悪魔のシスターのレビュー・感想・評価
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現在では作品化不能
『キャリー』の3年前のブライアン・デ・パルマ作と聞くと観たくなるよなぁ。窓越しに見えた隣のビルの一室での殺人事件を追おうとした女性記者が巻き込まれる恐怖の体験と言うお話。
謳い文句の「ヒッチコック以来の恐怖映画」と言う程の品はないのですが、突然ドンと飛び込んで来るエグさとゾワゾワはやはりデ・パルマでした。また、原題「Sisters」に邦題で「悪魔の」なんて安っぽく付けたのは「エクソシスト」に端を発する当時のオカルト映画ムーブメントに乗っかろうとしたんだろうな。(ただし、本作はオカルトではありません)
ちなみに、「本作の設定(シャム双生児)は、今では作品化出来ないだろうな」と感じてしまうのは、僕自身が時代性に縛られているせいかな。
0074 スーパーマンもいつか殺されるのかな
1974年公開
荒れたフイルム、荒れた叫び声
マーゴットキッダーだけで恐ろしいわ。
デパルマ師匠をメジャーにした作品。
この時代からスプリットスクリーン使ってたのね。
(キャサリンロス主演コメディでも使用しているが)
カメラワークも洗練されておらず強引さが目立つが
出来事が論理的に繋がっており納得感はある。
殺しのドレスが一卵性双生児のような気がします。
60点
ダニエルは魅力的でドミニクは怖かった
モデルのダニエルは、テレビ番組で共演した黒人青年と意気投合し、スタテン島の彼女の部屋で男女の関係になった。 翌朝、豹変したダニエルが青年をナイフで刺殺するところを、向かいのアパートに住む記者のグレースが目撃した。彼女は警察に通報し、ダニエルの部屋を調べたが、殺人の痕跡は無く、誤報扱いとなった。グレースは納得出来ず、探偵を雇い調査を続けた。すると、ダニエルがかつて結合双生児だったことがわかり、夫は手術を担当した医師だとわかった。真相究明は・・・という話。
ソファーの中に死体を隠すとめちゃくちゃ重くなるはずだが、バレないのかな。廃棄業者に気づかれなかったというとこはコメディなのかも。
記者のグレースはなかなか執念深く面白かった。
見つからないように、と思う気持ちと、探し出せ、という気持ちが一緒になって鑑賞してた。
結合双生児の姉ダニエルは美しくて可愛く、妹ドミニクは怖かった。
なかなか面白かった。
素晴らしかった
50年前の映画で、30年ぶりに見た。劇場では今回が初見。90分であっという間に終わる傑作。みんなももっとスプリットスクリーンを活用したら、映画はこんなにもタイトになるよ!と大声で教えて回りたい。
邦題が一語も意味を成していないのが、当時流行ったセンスとはいえどうかと思う。ニューヨーク派なのにイロモノ扱いなのが可哀想。
分かりずらい…
映画館で眠くなりウトウトしながら観て分かりずらかった。
ウトウトしてたから見逃したんだろうと思って、ディスクを買って2回目を観賞したけど、特に見逃してなく、やっぱり眠くなる、途中からダレます(笑)
途中までは面白かったんだけど、終盤が複雑で分かりずらくて台無し…
そのせいで減点(笑)
4つ星ならず(笑)
なんか惜しい作品…
若き日のデ・パルマの才能を感じよ❗
92分の映画を観るために、片道2時間30分かけて新宿の劇場へ。
“シネマート新宿”には2〜3年に一度くらいしか行かないが、何故かいつも雨…。
大小2つあるスクリーンの大きい方に本作はかけられていて、300超の客席がほぼ満席だった。客層は老若男女様々。
な〜んだ、皆んなデ・パルマが好きなんじゃないかい!
