もののけ姫のレビュー・感想・評価
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完璧
劇場公開された97年は、サンやアシタカと同年代だったからかロマンス映画的な要素を強く感じてた。サンとアシタカの物語、みたいな。
いま見るとサンやアシタカはミドルティーン?くらいの若さで昔ほどの感情移入は出来なかった。代わりに、祟り神の呪いが胸に巣食い、やるせない怒り、憎しみが湧き上がるが、なんとか自分を律する…その辛さ、強さに感銘を受けた。
三輪さんの声の良さ。どちらかというと山犬側に肩入れして見た。
物語を見る視点が、30年生きると変わってくるのを実感。しかもサンとアシタカが洞穴で目覚めて別れるのが、30年前の私の記憶。
だから、まるで初見みたいにドラマを味わえた。
IMAXの音が最高 画像はもともと美しいので4Kにして良くなってるのか不明。森の透明感、湖の質感が凄い良く出ている。この映画を見始めで数分で、これは完璧な映画だ、というのがわかり(思い出し)、森の中へ引き込まれていった。
米良さんの音楽だけは、いつ聴いても鳥肌が立つほどの厳かさ。重ねて、完璧です。
到達点
何歳だっただろう。二つか、三つか。
金曜ロードショーの画面の光を、ぼんやりと見つめていた記憶がある。
森の奥に潜む神聖さ、息づく大地の鼓動。
幼いながらに、言葉にできぬ何かが胸を打った。
あの瞬間、私の中に「もののけ姫」という名の原風景が刻まれたのだと思う。
今では大学生となったが、あのとき感じた感覚は、今も私の潜在意識の底に、森の精霊のように息づいている気がする。
日本のアニメーションは今、多彩で刺激的だ。
笑いも涙もあり、技術も進化した。
それでも、どこか「俗」の匂いが漂うことがある。
人生のすべてを賭けて、子どものために映画をつくる——
そんな純粋で危うい情熱を、今のクリエイターが持っているだろうか。
宮崎駿という人は、その意味でやはり唯一無二だ。
どれほどの名作も、賛否を免れはしない。
それでも私は胸を張って言いたい。
『もののけ姫』は、アニメーション史における最高傑作の一つであると。
この時代に生まれ、
その巨匠の作品をリアルタイムで見届けられること——
それは、私にとって何よりの幸福である。
最高。観客のみんなも最高。
最高の映画体験
贔屓目を承知で最高傑作としか思えない。
タイトルのとおり、これはかなり贔屓目が入っているのだと思います。意識はしていませんが、本日大きなIMAXシアターで鑑賞して、テレビも含めると一体何度目の鑑賞かも分からないのに、まったく飽きずに見れてしまう上に、今までにない切なさや新たな感動すら抱いてしまうのですから、きっとおよそ30年前からわたしはこの映画が個人的にかなり刺さっているのだと思います。
ストーリーもその解説も、素晴らしいものがたくさんあり、わたしもそれらの多くに賛同している人間のため、そして何より、上記の贔屓目を自覚せざるを得ない評価のため、特に細かいことは書きません。
およそ30年前、それまで「天空の城ラピュタ」と「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」しかジブリを知らなかったわたしが、祟り神のグロさとその時に流れるおどろおどろしい音楽で一気に引きこまれ、あれよあれよと2時間半が過ぎていき、気が付けば言葉に出来ぬ感動をして、その気持ちが今になっても色あせないというのは最早異常なのかも知れませんが、わたしのような方は日本に何万人もいらっしゃると思います。やはり、それだけこの作品が持つ「業」の力は凄まじいと思っています。
宮崎駿監督作品はどれも高品質で、独創的で、謎めいていて、美しく、残酷でもあり、魅力的なものばかりですが、おそらく、これ以上にわたしが好きになるジブリ映画(というより邦画アニメ)は作られないだろうな、と、改めて思い知らされました。
理想の旦那様
そなたにサンが救えるか
久しぶりに金曜ロードショーで観ました。
何度も観てるのですが、やはりもののけ姫は良いですね。
宮崎ジブリ映画の中で一番に好きな作品です。
物語序盤にダラダラすることなく、ストーリーの目的がすぐに定められるのでそこは何も考えずに追っていくことができると思います。
目的(呪いを解く方法)を目指す中で人と自然と動物との共存、憎しみや悲しみやプライド、生産性や利便性につきまとう自然破壊など現状我々が生活していく中での避けては通れない道をファンタジーを通して伝えていると思います。
最後にまたゼロからやり直して新しい良い村にしようというセリフが、やはりどこか後悔しながらも突き進んでしまっていたのかな?と思いました。
また同じ過ちを繰り返してしまうバッドエンドなのか、自然との共存を目指すハッピーエンドなのかは、この後の物語の人々次第なのかもしれませんね。
追伸、カヨちゃんを忘れないでいてください…
20回目くらいの鑑賞だがいまだに面白すぎる
こんな複雑でエンタメでアクションでアニメーションの嘘を詰め込んだ作品を作って、国内外で評価されまくったら、そりゃあその後あんな感じのフィルモグラフィーになるかも、いやなるよなぁと今回見て思いました。
隙がない、全てに気が巡らされていて血圧高い!と2025年の今思います。
一瞬2倍速くらいになるアニメーションの動き(アシタカやサンが走る、登るシーン)、たくさんのイノシシ達がそれぞれ全力で命を削って走っている動き、この映画のマジックが宿っている瞬間が絶え間なくありました。
このあとの宮崎駿は、この映画以降語るべきストーリーを無くしていくわけですが、確かにここまで詰め込み、なおかつエンタメに仕上げる力量を見せつけられれば、仕方なしか、とも思ってしまいます。
