「正視に堪えないが、見なければならない私たち人間が行なった業について」夜と霧 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
正視に堪えないが、見なければならない私たち人間が行なった業について
【死の臭い】
父が「夜と霧」を書棚に持っていた。
みすず書房。
古い本なので、箱も装丁も黄ばんでいたが、ベージュの硬いブックケースから取り出すと、少し破れた薄いハトロン紙に包まれた本体が現れる。
子供時代の僕は、父の蔵書を見るともなく見、読むともなく読み、ヴィクトール・フランクルのその文体と白黒の写真に触れていた。
ハトロン紙を傷めないようにそっと手に取る。この本のカビと埃のにおいは、死の臭いがして、
禁断の書への怖れと死臭が一体になり、僕を青くさせた。
そんな本を書斎に並べている両親だから、僕は子供時代から幾度も家族そろって「アウシュヴィッツ展」に=新聞社のホールに出掛けていたし、黒い暗幕を張った、呼吸イキも詰まる上映会場で「そのフイルム」もたびたび見てきた。
うちには生々しい、分厚い「写真集」もあった。メンゲレの生体実験など。
怖くて苦手なのだ。
あの頃いきなり、予告もなくスクリーンを見せられたから。その時々、目を閉じる間もなく、耳をふさぐにも間に合わず、眼前に突きつけられて見てきたのだけれど。
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【かの地との再会】
この同好サイトは「新しい映画」や「新しい人との出会い」をいつも僕にもたらせてくれる。自分好みのチョイスだけでは到底発見できなかったであろう「人」や「作品」に出会える場だ。
ひとりのフォロアーさんが現地、つまりポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ (独語読み)まで、実際にその足で旅して行ってきたのだと知り、僕は非常に驚いたのです。
知り合いであの地を訪ねた人とは初めて会ったので。
それで目標を立てたのです。
「1月27日」がアウシュヴィッツ解放80周年であるゆえ、僕の2025年の年頭の目標は「この80周年の年に『夜と霧』をもう一度観る」こと。
・・だったのだが、しかし
どうしても怖くて手を出せずに、延び延びであり、ついにこんな年末に至ってしまった始末です。
レンタルDVDを借りた。
YouTubeにも、34分。そのままでアップされています。
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【映像証拠】
記録好きなドイツ人気質は、ホロコーストについても詳細な文書とフイルムを残し、その膨大な記録はあまりの量の多さから、連合軍の到達前に焼却と隠滅が間に合わなかったほどだ。
「映画」を見れば分かる。人間の所業が。
フランクルは3個所の収容所から生還し、メモと記憶を元に、生還直後に=1946年に「夜と霧」を出版している。
そしてあの著書の中で「状況を超えてなお人間の生命の支えである『希望の力』について」レポートしている。いわく
=「クリスマスに我々は解放されるらしい」との噂が収容所内で流れて、
=しかしクリスマスが過ぎると、それまで保っていた囚人たちがバタバタと、潰ツイえて死んだのだそうだ。
嗚呼、ユダヤ教徒はクリスマスを祝わない人々なのだけれど。なんということだ。
彼の著作は、精神科医であり心理学者であったフランクルの、言語を絶する極限状況下での、静かなる観察日記だった。
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【記録映画の今後について】
NHKには「映像の20世紀」という優れたアーカイブ・ドキュメンタリー番組があった。
その映像は地理的にも時間的にも自分たちとは離れた場所で、しかし確かに起こった世界史の諸事件を、記録映画で見せてくれるものであった。
映像には言語を凌駕する力があったのだ。
けれど今や「AIの偽物映像」が全世界で跋扈している。YouTube やTikTok の動画コンテンツは、 その映像の信用度を完膚なきまでに、徹底的に破戒し、侵している。
感動も、驚きも、善行や悪行や、そして家族の愛や 涙さえも、 すべてが悪ふざけと視聴数稼ぎの《作りものの嘘映像》に溢れている。
もう誰もがハナから映像を信じない時代に突入してしまったのだ。
見れば分かるはずだった「夜と霧」の震撼も、解放80年にして、その使命が失笑と共に潰ツイえていくのだろうか。
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【クリスマスの晩に鑑賞】
フランクルは述べたのだが、希望が絶望を超えるとはどうしても信じられない。
神がもしこの世にいるならば、
我々が根底から造り変えられて救済されるのでなければ、時効など許されずに、あるいはいっそのこと滅びてしまったほうが良い。そんな
「人間の業」がここには映っている。
抑えたナレーションは「人類を侵す記憶の風化」についても厳しく迫っていた。
アウシュヴィッツ解放からたかだか10年後の、青々として緑の野を映しながらである。
今や「映像の死」も起こっている。
「ネタニヤフ調書」、「手に魂を込め、歩いてみれば」、そして本作を続けて観た。
いろいろと考えながら年末を過ごしている。
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きりんさんのレビューは、ご自身の経験や人生も書かれているので、いつも楽しみにしています。
そうなんです。中央線。映画館多いですよ。こちらこそありがとうございました。来年もレビューを楽しみにしています。
きりんさん、とうとう鑑賞したのですね。きりんさんの幼少期のトラウマは「アウシュビッツ展」。私は「原爆展」です。被爆者の写真が怖くて直視できませんでしたが、大人になってからあの写真は中学生だと知るのです。あの写真は子供だったのだと。涙が出ました。