…と、思いつつ、この映画が劇場で観られることの喜びを噛みしめたのだった。
この映画はデ・パルマの日本初上陸作品。これ以前の作品は、かつてソフトがリリースさたことがある作品も今は廃盤となって入手困難だ。
ヒッチコックに傾倒していたデ・パルマが、初めて手掛けたサスペンスである。
ハリウッドで挫折したデ・パルマがニューヨークに戻って撮ったこのホラーテイストのサスペンスは、ザ・ニューヨーカー誌の映画評などで絶賛され、全米公開時には“The most genuinely frightening film since Hitchcock’s ‘Psycho’!”(ヒッチコックの「サイコ」以来最も恐ろしい映画!)というハリウッドリポーター誌のコメントがPRに用いられた。異常殺人の題材が『サイコ』(’60)を連想させるだけでなく、演出技法で同じヒッチコックの『めまい』(’58)や『裏窓』(’54)からの引用があることをアメリカの批評家たちは読み取っていたはずだが、後にデ・パルマが否定的評価を受ける“ヒッチコック的”な面について、この時点では非難の的とはなっていない。
一方、日本公開時のポスターには「“エクソシスト”を凌ぐ衝撃」と書かれていて、配給側はサスペンスではなく恐怖映画に分類して訴求しようとしたことがうかがえる。(それ程『エクソシスト』(’73)の印象が日本人には強く残っていたということでもある)
デ・パルマ自身はヒッチコックへの憧憬の他にポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)にインスパイアされたことを後に語っている。意識朦朧となった主人公が結合双生児の分断施術の幻覚を見る最もホラー的なシーンに、その影響が現れているのかと思う。
私が最も好きなデ・パルマ作品『殺しのドレス』(’80)では、主人公だと思われたアンジー・ディキンソンが殺され、途中から登場したナンシー・アレンが主人公となって捜査をする。
この、主人公が殺されて途中で別の主人公が引き継ぐ構成は、『サイコ』の模倣だと言われている。
本作も、主人公だと思われたマーゴット・キダーが事件を隠蔽する側にまわり、途中から登場したジェニファー・ソルトが主人公となって捜査をする。ただ、キダーは殺されずに出続けるので『サイコ』との類似性をそれ程感じない。『殺しのドレス』はこれを焼き直したのだと思う。
とはいえ、犯人が死者の人格を内包していてその人格に支配されている設定は、明らかに『サイコ』から着想されていて、それを死者とは知らず後に殺される犠牲者が2人の口論する声を聞くところなどは、マルっと拝借している。
『殺しのドレス』はこの設定を性倒錯の二重人格に発展させている。
デ・パルマがこの映画で試みたのは、事件が起きる前にキダーが演じるダニエルを守られるべきヒロインだと観客に信じ込ませる操作だ。長めの尺を割いてその計画を進めるために、ウィリアム・フィンレイがつきまとうサスペンスや、キダーのエロティックな場面を散りばめて観客を飽きさせない工夫をしている。
また、密室で殺戮が行われるため、状況的にダニエルしか犯人たり得ないことをカモフラージュするために、意味不明な薬をキーアイテムのように登場させている。
『サイコ』のマリオン(ジャネット・リー)は殺される前から自身が犯罪者で、その犯罪をめぐるサスペンスかと思わせておいて、全くそれとは関連性のない事件が本筋となることで観客の意表を突いている。
本作では、観客はダニエルをヒロインだと思わせられているので事件が起きても直ぐに彼女が犯人だとは思わず(あるいは、あの薬が切れた所為かと思い)、彼女を守るヒーローなのかと思われた黒人青年が殺されたことに戸惑う。
ダニエルは犯罪に巻き込まれたかわいそうなヒロインのままなので、逆に目撃者の記者グレース(ジェニファー・ソルト)がヒロインを追い詰めるのではないかと心配になる。
観客はデ・パルマの術にまんまとハマってしまっているのだ。
