乱のレビュー・感想・評価
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戦国時代の広島の戦国大名が毛利元就でその子息が毛利と小早川と吉川で...
戦国時代の広島の戦国大名が毛利元就でその子息が毛利と小早川と吉川ですが、原田美枝子がその毛利元就に敗けた武将の娘で人質として、その毛利元就の子息の一人に嫁いでますが、その毛利元就家を破滅させて、親の仇と最期に本音を吐き、その毛利元就の子息の側近に首を刎ねられますが、また宮崎美子もその毛利元就の子息に嫁いで、その宮崎美子の息子が目が見えなく、もうその母もいなく一人断崖上でが当映画のラストでしたが、以前にフジテレビの番組で、ダイアナ元皇太子妃がフランスで交通事故で死亡し、その英国の諜報機関がMI6とMI5がありますが、その諜報機関員がそのダイアナ元皇太子妃の電話も盗聴し、結婚をしますも聴き、すぐに上司に報告と思いますが、それを証言してましたが、その後に交通事故で死亡ですが、英王室のヘンリー王子がもうカナダ人ですが、そのヘンリー王子が、ダイアナ元皇太子妃とチャールズ皇太子との実際の子ではなく、ダイアナ元皇太子妃が一時、浮気をした際のその相手との子というのがネットにあり、今がDNA鑑定というのがありますが、またダイアナ元皇太子妃の家も名家のようですが、中世に英国内で騎士同士の争いの薔薇戦争がありますが
破滅と美の交響曲 黒澤の半自伝的映画
視力の衰え、自殺を試みた絶望の淵から、黒澤明がその全てを賭けて創り上げた映画『乱』
日本映画界から追放された巨匠がフランスの支援を受け、最後の作品となる覚悟で挑んだこの大作には、時代を超えて響き渡る慟哭と美が宿っています。
物語の核は、愛する息子たちに裏切られた老人の破滅。けれど、それは単なる物語ではなく、黒澤自身の人生と絶望が刻まれた傷跡でもあります。
序盤、「三の城」の戦闘シーンは、息を呑むほどの構図と動きでスクリーンを彩ります。その完璧さは、後にマーティン・スコセッシが『ギャング・オブ・ニューヨーク』で模範したと言わせたほどだ。そして、黒澤を“先生”と崇めるスピルバーグの「プライベート ライアン」が未熟な映画にすら思える。
だが『乱』が真に恐ろしいのは、主人公が正気を失い狂気に飲み込まれる後半部分。その圧倒的なエネルギーは観る者を呑み込み、エンドクレジットが流れても席から立ち上がれないほどの衝撃を与えます。
原田美枝子が斬首されるシーンでは、黒澤映画の象徴とも言えるダイナミズムがさらに洗練され、美しい残酷さとなって胸に刻み込まれるでしょう。
この映画を絶賛したのは世界の名だたる批評家たちの中でも、最も辛口で知られるロジャー・エバート。彼が最高得点をつけざるを得なかった、『乱』に対する彼の批評もまた素晴らしい。
これは単なる映画ではなく、普遍的な破滅の物語であり、芸術の極み。
神や仏も泣いているのだ。
NAGOYA CINEMA Week 2024でこの日一度だけの上映。たまたま休みと重なったから鑑賞。
カラーになってからの黒澤作品は、なんていうか色がうるさくて、好きじゃなかった。七人の侍や蜘蛛巣城、用心棒、、、何度も何度も観たけど影武者、乱は公開以来観ていなかった。
やっぱり黒澤映画は面白いや。観るたびに発見がありますね。
キャストがオーディションで選んだ影武者より、断然良い。
二郎も三郎も亡くなって、丹後は夕陽評論家になっちゃったな。
野村萬斎だったんだ。
仲代さんは偉大な俳優だけど、あの舞台のメイクと舞台の演技はちょっと受け入れられない人はダメだろうな。
哀しい場面には明るい音楽がより哀しさを際立たせるって言ってたのは、黒澤さん本人なのに、哀しい物語に哀しい俳優、哀しい音楽。
主役が三船敏郎さんで、音楽が佐藤勝さんだったらどんなにか面白かったろうに。(三船さんは、映画スター、アクションスターだもんね)
黒澤明の神視線。
神や仏は戦争という人間の愚かな行いに泣いているのだ。
今こそリバイバル拡大公開して多くの人に観てもらうべき作品だと思う。
戦国合戦物の傑作
毒を飲めというのなら喜んで飲む
神も仏も、救う術なし
