羅生門のレビュー・感想・評価
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ギラギラ&ダラダラ
タイトルは知ってるけど、見る機会がなかった名作。世界のクロサワじゃ。
デジタルリマスターなので、画像は良くなっているんだろうけど、音声は時々聞こえづらい。雨の中の羅生門が特に。でもまあ、少し気になる程度かな。一番印象に残ったのは、汗。ものすごいダラダラじゃないの。よほど暑かったんだねぇ。
三船敏郎が若い。野性味がプンプン。真砂はけっこう多襄丸がタイプだったんじゃないの? それか、どこか安穏とした暮らしに収まらない、破滅願望の女。そういう女と気付きながら、黙っていた夫。この夫婦には、すでに隙間風が吹いていたのかも。そして、どちらもプライドが高い。
今見るとそれほど新鮮に感じないが、クロサワチルドレンがたくさんもどきを作って、それを見ていたから、そう思うわけか。今この時代に見るのは、いわば遺跡の発掘作業のようなものかも。
そういえば、ほぼ同じ内容で、天海祐希、豊川悦司、金城武で映画になってたと思う。天海祐希が脱いだ、というプレミア付き。金城武は好きなんだけど、今何してるのかな。すてきなおじさまになってそう。
NHKのデジタルリマスター版の放送にて。
羅生門効果という心理学用語のネタ元の映画
羅生門効果(Rashomon effect)。事実は一つのはずなのに「こうだった」という認識が三者三様であることに気がついた心理学者(確か家族療法家だったと思う)が、その現象に対して、この映画をヒントにして名付けた心理学用語。
皆”嘘”を言っているのではない。
そこで起こったこと、すべてを言語化するわけではない。何を取り上げて何を割愛するか、その取捨選択だけでも、三者三様の物語ができる。
加えて、内的真実(自分にとっての真実)としてそう思い込む。過去の出来事がこうであったから今経験しているのも「こうであるに違いない」と思い込むこと、認知の問題、自己防衛、情緒の問題、コミットメントの度合い…様々な要素からその人にとっての真実(内的真実)ができあがる。それは、時を経るに従ったり、いろいろな経験を積み重ねたり、見識を広げたり、心を豊かにし深めたり、自分と直面する勇気を持ったりすることで変化していく可能性を持つもので、だからこそ、心理療法ができるのだけれど。お互いの観方・そう見た背景を分かち合うことで「ああ、そうだったのか」その方の世界観が変わっていく可能性をも秘めたものであり、お互いの世界観に橋を渡せる可能性をも秘めたものである。
映画のレビューを拝読していても、同じ映画を観ているはずなのに、そこに何を感じ、好き嫌いはともかく、とらえ方にも様々なヴァリエーションがあって…。摩訶不思議。
ある男の死に至るまでの夫々の言動。
多襄丸は繰り返し言う。「どうせ死罪になるんだ。今更嘘を言って言い逃れしても仕方がない。本当のことを言いましょう」でもね、君の話や被害者の話を聞いている者からするとね、やっぱり自尊心を守りたい為の”嘘”に聞こえる。殺された夫にしても、残された妻にしても、一部始終見ていた杣売りにしてもそれは同じ。皆自尊心は守りたいよね。そうであったと自分に信じ込ませなきゃやっていけないよね。虎は死して皮を残すが、人は死して名を遺す。西洋なら、墓碑にどう書かれるかが大事ということか。
そんな人間の浅はかさ、おかしさ、恐ろしさが映像として描き出された映画です。
なんて書くと、重苦しいだけになってしまうけど。他のレビュアーの方も書かれていますが、カメラワークの美しさ、登場人物の人間臭さ。躍動感。同じ人物を四通りに演じ分ける三船氏、京さん、森氏の演技、それを器として支える志村氏、千秋氏、上田氏の演技に息を飲みます。本間さんの依りましのインパクト、雛人形の仕丁(五段目)さながらの加東氏も華を添えてくださいます。
「男は黙ってサッポロビール」等重厚なイメージの強かった三船氏のはっちゃけぶり(@_@;) 字で書くとどうしようもない盗賊の役柄なんだけど、三船氏が演じるとものすごくキュート(*^。^*) それでいてあの迫力。命そのものがぶつかってくるような荒々しさ!(^^)! 野性味!(^^)! ビックリしました。かっこういい立ち回りから、腰が引けたどうしようないビビりの切り合いまで、縦横無尽に演じきる凄さ(*^。^*)
ライオン・黒ヒョウ等がイメージなのだとか。体に油を塗って、野性味を演出したとか。疾走感を出すためのカメラの工夫とか、様々な工夫と、その演出にこたえる三船氏の演技!!!