『サイコ』は死者である母親にノーマン(アンソニー・パーキンス)が心の中で支配されていたという事件の真相の後に、母親は実際に亡霊と化して存在しているかのような終幕が衝撃的だった。
『悪魔のシスター』は、事件そのものよりも、結合双生児の一方であるダニエルに対するブルトン医師(ウィリアム・フィンレイ)の変質的な愛が背景にあることが不気味だ。
結合双生児のもう一方ドミニクの死の真相、ダニエルが男と関係をもつとドミニクの殺意が表面化する理由、そのどちらにもブルトン医師の異常愛が影響しているのがなんとも気味悪い。
また、かつて警察を糾弾する記事を書いた記者グレースの訴えを刑事がまともに取り合わないとか、精神病患者の静養施設で施設長のブルトン医師がグレースを新たな入居患者だと言っただけで、職員は彼女の言う事を異常者の発言だと思いこんでしまうなど、人間心理の皮肉を巧みに用いている。
そして、ブルトン医師に催眠術をかけられたままのグレースは、ブルトン医師が死んだことによって生涯催眠から解かれることがないという、想像するに恐怖が増す結末で、事件は解決されない。
ダメ押しのエンディングには、死体が隠されたカウチの行方を追い続けている探偵ラーチ(チャールズ・ダーニング)の姿を映すのだが、誰かが何も知らずあのカウチを手に入れて、なにかの拍子に、あるいは死体の腐敗でそれに気づくところまでを想像すると、身の毛がよだつ終幕だ。
この作品で、デ・パルマはすべてのシーンに絵コンテを起こしたという。そこには既にデ・パルマ カットの片鱗があった。
ダニエルが男をベッドに誘って体を重ねる場面で、抱き合う二人を捉えたカメラの視線が徐々に下がりながら寄っていくと、遂にダニエルの腰に恐ろしげな傷跡が現れる。ここではバーナード・ハーマンの音楽が大げさに盛り上げる。
男がバースデーケーキをベッドルームに持っていく場面では、後ろからと前からのカットが交互に切り換わり、背の高い男の目線とベッドに横たわる女の位置関係を表したアンクルが絶妙だ。
スプリット画面は、事件を目撃した側と事件を隠蔽しようとする側を同時進行で見せるために極めて効果的に用いられている。
探偵ラーチが事件現場の部屋に潜入して捜査する場面は明らかに『裏窓』を真似ているが、角部屋の構造を立体的に使った点で、平面的だった『裏窓』を見事にブラッシュアップしている。(というのが贔屓目の評価!)
兎にも角にも、この映画はブライアン・デ・パルマのスタイリッシュ・スリラーの原点てあり、ここで試行されたテクニックが洗練されて『殺しのドレス』『ミッドナイト・クロス』『ボディ・ダブル』へと昇華していくのだ。
だがその路線は、逆に彼への評価を下げていく皮肉も招いている。彼がサスペンス以外のジャンルでテクニックを練磨していたら、もしかしたら彼の評価は全く違うものになっていたかもしれない。
演出は光るものあるけど
独特の分割カットや、ウルトラQみたいな禍々しい音楽のせいで、終始不穏な雰囲気が漂ってます。
ただストーリーはわりかしシンプル、特段凝った展開はないので(捻ってると言えば捻ってますけどかなりわかりやすい)、演出を楽しむ映画かなと。
精神病院の描写、今だと何かと引っかかりそう。
ヤバい。わかったような、わからないような。途中双子の片割れが変わっ...
ヤバい。わかったような、わからないような。途中双子の片割れが変わってからがよくわからない。あれは現実か。んなわけないわな。じゃあどうしたかったんだ?
途中何か所かギャグ的な犯人取り逃がしとかあるけど、あれくらいやってもいいよね。今って見てる人が厳格すぎるんだよなー。落語とか今の人わからないだろうな。
個人的にはスプリット画面とかデ・パルマのテクをたくさん見られて満足。
悪趣味魔人デ・パルマによる、人工的で耽美的なヒッチコック・パスティーシュ第一弾!
デ・パルマの初期作が小屋でかかると聞いたら、
さすがに万難を排して行くしかあるまい。
おそらく20年ぶりくらいの視聴だが、
やっぱ昔の凝った映画ってのは、
無条件に楽しめるよなあ。
とにかく人を食ってる。
悪趣味でキッチュ。
大人の遊び感。
嗜好の塊。
最高!
ね?