2025年の私たちから見れば、シシ神はあまりに原子力発電所のようであり、新型ウイルスのようであり、簡単に生と死を体感させるSNSのようでもあり、もうすげぇのなぁ、とため息でした。
台詞も映像も記憶に残るアニメのひとつ
魅力が無い…
つまらんかったです
面白い
もう何度見たか知れない作品。
ラピュタの「すべてを見せる」構造から、「すべてを描くが表現しない」構造へと変えたのは、作り手宮崎駿さんのすべてを描いてしまうと描きたいものがなくなってしまうということに気づいたからだということだ。
だからこの作品の裏設定は凝りに凝っている。
視聴者も感じる矛盾点のようなものを探すために何度も見てしまう。
村というのか小国の王になるはずだったアシタカヒコ
タタリ神によって呪いを受けるが同時に神々の聖痕を受ける。
村を出ることになる際に恋人カヤから受け取った黒曜石のナイフを、いとも簡単にサンへ渡してしまう。
「私はたたらばで暮そう」
さて、
単純に見て楽しめる作品だが、現代人の感覚と当時の人の感覚の違いという視点から見ることでこの作品の裏の顔が見えてくる。
この物語の視点はすべてアシタカによる。
しかし、彼が感じたこと それさえも押し殺していることでアシタカが感じているはずの葛藤のようなものがあまり見えないことが、この作品を別物にしているようだ。
宮崎さんに影響を与えたのが司馬遼太郎さんで、「人間というのは本当に不条理を抱え込んでしまうとき、礼儀正しくなるんです」という言葉が効いたようだ。
この視点によってこの作品がまったく違ったものになり、さらにタイトルがそれに輪をかけてしまった。
アシタカせっ記
これこそがこの作品の本当のタイトルのようだ。
しかしそれでは売れない。
このジレンマ
風の谷のナウシカを「巨大虫オーム」とするようなものだ。
このあたりは岡田斗司夫さんが解説している。
岡田さんは宮崎さんや鈴木さんなどたくさんのアニメーターたちと交流があるので、「実は」というのをよく知っている。
彼の語るこの物語の「実は」は、一般的には追うことなどできないだろう。
さて、、
一般視聴者の私が感じたもののけ姫
縄文文化を受け継いできた小国
豊かな森 自然との調和を崩さない生き方
ここに突如として現れたタタリ神 呪い
少女たちを守り国を守ったアシタカが追放される。
彼の本当は感じていたであろう不条理との葛藤を描かないことで、この作品が万人ウケすると同時に別物になった。
ヒイ様の呪い返し
西の国で起きた不吉なこと 呪いを受けたアシタカをそこへ向かわせることでその呪いを返す手法。
アシタカがたたらばへ残ったのはやはりサンがいるからだろう。
黒曜石のナイフをサンに贈ったのもカヤというたった一つの心残りを捨てたように思った。
それだけ国から追放されるというのはアシタカにとっては重いことだったのだろう。
マゲを切り落としたのは儀式だったが、黒曜石のナイフこそ自分自身をまったく別の世界の人間として生きることの決意だったように思った。
この物語に登場するたくさんの対峙軸
鉄という資源を得るために森を破壊し続けるエボシたち
その鉄を奪いたい侍たち
森の破壊を許さない神々
シシ神の首にあるという強力な力
彼らは巨体で言葉を遣うが、その他の特別な能力はない。
怒り狂い、人間を呪い、心を腐らせるように土蜘蛛のような妖怪タタリ神になるだけで、呪う以外の力はない。
アシタカは「人間の手でシシ神の頭を返したい」と言った。
日本各地に残るダイダラボッチ伝説
エボシには彼女らの言い分が存在する。
捨てられていた女の子を拾ってくる。
病気の人を人として扱ってくれる唯一の人
この多角的な面を考えると、人それぞれの生き方もまた多角的であっていいように思った。
考え抜いた上の生きる術 たたらばと鉄の生産
このたたらばに子供たちがいないのは何故だろう?
捨てられた子供は拾うのに、子供を産むことをエボシは嫌っているのだろうか?
サン
山に捨てられた子供をモロが育てた。
捨てたのが、あるいはエボシだったのだろうか?
目的のためには犠牲もいとわない女エボシ
たたらばの女たちの見たとは全く違う一面をのぞかせる。
シシ神の首 未知なる力 不老不死の力 繁栄の力
「シシ神は活かしもするし殺しもする」
破戒された自然はまた元に戻ろうとする。フクシマのように
人間の行き過ぎた破壊は、結局自然の元に戻ろうとする力によって戻されてしまうのかもしれない。
それを人間は知っていて、または感じることで終末論などが湧き起るのだろうか。
隕石の落下も、大地震も大洪水も自然の元に戻ろうとする力かもしれない。
もし、
サンがエボシの子供だったら、エボシはその罪滅ぼしのために捨てられてる子供を拾ってくるのだろうか? それとも単なる人工か?
既に山犬に育てられていたサンを、エボシは見つけることができなかったのだろう。
逆に山犬と一緒になってたたらばとエボシを狙うようになってしまった。
その娘と戦うときは、娘を殺すこともいとわない。
これこそエボシに降りかかった呪いだが、自作自演とも取れる。
「共に生きる道」
アシタカの提案
この時代 磁石を袋に入れ海岸の砂浜を行ったり来たりすれば、たくさんの砂鉄が取れるが、当然そんなことは無理な時代。
力対力では力のあるものが勝つ。
この構造は未だに変わらないし変えようとしないが、アシタカのような提案をすることはできる。
結局最後は未来少年コナンのように自然の力が勝つ。
この繰り返しが人類の歴史でもある。
様々な対立軸と視点のある物語
もっと書こうと思えば書けるが、キリがない。
だから、何度見ても面白い。
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