京さんは、お淑やかな雛人形、清純そのものといった佇まいから、男を手玉に取る妖艶な美女まで。しかも、その両極端を演じきるだけではなく、男に抱かれた後に捨てられるのではと予感させられて茫然とする表情とか、本当に多彩、様々な心情を細やかに見せてくださいます。
この二人に対して森氏は”静”の役回り。縛られている場面もあるし、性格的にも冷静な武士という役回りだったから、あまり動き回っての派手な演技はありませんが、四者の証言によって浮き彫りにされる微妙な性格の違いを魅せてくださいます。しかも、そんな”静”の武士が、死してなお語るその思いの激しさ。
この三人の拮抗した演技力のぶつかり合いが絶妙です。
暑さが起こした事件?暑さが見せた幻影?
多襄丸が真砂を見初めるシーンのすがすがしさ。一幅の絵画のよう。
そんな絵にも心を奪われる。
加えて、羅生門場面での志村氏、千秋氏、上田氏の演技も素晴らしい。出番が少なくて動きも少ないのにインパクト大。
森の場面でも、羅生門の場面でも、三人の立ち位置の変化が、面白い。それをみるだけでもワクワクする。
四者の証言を聞いて混乱した気持ちが、羅生門での会話に(内的言語で)参加することによって少しずつ、それなりに心の中に落とし込んでいけるかと思うと混乱させられ、ラビランスの迷宮のようにさ迷い始め、つい柄にもなく哲学的なことを考え始めてしまいます。
この三人の会話がなかったら、盗賊・殺された夫・残された妻の物語を見せられて放り出された気分のまま収まりがつかずに終わったのだろうなと、この部分を持ってきた監督に座布団1枚の気分です。
ラスト。完全に監督オリジナルの展開。でも、ある行為から、財政的にある程度余裕ができたからの行為でもあるよな、なんて、ちょっと意地悪な見方もしたりして…。
それでも、根っからの悪人なんていないのだろうとも思わせてくれる。
旅法師たちの話の間降り続いていた集中豪雨も上がっての幕。
人間を考えると言う点でも、カメラワークや演技を堪能するという点でも、何度も見返してしまいます。それだけの価値のある映画です。
文句なし!
今でこそ“羅生門スタイル”として映画の一スタイルになっているが、この当時はかなり実験的な内容も盛り込んだ黒澤明の出世作。最初は橋本忍が3日で書きあげたという「藪の中」だけであったが、短いということで黒澤明の協力により「羅生門」をくっつけたという。
多襄丸(三船)が下手人であることは間違いなく、貴族の妻(京マチ子)が彼に手ごめにされたことも間違いない。人間のエゴと嘘。人間には嘘で固めたほうが楽になるという言葉どおり、殺すことや不貞が本人によって都合のいいように思いこむ。まともな人間なんていない・・・人間不信になってしまう荒んだ世の中はいつの時代にも通ずることかもしれない。
多襄丸の証言:男の目の前で妻を手ごめ。後に決闘で男を殺した。
妻の証言:短刀で夫を殺した。
本人の証言:いつの間にか短刀が刺さっていた。
杣売の証言:あくまでも短刀ではなかった。
それに加えて、「殺してくれ」と言ったかどうか、妻の不貞にどう対処したものか・・・などと、各自の尊厳を保つような嘘で固められるのだ。最後には杣売も短刀を盗んだことが暴かれてしまい、坊主までが人間不信に陥りそうになるというラストシークエンス。しかし、最後には温かいエピソードとなるところで極上の作品に仕上がっているのでしょう。
脚本もさることながら、宮川一夫の撮影技術が凄い。タブーとされる太陽を木漏れ日として直接撮った初めての映画らしいし、雨に墨汁を混ぜた重々しい映像や風そのものを感じさせる葉の影など、細かなこだわりが凄い。
音楽ではボレロ風の曲が使われていたけど、羅生門スタイルの映画『閉ざされた森』なんてのはモロにボレロだったなぁ・・・やっぱりオマージュだったのか。今の感覚で点をつけたら4点なんだろうけど、スタイルを確立させた功績を称え5点。
今見ても全く色褪せない
最後の証言が真相だとは思えない
【”羅生門に棲む鬼は人間の恐ろしさを見て逃げ出した・・”エロティック&バイオレンス&人間の悪性、善性を全て盛り込んだ傑作。】
ー 京マチ子演じる、野武士(世界の三船敏郎)に手籠めにされた武家の妻真砂のファム・ファタールの姿に、戦慄した作品。ー
◆感想
・内容は、これだけの名作であるので、人口に膾炙している前提で割愛
・野武士(三船敏郎)に手籠めにされた京マチ子演じる、金沢真砂の自らを助けられなかった、武士の夫金沢武弘に対する掌返しの姿が、凄まじい。