狂った世の中で、気が狂ったなら、気は確かですね。
刀剣が乱舞するだけなら、見目麗しいことですが、血ほとばしり、肉弾ける映像は、今の時代、ダメみたい。先日、とある特撮映画観たのですが、血飛沫は不要とのコメントが散見されました。ただ暴力は不快なものです。(興味ある方は「ファ二ーゲーム」ご覧下さい。)昔から否定されている暴力ですが、槍が自動小銃となり、馬がレオパルド2に換わっただけで、今そこにある現実です。どんなに殴られても、翌週には青アザひとつ残らないような、暴力をファション化する映像のほうが、問題だと思います。
CGにせざるを得ない今と違って、城燃やすし、血糊も、文字通り出血大サービス状態。その城攻めシーンですが、鬼気迫る映像が、妙に淡々と描かれています。あるコンセプトに基づいて撮られたからです。わりと有名な話なので、どんなコンセプトなのか、調べてね。
全てを手に入れ、全てを失くす裸の王様。「リア王」読んでませんけど、栄枯盛衰の四文字を描くのに、どんだけ金使うんだよって話です。疾走するお馬さんの側で落馬する、かなりヤバいスタントも大盤振る舞い。大きなスクリーンで観たかったな。
それにしても、女性が非道い扱われ方をする映画ですね。人権の欠片もない。逆説的に、人権の有り難みを痛感します。
神も仏も、ヒトの愚かな苦しみを救う術は、無いようです。と云うか、そもそも、救う義理がない?。ヒトのことは、ヒトがやれってこと?。そんな私の戯れ言も、馬蹄の地鳴りに、掻き消されてゆきました。
乱世の非情さ、非人間性を描いた、理屈抜きの名作です。
この時代に戻りたい?。
インパクトNo.1、楓の方…
一文字家に一族を滅ぼされながら長男に嫁いだ楓の方。積年の恨みを家督相続に付け込み、到頭滅ぼすことに。やり方はエグいが女は強い。原田美枝子の怪演が光る。それに引き換え、男どもは権力争いに執着し、情けない。因果応報、自業自得。ときおり歌い出す道化役ピーターが的確な風刺をしたかと思えば、煩わしいと思うこともあり、狂った時間が長いからか仲代達矢の演技にも食傷気味。城を燃やし、人馬大合戦は黒澤映画スケールならではだった。
戦いとは権力者同士の戦いと言うことを見事に描いていると思った。これが武士が行ってきた出来事だ
火山の砂走りの様な所に城を建てて、そこを舞台に見立てて、大掛かりに演じさせた舞台劇と言えよう。大変に素晴らしい芸術と言える。
但し、大殿の年齢が70歳以上と言うのが、やや無理があると思う。リヤ王なのだから、仕方ないが主人公をもう少し別の若い役者さんに演じさせても良かったのではないかと思う。黒沢監督の狙いかもしれないが、舞台上で演技をしているようにどうしても見えてしまう。声のトーンや演技が大袈裟過ぎる様に感じた。まぁ、正に、黒沢監督の狙いだと思うが、生活感が全く見えない。城以外建物が何もない。こんなところでは、農業なんて営めないと思う。狙いだと思うが。しかし、合戦があまり迫力が無いと思った。エキストラが右に行ったり、左に行ったり。何処かの国のマスゲームを見ているようだった。
しかし、戦いとは権力者同士の戦いと言うことを見事に描いていると思った。これが武士が行ってきた出来事だと思って間違いない。狭い日本を家族で分け合えなくて、自らの命まで落とす。世界には出ていける訳が無い。リヤ王が島国イギリスの話であり、同じ様な事をイギリス(イングランド)もやっているが、イングランドは言うに及ばず、大英帝国である。日本はそれを真似たが、沖縄は米国に占領され、北方領土はロシアから返してもらえない。島国のままである。
サムライジャパンと比喩するのは少し無理があると思うが。クール・ジャパンとかね。かっこ悪いと僕は考える。
2024年9月5日 リア王をみた関係でレビューを一言。
『リア王』を見る限り於いて、『仲代達矢』さんよりも『勝新太郎』さんの方が似合うのでは?と感じた。たがしかし、『勝新太郎』さんが降板したのは『影武者』である。
巨匠75歳、自虐の詩w
シェイクスピアを下敷きにした時代劇、地位の逆転と相互不信による自滅に至る物語、女にそそのかされ正気を失い道を誤る男。蜘蛛巣城と本作には多くの共通点があります。では、蜘蛛巣城にあって本作にないものは…。
