかし身代わりに死んでしまう。
感動する。泣くまでには至らずだったけど。
寂しくなった。
・初見は20年くらい前で確かVHS。今回、午前10時の映画祭で鑑賞。何回見たか覚えてないけど、冒頭で家族が殺されるシーンで父親が母親と死ぬ前に一回…の所が丁度、中学くらいだったこともあって記憶に残ってた。それがレオンだったのを観ながら思い出した。あとは、ラストにジャンレノが外へ出られそうな刹那、撃たれて自爆する所が寂しくて印象に残っていた。なので、その後はマチルダが学校へ行って観葉植物を植えるシーンに驚いた。更に寂しくなった。
・観る前にナタリーポートマンがレオンに対して不愉快な記憶みたいな記事のタイトルを見て観ながらやや散漫になりかけたけど、後半には忘れていた。実際は現代では不適切と思うという事と、撮影時は楽しかったっぽくて記事をちゃんと読んでから観れば良かった。
・ジャンレノが殺人のプロなのに字が書けないし読めない。それをナタリーポートマンから教えてもらうのが面白かった。楽しいメモは何もなかったのが辛かったけど。
・誰も幸せじゃないし、幸せな未来が見えないのが良かった反面、苦しくもなった。
・完全版は初見で、どこが追加シーンかわからないかなと思ったら概ね合ってた。それだけ、記憶に深く残っていた。
・冒頭でエクササイズして、チャンネルを独占する姉だったけど、ああいう風に殺されると可愛そうだった。母親は音楽に夢中で何も知らず死んである意味幸せに見えた。
・今思えば、父親は何のためにお金をちょろまかしたのだろう。家族のためだったのか、と思うと切なくなってきた。
・エンディングに流れるスティングの曲も寂しさに拍車をかけて、終始寂しい気持ちになった。
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