涙を流しながらも、夫を見捨て、野武士に”一緒に連れて行ってくれ”と、懇願する姿。
野武士が、躊躇う程の真砂の姿を、人間の悪性と観るか、本性と観るかはどうかは、観る側次第である。
◆真砂役を、原節子自身が演じる事を熱望し、黒沢明監督も望んでいた事は、多くの人が知る事である。
ー石井妙子著作の「原節子の真実」を一読されたい。ー
だが、映画製作会社の思惑により、それは叶う事はなかった。原節子の清楚なイメージに合わなかったからである。
それ故に、今作の京マチ子の演技は、鬼気迫るモノである。
三船敏郎も、森雅之も、飲み込んでしまっている。
<近代邦画が世界に対し、
”大和撫子は、このように激しい感情を持っていたのか、正に京マチ子演じる金沢真砂は自覚無き、恐ろしきファム・ファタールではないか。”
と世界を震撼させた一作。
今作以降、黒沢明と、小津安二郎は全く違う世界観も持った作品を世に出していく。
全てを知る、志村喬演じる羅生門の下で雨宿りする男が、盲目の僧(千秋実)から幼子を引き取る姿に、人間の善性を凝縮させており、今作の幅、奥深さを醸し出している作品でもある。>
時間配分が
人の闇の部分・疑心暗鬼を描く作品
黒澤明監督の名前は映画好きでなくても大抵の人は知っていますし、この「羅生門」は彼の作品の中でも特に「名作」と名高い作品ですので以前から知っていました。しかし鑑賞するのは今回が初めてです。小説の「羅生門」は学生時代の国語の教科書に載っていたので知っていますが、「藪の中」は未読のため、内容に関する前知識はほとんどない状態での鑑賞です。
結論。面白い!!!!
70年前の映画とは思えないほどに面白い!!!もちろん映像の古さはありますが、内容に関しては全く古いと感じさせないような、現代人にも通じるようなテーマを含んだ作品でした。映像の見せ方や構成も見事です。
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急な雨に打たれ、雨宿りのために羅生門の下にたどり着いた下人。そこには先客の旅法師と杣売りが雨宿りしていた。「わからねえ、さっぱりわからねえ」としきりに呟く杣売りに下人は「何がわからねえんだ」と質問する。そして杣売りから、とある殺人事件についての話を聞かされる。それは、事件関係者の証言が全員食い違っている奇妙な事件の話であった。
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杣売りは死体の第一発見者、旅法師は生前の被害者を最後に見た人物として検非違使(現代でいうところの裁判所)に呼ばれ、関係者全員の証言を聞いたのだが、全員の証言が大きく食い違っており、何が真実なのか分からない。そして最後にとある人物の証言を聞くことで、事件の真相が明らかになるという構成になっています。武士や下人が登場するので時代劇のような作品を想像していましたが全くそんなことはなく、内容は非常に上質なミステリ映画でした。
とある一つの殺人事件に関して、その事件の関係者が事件の概要を説明する。
関係者の証言を聞いていくうちに想像していた事件の概要が180°変わってしまう「白ゆき姫殺人事件」とか、調べれば調べるほど事件の真相に近づいているように思うけど全然そんなことなかった「サーチ」という映画ありましたけど、なんとなくその手の映画に近い気がしました。いや、ちょっと違うかな。とにかく、現代の映画にも通ずる全く古臭さを感じさせない表現を用いた、素晴らしい作品です。
黒澤監督の名を世界に知らしめた作品としてあまりに有名であり、海外にもファンが多い(らしい)この「羅生門」ですが、時代を超えて楽しまれる作品だと実感させられました。めちゃくちゃ面白いです。
公開された時代も良かったのかもしれませんね。1950年といえば、第二次大戦の傷もまだ癒えていないころでしょう。その時代背景と映画内の荒廃した都の情景が絶妙にマッチしていただろうと、容易に推測できます。
検非違使から見たようなカメラアングルで各証言者の語る姿を見せられるのは、「観客のあなたが事件の真相を導くんだ」と言われているような演出です。本当に良かった。
また、「人は信用できない」「疑心暗鬼」を描くようにストーリーが進みますが、最後に「人間も捨てたもんじゃない」という一筋の希望を残して映画が終了するのも非常に良かったですね。
古い映画だからという偏見を持たず、多くの人に鑑賞してほしい素晴らしい映画でした。
オススメです!!
