もののけ姫のレビュー・感想・評価
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生きてりゃなんとかなる
アニメーション作品ではあるけれど、決して単純な話ではない。
エボシさまは完全な悪人とは思えないし、人間と森の共存はとても難しいことだと思う。
でも、見終わったあとにじんわりとこの先への希望を感じられる。
数々の名台詞にもグッときたけど、一番刺さったのはトキさんの「生きてりゃなんとかなる」でした。
最高!ジブリで1番だ!
30代後半のおじさんだが、映画館で観るのは初めて。公開当時はチケットが買えず。今みたいにシネコンはなく、座席も交代制でなかったため、立ち見で少しみた程度しか覚えていない。
だから座って映画館で鑑賞は初めて。ジブリで1番好きな映画だが、最高だった。サントラも買っているだけあり、スクリーンと音響で迫力ある環境はさらに最高。
人間が生きていくこと、自然との関係、愛情、妬みなど人間の泥臭いところが描かれている。まさかスクリーンで見れる機会が訪れるとは思っていなかった。
それだけ感慨深いものがあった。
サンとアシタカのその後とか気になるな。
あいかわらず・・・
うかつにも眠くなってしまった
劇場の重厚感
日本アニメーション映画の最高峰、その壮大さと濃密なドラマ性
日本アニメーション映画の最高峰と思う。勿論「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も素晴らしいが、この映画の壮大なスケール感と、自然と人間の関係に対するメッセージを含んだ物語の濃密なドラマが特別な感動を生む。その意味で、ディズニーのアニメーション映画を超えた映画の品格の境地にあると思う。特に森繁久彌と美輪明宏が声優を担当した猪神と犬神の、人間と互角のキャラクターの存在感が素晴らしい。それに対して主人公アシタカとサンの勇壮にして繊細な人格表現も負けていない。人間と動物と精霊の命を懸けた戦いと調和。そして、主題歌を歌う米良美一のカウンターテナーが妖しげで美しい。映画の世界観を見事に表現したシンプルにして純美な名曲だ。
1997年 7月18日
当時小学2年生の息子のリクエストで再度劇場鑑賞したのが懐かしい。
23年ぶり
もののけ姫
人間と自然の生存本能
ジブリ作品はあまり観たことが無い。そんな素人のジブリのイメージは「子供向け」だった。
多分金曜ロードショーなどでしょっちゅうやってたから漠然とそんなイメージが付いた。
しかし、今回映画館で観てジブリ映画のイメージが180°変わった。
今のジブリ映画のイメージは、「映画の魅力を最大限活かした大人向けの作品」だ。
まず映画の魅力を最大限活かしているという点。
登場人物が画面の端から端まで移動するシーンでは映画館のスピーカーの音の変化を感じられるし、なんといっても幻想的な唯一無二の世界観に加えてサクサクと展開するストーリー、迫力のある音響、訴えかけてくるセリフなど、全てが上手く調和して、音響の良い大スクリーンで観るべき作品となっている。
そして大人向けだと思った点。
テレビでジブリは小さい頃によく見てた覚えはある。(内容はほぼ覚えてない)でも、その時は絶対ボーッと画面を見ていただけで特になにも考えていなかった。
しかし、成長して1人の映画好きとして改めて観ると、壮大な物語なのに作品のテーマが全くブレていない。今作の場合は「それでも生き抜け!」という人間や自然の野生的な本能ともいえるテーマだ。それを直接では無く展開、ストーリー、セリフ、画などで間接的に観客に訴えかけてくる。
映画にある色々な要素を上手く調和させているジブリ映画は大人になってから真の姿を理解できた。
映画館で
自然を壊し続ける人間に 警笛を鳴らしているに違いない。
宿命を背負って生きる
ジブリ企画3本目。公開当時早く観たくて初日に早起きして両親と観に行ったのは今でも良い思い出です。社会現象を巻き起こしたまさに傑作アニメ!
