劇場公開日 1961年4月25日

「黒澤明の最高傑作 に推す」用心棒 KIDOLOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 黒澤明の最高傑作 に推す

2024年3月23日
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この作品には、実は隠れた原作がある。アメリカのハードボイルド小説だ。脚本家・菊島隆三は最初、その小説を時代劇に置き換えた脚本を黒澤に持ち込み、当初は「原作あり」と明記する予定だった。しかし黒澤と共に「こうした方が面白い」「いや、ここは変えよう」と議論を重ねるうちに、原作から大きく逸脱してしまった。そこで「オリジナル作品」として世に出ることになったのである。のちに黒澤本人もインタビューで「本当は原作の名前も書くべきだったかもしれない。だいぶアイディアは借りたからね」と語っている。
ここから分かるのは、黒澤が脚本にどれだけ全身全霊を注いでいたかということだ。彼は天才であると同時に、恐るべき努力家だった。『七人の侍』の撮影は真冬に行われ、俳優たちは出番が終わると風呂で体を温めていたが、黒澤だけは濡れたまま何時間も現場に立ち続けた。雨音がマイクに入らないよう、監督は傘なし、ズブ濡れで立ちつづけていたという逸話すら残っている。
さて『用心棒』を初めて観たときは、ただ「面白い物語だ」と感じた。だが何度も観返すうちに、これは単なる物語以上のものだと気づかされる。主人公・三船敏郎演じる浪人は、最初から村を救おうと計画しているわけではない。ただ面白がって行き当たりばったりに動いているだけだ。その気まぐれな行動の積み重ねが、結果として物語を転がしていく。だからこそ一つ一つのエピソードが異様に面白いのだ。ストーリーとしてはめちゃくちゃで脚本家のお手本には全く不向きである。
映画というものは、本当は物語を見るもんじゃないと思うんですね。脚本が優れていたら映画が面白くなるのは当り前です。例えば「ショーシャンクの空」みたいに。面白くない脚本から面白い映画を作り上げることこそ映画芸術の極みだと思う。黒澤明は自分で言ってるのが面白い。「面白い脚本からつまらない映画ができてしまうことはあっても、つまらない脚本から面白い映画ができることは絶対ない」彼は・・私を断言するが・・世界一優れた脚本家だ。しかるにこの映画ときたら脚本がでたらめではないか。彼が、自分が言った絶対にできないことをやってしまったのだ。それがこの映画の面白さである。
日本語で観るとさらに魅力が増す。台詞はユーモアに富み、洒落ていて、しかも三船の声質と演技にぴたりと合っている。そこに佐藤勝の音楽が絡み、さらにシネマスコープの横長画面、白黒の強烈なコントラストが加わる。映像の緊張感と物語の奔放さが奇妙にアンバランスで、その掛け合わせが独特の映画体験を生み出している。
『用心棒』は、娯楽としての痛快さと芸術としての完成度が最もユニークに融合した作品だ。黒澤は常に大衆娯楽を志向していたが、同時に稀有な芸術的感性を備えていた。その二つが稲妻のように交差して結晶化した瞬間――それが、この『用心棒』なのである。

KIDOLOHKEN
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