ブライアン・デ・パルマ。
いろいろとクセの強い監督だ。
ただ、デ・パルマをこよなく愛する人間として、
これだけは強く言っておきたい。
デ・パルマという監督の本質は
「笑えないブラック・ジョーク」にこそある。
そこのところを変に勘違いしてしまうと、
唐突な展開や妙ちきりんな演出がまるで理解できずに、真面目な観客諸氏はむかつき、頭を抱えることになりかねない。
本来的に、デ・パルマは常に「面白がっている」。
客をおちょくって、楽しんでいるのだ。
ところが、観客にはそれが伝わらない。
その温度差が、妙に乾いた「別の笑い」を生む。
デ・パルマ映画は、観客の「おいおい」というツッコミをあらかじめ期待してつくられている。
この点をゆめゆめ忘れてはいけない。
一見、デ・パルマの映画は、「まともな」ホラーやサスペンスやギャング映画の体裁を取って、「擬態」していることが多い。
ましてや、いまや80過ぎの大巨匠。業界の大立者の一人である。
『アンタッチャブル』あたりで彼を知ったような若い映画ファンから見れば、まさかそこまで性格やテイストのおかしな監督だとは、ふつう思わないだろう。
だが、彼の頭のおかしさを侮ってもらっては困る。
ここまで歪んだ笑いのセンスと、奇妙な嗜好をもったサスペンス監督というと、他にはポール・ヴァーホーヴェンくらいしか思いつかないくらいに、デ・パルマはくるっている。
たとえば、今回上映された『悪魔のシスター』。
タイトルクレジットの成長してゆく胎児写真。
悪趣味なシャム双生児の画像。
盲人を視姦する黒人ネタ。
下品な公開番組。
すべてが、露悪的で、バッド・テイストだ。
しかも「たいして笑えない」。
この独特の歪んだ「にやにや笑い」の感覚を、ホラーやサスペンスのテイストとごった煮にして、波状攻撃のようにかましてくるのが、デ・パルマという監督の特徴なのだ。
黒人にジャングル・レストラン大当たりってネタも、たいがいにひどい(笑)。
あのダッサい誕生ケーキも、マーゴット・キダーの鼻にかかった舌足らずなフランスなまりも、ラウラ・アントネッリ風の乳首透けも、元夫の得体の知れない奇顔や帽子や艶めかしいピンクの唇も、ソファにしみ出す血も、無駄に大仰なバーナード・ハーマンの音楽も、すべてが調子はずれで、とぼけていて、悪意に満ちていて、何かがどうしようもなく、ずれている。
でも、それらが稚気にあふれるスプリット・スクリーンの仕掛けや、流麗なカメラワーク、爆弾理論に基づいたサスペンスの醸成、迫真のスラッシャー描写、ダリオ・アルジェントを彷彿させるような赤を生かした耽美的な色彩設定といった、スリラーとしての外連味と混淆されることで、作品は唯一無二のテイストを示しはじめる。
どぎついわりに笑えないブラック・ジョークが、だんだん病みつきになってくる。
すべてがいびつにゆがんだ、陶酔感のあるめくるめくサスペンス世界。
恐怖と、笑いと、官能が、他で見たことのないような渦(ヴォルテックス)を形成している。それは人工的で耽美的な「恐怖」と「笑い」のマリアージュだ。
やっていることはたいてい差別的でとことん下品なのに、なぜか映画としては「品位」を感じさせる。そこがデ・パルマ印のサスペンス映画の不思議なところだ。
おそらくそれは、デ・パルマが目指しているのが虚構美の極致であり、リアリティからはかけ離れているがゆえのことなのだろう。作品の中核を成すのが「稚気」だからこそ、デ・パルマ映画には、どこか「澄んだ」知的遊戯の気配が常にひそんでいる。
そもそも、デ・パルマという人は、50年前に「心ある」映画ファンからどのように認識されていたかというと、「アルフレッド・ヒッチコック監督の俗悪なエピゴーネン」として知られていたわけだ。
『悪魔のシスター』でも、明らかな『裏窓』(54)のパロディから始まって、『サイコ』(60)を彷彿させる殺戮シーンがあって、『バルカン超特急』(38)みたいな「信じてもらえない目撃者」が出てくる。ソファをめぐるコミカルなシーンなどは『ハリーの災難』(55)風。そこで部屋内を移動しながら犯人を追いかけまわすカメラワークは、ほぼ『ロープ』(48)の再現に近い。母親とふたりで女性記者が海沿いで車を走らせるシーンは『鳥』(63)を想起させる。終盤の病院のシーンなどは、ほぼそのまんま『白い恐怖』(45)へのオマージュだといっていい。
そもそも、半引退状態だったバーナード・ハーマンをわざわざ引っ張り出して、作曲家に起用していること自体、「こちらヒッチコック・サスペンスのパロディでござい」と宣言しているようなものだ。
とにかく、デ・パルマは全編にわたって、ヒッチコックをパクっている。
それどころか、次作でも、そのまた次作でも、彼はヒッチコックを剽窃しつづけるのだ。
で、なんでそんなことを繰り返しているのかというと、おそらくなら深い意味はない。
デ・パルマには「それが面白い」と思えているから。
愛する作家をパクる。それに客が突っ込む。作品の品位が落ちる。
この悪戯感と共犯性と露悪趣味が、本人にとっては楽しくて楽しくて仕方ないのだ。
「パクリ」もまた、彼特有の「笑えないジョーク」の一環というわけだ。
でも、一度、彼の呈示する「恐怖」と「笑い」のマリアージュの「味」を覚えると、そこからだんだんぬけだせなくなる。
白子やフキ味噌やからすみのような「大人の珍味」と似たようなもので、食べ慣れてくるにしたがって、変な味がなぜか変に思えなくなってくる。
舌がいつのまにか「うまい」と認識しはじめるのだ。
こうなるともう、デ・パルマ中毒患者のできあがりである。
ご同慶のいたり。ようこそ、悪食の世界へ!