人間のもつ深み
人間の愚かさと奥深さを描いた芥川龍之介の「藪の中」、「羅生門」を、映画という形で再構築した大傑作。人間の持つエゴイズムを哀しいほどにまで炙り出し、見事な映像表現と迫真の演技で観る者を圧倒させています。
冒頭から映し出された降りしきる大量の雨、多襄丸と侍の藪の中での立ち回り、演者を照らす絶妙な光と影、、、 これらの圧倒的な映像美だけでも見惚れてしまうのに、食い違う証言を巧みに物語の中で構成させることによって、人間のエゴイズムを問いかける手腕は素晴らしいとしか言いようがありません。
黒澤監督は、芥川が文学で炙り出した人間の本質を、映像という形で新たに再構築し、より芸術性を高めていると思います… 人間の欲望や意思、その奥に秘められている人間の本質は、演者の目つき、表情、声、顔を浸る汗、照らす光の具合や、まわりの音などによって、無限の奥深さを与えてくれます。京マチ子演じる女は、恐ろしい程の数の顔を持ち、何を想い、何を感じ、何を望んでいたのか、答えのない幾つもの人間性を曝け出しています。視覚的、聴覚的な感受性、これこそ映画のもつ究極的な面白さで、物語を感じ取り、解釈する仕方を無限に広げてくれるのです。
最後に、この映画は人間のエゴイズムを炙り出しているとは言ったものの、本当にそれだけでしょうか。証言がそれぞれ異なるのは、何も自分を正当化するエゴイズムだけでなく、もしかしたら皆何か別の想いがあって、誰かを庇う部分があったのではないか、、、そんな複雑な心境が証言に含まれているのではないかと思いました。エゴだけでなくて、こんな可能性もあるかもしれないから、より物語が複雑になって深みを増しているのだと思います…
ヴェネチア獲ってるし誉められ尽くしているからとやかく言うものでもな...
ヴェネチア獲ってるし誉められ尽くしているからとやかく言うものでもないが、やはり別格。頭から黒澤明を見直してる最中だけど、カメラマンでここまで質が高まるものなのかと驚いた。演出を聞いてそれ以上の事をしてくれるスタッフの何とありがたいことか。全ての要素が噛み合っている。完璧。
ようやく、観た。
ようやく、「羅生門」を観た。地上波TVですが。NHK、ありがとう! 世界の黒沢監督が、1950年にベルリンを獲った作品なんだと、クレジットで知った。
俺が生まれる10年前の作品とあって、音はさすがに厳しい面があるけれど、画像はリマスターによってかなり観られる感じにはなっているよね。
原作の「藪の中」と「羅生門」を組み合わせて、現代ではもはや想像すらできない過酷な環境の中で、嘘ばかりつきながら、それでもなお人間らしさを残して生きている "ヒト" に対する、高らかな人間賛歌になっているんだね。
自分は、原作の一方になっている、芥川龍之介「藪の中」がとても好き。夏目漱石の「夢十夜」と並んで。本を読まなかった高校時代に唯一読んでいた小説。
前半にあたる「藪の中」部分。
何が本当かわからない、3人それぞれの言い分。この映画では、原作の真相を、女に翻弄された男たちとした。加えて、事実を、各自の心の中で、自分に都合のよい話に置き換えて、それぞれ全く別の話と信じ込んでしまう、弱い心の人間たち。そういう解釈にしたのだな・・・と納得はした。
後半の「羅生門」部分も、原作の突き放すような結末ではなく、人間愛を感じさせる結末にした。だからこそ、本作の人間賛歌が成り立っているということもよくわかる。人間に対してあれだけ絶望させておいて、最後の最後は、それでも人間を信じたくなるという余韻を残すところが名作なんだなあ、と思った。
ただ個人的な感想は、甚だ不遜な言い方だが「惜しかったなあ」だ。この映画の本質をなす部分のために、上記したように原作を解釈したわけだが、その結果、原作のひとつ「藪の中」がもつ "摩訶不思議な感じ" がぐっと小さくなった点が惜しかった。
自分は、この原作の不可思議感が極めて好きだったんだなあ、と感じている次第です。原作はごく短い小説なので、気が向いたら読んでみてください。
また、映画館が開いたら、是非どこかで上映してくれないかな。
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