①主人公と監督の若さと勢いが感じられない。
蜘蛛巣城は37歳の三船俊郎&47歳の監督による、下克上で権力を奪取する物語。若さ、反逆、暴発、夢と野望の挫折を描く。一方、本作は53歳の仲代達矢&75歳の監督による、権力の座から引退する物語。年寄、後悔、権威、不和、懺悔と和解を描く。
②女性たちの恐ろしさが足りない。
本作のヒロイン達、原田美枝子(27)&宮崎美子(27)の二人では、山田五十鈴(40)&浪花千栄子(50)の二人の、この世のものとは思えない恐ろしさにはとうてい敵わない。
③幽玄、夢幻を感じない。
阿蘇の大自然の中でのロケシーンで始まる本作。大自然の中でちっぽけな人間共が縁組みだの家督だのごちゃごちゃやってるのが、みみっちく見えてしまう。その他にも太陽光の下でのシーンが多く、人物の内面を凝視するというより、外面を凝視してしまう。
70歳の要介護老武将(仲代達矢)、介護者狂阿弥(ピーター)、忠臣(油井昌由樹)の3人に比べ、息子3人の描き方が薄っぺらい。太郎も三郎も二人とも狙撃され簡単に死んじゃうし。死に方が全然ドラマチックじゃない。一番面白いはずの次郎の内面には迫らないし。本来は息子3人の相互不信といがみ合いがドラマとして最も面白いはずなのに、じいさんにばかりフォーカスしてもつまらない。ただ、監督が自分の分身として小汚いジジイを創造したというのは、大変面白いと思います。過去の悪行の記憶と周囲の裏切りに苦悩し、狂気と正気を行ったり来たりする主人公の姿は、相当自虐的な自画像に見えます。天皇と言われた巨匠も、内心自責の念を抱えていたということでしょうか。
あと、最後に映画のテーマを忠臣の口を借りてセリフで説明されるのもがっかり。冗長かつ退屈に感じてしまう大作観念映画でした。ただ、監督はもう観客を喜ばせようなんて思ってないだろうことは伝わります。「人類への遺言」という言葉が示すとおり、監督はどこか遠くの方を見ている、あるいは自分だけを見ているようで、凡人の自分にはちょっとよく分かりませんでした。テレビにばかり夢中になっている日本の観客に監督は愛想を尽かしていたのかも知れません。海外では多くの賞に輝き評価の高い本作ですが、国内の興行収入では、ビルマの竪琴、ゴジラに次ぐ第3位、16.7億にとどまり、26億の製作費は回収できなかったようです。
よかった!
子供達に裏切られた父親の悲哀
老いの衰えがもたらす絶望と悪夢
テレビで放送されていた。 37年ぶりの鑑賞。 当時のように黒澤作品に対する過大な期待もなく観ることができたが、印象は変わらなかった。 まず、神様目線を狙っているのか、ほとんどが引きのカメラで、それが劇場芝居を観ているような感覚になってしまう。 役者のセリフ回しも大河ドラマのようで、日本人が見ると安っぽい感じ。 大殿役の仲代達也氏の芝居は、特に演劇的で大げさ過ぎ。 その辺が原因で、カメラといっしょに自分の気持ちも引いてしまった感じだ。
国内外で評価された映像美の部分は、確かに素晴らしい。 前衛映画や実験映画のような幻想的な映像が、役者の演技よりも鮮やかに物語を映し出す。 ただ・・・、 黒澤監督はやはり、モノクロ作品との相性の方が良かったのではないかと感じる。
公開当時、海外での評価は悪くなかったが、国内では、「黒澤老いたり」という本音も聞こえてきた。 私も当時、黒澤作品ならではの引きの強さがないことに正直落胆した。 最も有名な「七人の侍」のように最高のカタルシスを期待していたわけではないが、「乱」には、もはや作品としてのハリがなかった。 高校時代に早口だった友人と40年ぶりに会った時、あまりにもゆっくりとしゃべることにショックを受けたが、 「乱」の印象もそれと同じような感じだ。 歳をとると、否が応でもテンションが下がってしまうのだろう。
黒澤映画という巨大になり過ぎたネームバリューの圧力と、制作費・収益・評価を意識しながらの映画制作は、多感な芸術家である監督の神経をズタズタにした。 老いの衰えがもたらす絶望と悪夢は、現実だった。 結局、狂った大殿の姿は、黒澤監督が自身の心をフィルムに映し出した姿だったのかもしれない。