― ― ―
『悪魔のシスター』は、デ・パルマの得意とする「ヒッチコック風スリラー」の第一作であり、いわゆるデ・パルマらしさのすべてがふくまれているといっていい。
先ほど羅列してみた「悪趣味」の乱れ打ちは、終盤まで変わらず押し寄せてくる。
(そもそも、作品を撮り始めたきっかけが「ソ連のシャム双生児の記事を読んで面白かった」からってのが、実に低劣ですばらしい。)
嬉々としてフリークスのビデオ鑑賞会を始める老新聞記者。
(彼の地位の高さは摩天楼にある瀟洒なオフィスから伝わってくる。)
妙に高圧的だが、思いのほか仕事がめっちゃ出来る探偵(笑)。
(いきなり件の部屋に侵入して物色できている展開自体がギャグだ。)
とくに、舞台が例の洋館にうつってからは、情報の開示の仕方が完全にコメディ映画のそれで、じつに気が利いている。
なんでもないように「奇妙な庭師」が出て来て、電話を借りようとしたら今度は「奇妙な潔癖症の女」に因縁をふっかけられる。そこまで来て、観客も初めてここが●●だと気づくわけだ。なんて小粋な演出だろうか。
そのまま今度は(追い詰めたつもりが追い詰められて)『時計じかけのオレンジ』(71)か『カッコーの巣の上で』(75)みたいな悪夢的世界がスタートするのだが、このあたりのドリフっぽいうさん臭さが、もうたまらない。ニューロティックで、シニカルで、コミカル。
「違和の笑い」は、素っ頓狂で牧歌的なラストシーンでも炸裂する。
まがいなりにも延々ここまで引っ張ってきた映画を、こんなシーンで終わらせる映画監督が、ほかにどこにいるだろう? なんてオフビートな……。でも、これがデ・パルマなのだ。
一方で、映画としての最大の弱点は、逆にプロットのほうにあるのかもしれない。
さすがに、この映画のネタの核心はわかりやすすぎる、という話だ。
そこはたしかにちょっと気になるかも……(笑)。
現代のミステリ愛好家からすると、本作の叙述トリックはほぼ「誰にでも」わかるレベルでバレバレだったりするのではないか?
