やさしい女のレビュー・感想・評価
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やさしいと思えない女
なかなか生意気で強情な女だと思うが、タイトルは「やさしい女」なんだね。でもすごい美人だし、小悪魔っぽい魅力がある。貧乏女学生に、金持ちの男がグイグイ押して結婚したのだから、もともとダンナの方が惚れてるわけだ。自分が相手を好きなのと、同じかそれ以上を求めてはいけないでしょう。あと、たぶん年が離れているだろうから、やはり若い女の子にはもっとサービスすべきだったと思う。会話がなさすぎだね。
酒飲みながら観ちゃったせいか、途中で眠気が襲ってきた。結局なんで女が飛び降りたか、私も理由がわからない。死ぬほど思いつめなくても、人生やり直せるのに、せっかくの美人がもったいないねぇ。しかし、ダンナのお住まい、ずいぶんと東洋趣味だった。妻が着ていた、白地に青い鳥の柄のガウンがすてきだった。
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
やさしくない男
17歳のドミニク・サンダ
原作はドストエフスキー、ドミニク・サンダは17歳ですでにバツイチ、デビュー作だ。
主人公は質屋、通ってくる女子大生(ドミニク・サンダ)に恋をして歳の差婚するが、若妻は自殺してしまう。
遺体の前で結婚生活を振り返るのだが・・・。
ドミニク・サンダの不思議な魅力にひれ伏す感じで、参りました。
陰気
ドミニク・サンダに魅せられる
これも映画史におけるひとつの宝
優雅で文学的な作品
Dos Monosのソウシットさん ありがとう
【まあ、ドストエフスキー】
2021年11月のNHK・Eテレの100分de名著は、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を取り上げているのだけれど、このタイミングで、この作品の公開は何か理由があったりするのだろうか。
世界的に、夫婦の在り方も含めて家族というものに対する考え方は、ここ10年から20年で随分変化したと思う。
それでも、世界のあちこちにパターナリズム(父権主義)的な考え方は残り、そして、コロナ禍の下、DVが増加したという報道を目にするにつけ、暗い気持ちになる。
この作品はドストエフスキーの1876年作の「やさしい女」を1960年代のフランス、パリに置き換えたものだ。
1960年代は、アメリカで女性解放運動のムーブメントが起こり、それに呼応するかのように、こうした女性や妻の抑圧された状況の物語を映画として世界の人々に観せようとしたのだろうか。
この原作は、ドストエフスキーの作品の中でも、短いのはそうだが、読みやすいし、登場人物が少ないし、なんといっても、現代の僕たちの社会と比較して、登場人物を考察することも容易で、多角的な見方が出来そうにも思える。
映画は、更に、現代に置き換えられているので、今の価値観で、怒りが込み上げてくる人もいるだろうし、この2人の関係性や、妻の行動、そして、メイドの振る舞いについても疑問が出てきてもおかしくないように思う。
僕は、夫のパターナリズムはもとより、妻の行動の仕方や、気持ちの表現に、飛び降りる前にもっとチョイスがあるのではないかと考えたりもした。
よく、女性は男性に対して、単に話しを聞いてほしいだけで、助言など要らないという話しを耳にしたりするが、男女や夫婦の関係を変化させようとするのであれば、そんな主張で良いのだろうかと考えたりもする。
蛇足的な深読みだが、ちょっと怖いなと思ったのが、ベッドに横たえられた妻の脚が、両足首の所から足にかけて、ベッドのフット部分の縦のスチール・ポールの外に出されていて、死んでもなお、足の自由を奪っているように見えて、妻の抑圧された状況をこれでもかと見せつけているような気がしてちょっと怖くなった。
90分にも満たない作品だが、現代の僕たちの社会の抱える問題にも通じるようで興味深い作品だと思います。
ドミニク・サンダに捧げたブレッソン監督の孤高の映像世界
沈黙していても
切ないカネの話
タイトルのバックに映る夕闇のパリ。走っている車は60~70年のもの。郷愁で胸が一杯になる。フランスが、パリが、まだ世界の文化に多大な影響を持ち、日本人にとってはまだまだ憧れだったころの風景である。
この華やかで先進的な消費社会の光景がスクリーンから消えると、その墓場ともいえる質屋が映画の舞台として現れる。そして、始まるのは世知辛い銀行員くずれの質屋とその若く美しい妻の味気ない結婚生活なのだ。
川本三郎がその著書で、成瀬巳喜男の作品に金の話が良く出てくることを指摘しているが、この日観たもう一本のロベール・ブレッソンの作品はその題名も「L'argent(カネ)」であり、両作品ともカネに翻弄される人間を描いたものだった。
ブレッソンの映画が、川本による成瀬論と同じく、カネにまつわる話で特徴づけられるのかどうかは知らない。しかし、この日の新文芸坐の二本立ては両方とも切ないカネの話であった。
この夫婦は両者ともにカネに苦労した経験を持ち、カネの使いみちにこそ自由を見出している。不慣れな質草の査定を自分でやろうとするのは、妻(ドミニク・サンダ)のそうした欲求の表れに他ならない。
老婆の持ち込んだ二束三文の品と引き換えに、何枚もの紙幣を渡してはベテラン質屋である夫の不興をかってしまう。価値を自分が決める優越感と自由を謳歌することは、この夫により許されてはいないのである。
そして、仮に質草の値決めをする自由が与えられたとしても、居室の内装を自由にさせてもらえない不満を埋めるにはそれだけでは不十分であり、質草の不相応な評価を自分への好意と受け止める男性との恋は、気づまりな結婚生活を束の間忘れさせるに十分魅力的であっただろう。
このように映画は、一人の若妻が結婚生活に絶望する過程を綿密に積み上げて描いていく。最後にこの夫婦がどうなるのかは大した問題にはならない。描きたいのはこのプロセスなのだろう。なにか約束された結末に向かって進んで行く映画ではない。過程に過程を積み重ねていくというタイプの作品である。
当初予定していたBlu-rayでの上映から、35ミリフィルムでの上映に変更した新文芸坐に感謝する。
ドストエフスキーだなあ
やや混乱気味の私
『ラルジャン』に対しては、複雑な思いで低評価にした覚えがあります。複雑というのは、自分の混乱を回収できずにいたという意味であります。そして今回の『やさしい女』は、やはり複雑な思いで高評価にしています。そして、こういった低評価と高評価を行き来する自分にただただ混乱するばかりであります。
あまり内容について書きたい気分にもならないのですが、しかし劇場を出た後、否応なくこの映画の世界を引きずっている自分がいて、この引力に素直に従ってみようと思った高評価なのです。
そしてこの世界に引きずられた私は、どこか自分が失っていた感覚を、その喪失感とともに味わっているのでありまして、その感覚こそは自分を自分たらしめていたもののように感じているのであります。
人と人とが軋み合ってしか一緒にいられないこの感覚こそが、何より自分が大切にしていたものだったことを思い出しました。
ドミニクサンダ
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