「“遺作”として周到に作為された遺作、それでも・・・」ラスト・シューティスト 慎司ファンさんの映画レビュー(感想・評価)
“遺作”として周到に作為された遺作、それでも・・・
クリックして本文を読む
原作小説から、ウェインの実情(ネバダ核実験場近くでのロケによる被曝が彼の患った癌の原因とされているのは有名である)、及びフィルモグラフィー上の虚像とも重なる役柄の実現を構想したのは、ウェイン自身のようだが、
そのウェインの徹底して耐え忍ぶ身振りは明らかに、シーゲル映画の男たちのそれである。
いつだって堪えられない男であったはずのウェインが、
医者の辛辣を耐え、記者の横柄を耐え(?)、
保安官の侮蔑を耐え、未亡人の小言を耐え、
身体に巣食う病魔を耐え、死にゆく己の運命を耐えるのをみるとき、
そのあまりに丁寧に準備された“遺作”としての作為を認めつつも、
涙の流れるのを堪えることができない。
ここまで弱りはてた大男が、一体どんな最期を迎えるのか、
ひとしお大きな感動を愚かにも期待する我々に、その愚かさを突き付けるかのように、
ウェインは何百回目かの決闘の中で、呆気なく死んでゆく。
新時代に負ける旧時代人の哀歌といったメロドラマを徹底的に排し、
最期まで活劇的斗いを演じ切るその姿にこそ、真の感動を覚えなければならない。
コメントする