とはいえ、この映画の撮られた1972年といえば、サイコスリラーはまだジャンル化しておらず、NYあたりで書かれている「どんでん返し付きのサイコ小説」はまだ「ニューロティック・スリラー」と呼ばれていた時期である。
当時のマーガレット・ミラーやヘレン・マクロイ、リチャード・ニーリィあたりによる、先駆的な叙述トリック系ミステリ小説のネタの「シンプルさ」を考えると、『悪魔のシスター』くらい頑張っていれば、すでに「十分」及第点には達しているともいえる。
あるいはその「ネタの割れやすさ」「真相の茶番感」自体が、デ・パルマならではの「笑えないジョーク」の一環だという解釈もありうるのかも。
それともう一点、本作には意外にシリアスな「精神分析的なアプローチ」が可能だという点は見逃せない。
「双子」「狂気」「医師と患者」。
この三大噺を通じて、デ・パルマはさまざまな「隠しテーマ」を付与している。
たとえば本作のなかに、家父長制に対して反逆する女性の深層心理といった「フェミニズム的な含意」を見て取ることはたやすい。
あるいは、女性のもともと持つ「二面性」や「相反する感情」の対立と超克を、「双子」にかこつけて描いた作品だということだって可能かもしれない。
さらには、精神治療における「陽性転移/陰性転移」の問題に、鋭くメスを入れた映画だともいえる。
実はこう見えて、なかなか一筋縄ではいかない映画だったりもするのだ。
最後に。
なにはともあれ、本作におけるマーゴット・キダーは実に魅力的だ。
彼女はこのあと、ホラー・サスペンスのスクリーム・クイーンと『スーパーマン』のヒロイン役を交互に演じ続けるという、いかにもメンタルに悪そうなフィルモグラフィを形成したあと、私生活では三度の結婚と離婚を繰り返したすえ、アルコール及び薬物の過剰摂取による自殺をとげることになる。
― ― ―
本作のあと、デ・パルマは『ファントム・オブ・パラダイス』(74)『愛のメモリー』(76)とキャリアを重ね、『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)という二大傑作を世に送り出す。
『キャリー』は、冷え冷えとしたキングの原作を、ピノ・ドナジオ節と甘美なソフトフォーカスで、吐き気がするようなメロウな青春映画に仕立てた悪意&ギャグ炸裂の快作。あの有名なジャンプ・スケアのラスト・ショットについても、皆さん騙されてはいけない。あれは、彼一流のギャグなんですよ、ギャグ(笑)。
『殺しのドレス』は、ヒッチコック・パスティーシュとして洗練と悪趣味の極みに達したデ・パルマ美学の粋のような映画で、冒頭の本編とまったく関係のないアホ丸出しのシャワーシーンは、まさに捧腹絶倒。一方で、美術館で姥桜が「喪失の連鎖」によって追い詰められていくシーケンスは、心理描写が映像表現と密接に結びついた迫真のモンタージュで、本家のヒッチコックにも決して負けていない。
ただ、この二作以上にぜひおすすめしたいのが、『ミッドナイトクロス』(81)。
主演は当時低迷期にあったジョン・トラボルタ。内容は単なるゆるめのB級社会派サスペンスで、出来自体は正直たいしたことない映画なのだが、とにもかくにも、ラストが凄い。
デ・パルマのいびつな笑いが極北へと突き抜けることで、逆に虚無の深淵へと達してしまった奇跡的な傑作であり、本作のラストシーンに震撼しない人間は映画などもう観なくていい、とさえ思ってしまう。冒頭に張られた伏線が、ラストで非常識きわまりない「くだらなさ」をもって生かされ、その「くだらなさ」ゆえに観客の慟哭を呼ぶ。この「笑い→悔恨」のドラマは、デ・パルマ以外の何人たりとも作り得ない類のものだ。
僕の「男泣き映画」ベスト1を、『狼は天使の匂い』(72)と分け合う一作。
もし『悪魔のシスター』が思いのほか面白かったという方がいらっしゃったら、
ぜひ『ミッドナイトクロス』のほうもご覧になっていただければ!
当時はB級扱いだったけど…
初見。デパルマのカット割は控えめだけど臨場感に効果大。後味の悪さもなかなか妙。改めてマーゴットキダーの演技はうまい。後半の病院展開も面白い。が、4Kらしいがさすがに映像はここまでか、と。かなり綺麗にしたんだろーなー。
大スクリーンでデ・パルマの傑作が観られる幸せ! バーナード・ハーマンの音楽が素晴らしい ”双子”の恐怖が甦る!
かの有名な「悪魔のシスター」がデジタルリマスター版で、大スクリーンでリバイバル!
これは観るしかない!
デ・パルマで、シャム双生児の話というだけで、もう怖い!!
昔のデ・パルマの映画は、本作のように、物語冒頭から、誰が主役のどういう話か良く把握できずに観ていくと・・・という話が多いと思う。
その手探りで恐る恐る見るような不安な感覚に陥っているだけで、すでに観客は彼の術にハマってしまっている。
それ以前に、双子の話というだけで、もう何か怖い。
当時の雑誌「ロードショー」や「スクリーン」誌の新作紹介ページで、2人ベッドで寝てる、ピントの少しぼけたモノクロ写真を思い出す。
凝った映像テクニックだけでなく、多くのカット、シチュエーション、小道具などが、恐怖(+良い意味でのB級のうさん臭さ)を演出していて、特に、病院の記録フィルムの映像とそれに影響された悪夢が怖い!
特にずーっと踊ってる三つ子の人!