『七人の侍』、『生きる』、『赤ひげ』の次に好きな黒澤映画を挙げるとしたらこれかも。
スクリーンでは観たこともないのに、テレビ画面だけでも迫力に圧倒される。26億円をかけたと言われる超大作でフランスも出資している。『影武者』のときには感じられなかったダイナミクスはストーリーよりも個々のキャラがわかりやすくて面白いところ。史実に基づかないストーリーの良さなのかもしれない。
まずは一文字太郎孝虎(寺尾)と次郎正虎(根津)の性格の差といきなりの敵対関係。性格の差も面白いが、太郎の正室であった楓の方(原田美枝子)の存在がいい。身内の復讐も絡んで、ドロドロ劇を操作する立場。やがて次郎が彼女の才智に惚れてしまう。もう一人、ピーターが演ずる狂阿弥も狂った大殿(仲代)の心を対称的に描いていたことが面白い。演技は下手なんだけども台詞ひとつひとつに哲学が感じられるような・・・狂った世で狂うならまとも・・・とか。
城の燃え方は尻すぼみだけど、CGのない時代でこれだけ描かれば納得。合戦でも落馬がかなり多く、『影武者』にはなかった迫力が蘇ってきた。そして、黄、赤、青と父親の白。視覚的にもわかりやすく、生き残った次郎の赤に落ち着くところも皮肉なのか・・・狂ったような内輪もめの虚しさが伝わってくる。
4K修復版観たかったなぁ~
自分の中では彼の最後の映画
これは酷い
黒澤が書いた脚本を読んで脚本家の小国英雄はこうアドバイスしたと言う。
「原作のリア王が書かれた時代と現在とでは観客が違う。シェイクスピアの時代、観客は強力な王様がどれほど重要なのか肌で感じていた。彼が死んでいくこと、そしてその息子達が争うことがどれほどの悲劇のなのか彼らは知っていた。彼らの心の中にはいつも他国からの侵略の恐怖があった。だが今の映画ファンはそうではない。脚本はそれを説明しなければならない。キングがどのように強かったのか、どのように賢かったのか、どのように恐れられ、どのように愛されていたのか・・・」
これについて「七人の侍」や「切腹」で有名な脚本家の橋本忍もその自伝の中で同じ意見を述べている。
だが黒澤はアドバイスを無視して自分の書いた脚本のままで映画化した。彼の全盛期の傑作は彼らのアドバイスの賜物だったというのに・・・
そしてこのような酷い失敗作を作ってしまった。原作にはケントという人物が出てくる。その人物がリアを守ろうとする。 それによってリア王がかつて、いかに優れていて、いかにリスペクトされ、そして現在もいかに重要なポジションにあるのかが表現できている。リア王を守ろうとすることは同時に国家を守ろうとすることになるのである。それが上手くいくかどうかということが当時の観客にとってはとてもスリリングでだったのだ。
シェイクスピアは作品の中でこのような工夫をしているのだが黒澤はしなかった。彼の脚本でケントは縮小されリア王の惨めさが拡大された。スケールの大きなドラマとしてのリアリティが失われ、単なる老人が惨めになっていくドラマになってしまった。
それまで強権を振っていた王が突然耄碌したら周りはもっとパニックになるはずだ。原作では子供たちが娘だったので政治を知らない軽率な振る舞いをしてもリアリティがあった。そしてその夫たちの行動には慎重さがあった。乱ではリア王の娘たちのままに新王たちがマヌケな行動をとっている。前王の影響力を恐れて新王や側近はもっと慎重に振る舞うはずだ。そのように描いておけば前王とタッグを組んだ時の三男の持つポテンシャルが暗示され、前王がいっくら惨めになっても観客はそこに期待して最後まで映画を楽しめたことだろう。
・・・写真も全然美しくないし、演技も学芸会レベル。これは駄作中の駄作である。
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただ...
恐るべき、恐るべき映画。劇場で見たならしばらく立ち上がれなかっただろう。合戦映画の頂点で、ライフワークとして望んだ作品を自身の最高峰に仕上げた黒澤明には感嘆する。もうこのような映画は作られることはないだろう。傑作、名作、一級、芸術。
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