頭から消えないぞ!
細かいところはかなり忘れてましたが、そこだけは鮮明に覚えてる!
悪夢の途中から、双子の片方がマーゴット・キダーでなく、女記者ジェニファー・ソルトにかわってる。
双子の片方を追体験させられる恐怖!
まだ無名だったチャールズ・ダーニングも出てます。
フィルムの色調と70年代のファッションも印象的。
音楽はヒッチコック作品を多く手がけたバーナード・ハーマンで、作品に厚みを与え、サスペンスを盛り立てます!
物語の終盤とエピローグが気が利いていて、こういう洒落た点もデ・パルマらしくて好き!
ちなみに「殺しのドレス」「愛のメモリー」も好きです!!おすすめです。
ダニエル&ドミニク
デ・パルマ作品リバイバル上映ということで雨ニモマケズ新宿へレッツゴー💨
いきなりヤング衣笠祥雄みたいな俳優のニヤケ顔で始まるこの映画
中盤、ケーキを巡るドタバタ展開はお約束過ぎて思わず苦笑い ニヤニヤ
二分割画面が出てきたときは劇場から「ヨッ!待ってました❗」の拍手が🎉(嘘)
シネマート新宿さんはリバイバル上映多めなので、ホントいい映画館です アリガトー!!
リマスター版鑑賞
シネマート新宿にて鑑賞🎥
師匠ブライアン・デ・パルマ監督のこの映画が「デジタルリマスター版✨で映画館上映される」となったら、とにかく観に行くしかない。……公開初日、会社休んで鑑賞ww
自分の学生時代には名画座では上映されなかった『悪魔のシスター』だったので、初見はVHSだったが衝撃的な出会いだった😱
デ・パルマらしい画面分割・覗き趣味なども見られ、あのウィリアム・“ウィンスロー・リーチ”・フィンレイ出演の上、シャム双生児の絡む殺人事件が個人的にはとてつもなく面白かった🤗
その後、DVDなどでもリピートしているが、「今回のデジタルリマスター版って、綺麗な映像が見られるかな?」などと思って観に行ったが、確かに旧作映画にありがちなイマイチ映像は皆無だったものの「当時の映像を綺麗にするのはコレが限界?」とまずまずであった。
何度も観ている映画なので、物語の細部には触れないが、オープニングロールを見ていて、「この映画も編集:ポール・ハーシュ、音楽:バーナード・ハーマンか……」と感慨深いものがあった。
とにかく「この映画をスクリーンで観られる幸せ」を感じた至福の時間であった💕
リマスター版での再上映なのでパンフレット販売は無かったが、リーフ販売があったので買ってきた。このリーフ、A3ぐらいの大きさがあって、カバンに入れるには折るしかないが折ることはできないので持ち帰りが大変だった(笑)
それでも帰宅後、リーフを広げてみると、なかなかの読み応えありOK。
ブライアン・デ・パルマ監督は学生時代(1970年代)から大好きな映画監督であり、一般的に情報公開されている作品は短編含めて全て鑑賞している。
日本で未公開&未ソフト化作品『Murder a la Mode』・『Do you know your Rabbit』・『Wise Guys』などは海外盤DVD輸入で購入して鑑賞するなど……。
デ・パルマ監督との出会いは『愛のメモリー』試写会であったが、その後、江古田文化で『ファントム・オブ・パラダイス』、旧文芸坐で『キャリー』を観て大大大ファンとなり、上映されるたびにデ・パルマ映画を鑑賞している🎥🙂✌️
デ・パルマ監督はヒッチコキアンであることを昔から発言していたが、「画面分割」・「スローモーション」・「ちょっとした特撮映像」などをデ・パルマ世界とすることで自分自身の映像世界の構築に成功したと言って良い‼️
したがって、ヒッチコック映画と比較する必要は全くない。
ヒッチコックはヒッチコックで素晴らしさを持っているし……。
しかし、映画館でブライアン・デ・パルマ世界に浸ることが、自分には本当に幸せな時間であることを再確認した👍
ホントに怖い
デ・パルマ「悪魔のシスター」DVD初見。
これ、案外ホントに怖いね。
デパさんはこういう「エロこわい」小品の方が良いね。
大作風のアンタッチャブルやスカーフェイスとかよりも。
ああカジュアリティーズは良かったかあ。
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