村を守るために荒ぶるタタリ神を殺し死の呪いを受けたアシタカ。自らの宿命に向き合い呪いの原点を探るため西の国を目指して静かに村を去る。
まるでその旅立ちを祝福するかのような圧倒的な大自然はまさにジブリ美術の真髄です!
宮崎監督が「これからの時代色んなものを背負って生きていかなくてはならないのが若者の宿命。だからこんな暗い主人公を作るしかなかった。何でもかんでも明るければいいというのは嘘だ」って仰ってて、アシタカは強くて正義感に溢れて人望もあってイケメンの素敵な青年、ってそんなことではないんだなと。
そんな単純ではない。きっと発狂した朝もあれば絶望した夜もあっただろうな。
それでも凛とした佇まいが本当に格好いい!
そして人間でありながら山犬の娘としてシシ神の森で生きるもののけ姫サン。血で顔を染める野性的な姿の反面その美しさに心奪われるアシタカ。人間対自然。2人の出会い。
人間と自然は共存できるのか。
できなければ滅びるのは人間の方。
どれだけ科学や力を手にいれても牙を剥く自然を前に人間はちっぽけです。それを人類は嫌と言うほど知っています。
そんな絶対的な自然に立ち向かっていくアシタカとサン。
「命を与えも奪いもするシシ神」
そして生かされた2人。生きることの虚しさや厳しさ、絶望や孤独、無力さを知った上で語りかける
「共に生きよう」のメッセージ。なんて晴れやかな表情。もう毎回号泣です。
「難しくて子供は理解できないという意見が多いが子供こそよく分かっている。むしろ大人がこの世界のことを説明できていない」
当時の監督の言葉です。
人間対自然は大人対子供でもある。
全ての大人が全ての子供にこの世界を説明できれば未来に希望はあるかもしれない。
「もののけ姫」というより「蝦夷命(えみしのみこと)」だよね?
大人になって当時以上に心に刺さる作品
映画館て観るとやっぱり良い
静かだけど、深い
声を名優にする演出家
昔もののけ姫のメイキングを見たことがあります。今もたぶんネットにあると思います。そこにレコーディングの様子がかなり詳しく撮ってあります。宮崎駿が配役者にいろいろ注文をつけながら声を吹き込む、とても興味深い映像です。おそらくご覧になった方も多いと思います。
その様子はもののけ姫のレジェンダリーなキャラクタライズを裏付けるものでした。
宮崎駿が最終的に納得するセリフは、細かい注文──たとえば「もっと強く」や「もっと弱く」、「ちょっと強すぎる」や「ちょっと弱すぎる」──などによって、調整されます。じっさい、それによって田中裕子のエボシ御前がみごとに創りあげられる行程を目の当たりにすることができます。
でも、宮崎監督は美輪明宏に同様の注文──「強く」とか「弱く」を言いませんでした。美輪明宏はアーチストなのであり、且つ年上です。そのことに対する尊重が、宮崎駿の態度からありありと見えました。乙事主の森繁久弥はもっと上ですが、森繁久弥に対する尊重とは違う尊重だったと思います。
そこで「強く」や「弱く」を使わずにセリフを調整するために、宮崎駿は別の言葉で美輪明宏に注文をつけました。
それが「モロと乙事主が昔好い仲だったことがある」です。私にはその注文が美輪明宏の年功や無二のアーチスト性に配慮した「もっと弱く」だと思えました。
実際には無い裏設定を使って、宮崎駿の理想へと、美輪明宏の声を「操作」したわけです。
この後の宮崎映画においても、これと同等のレコーディングセッションが行われたであろうことは容易に想像できます。だから宮崎駿がたびたびプロパーの声優を使わずに、俳優を充ててくることに、安易さや不審を感じません。方法論として受け容れることができます。
ただし、声優を使わないで、人気俳優などに声を担当させることが、宮崎駿以外のアニメ映画でも、潮流のようになっている気配があります。
やはり、それをするなら、宮崎駿の理想が持っていたような、そうすることの絶対的な根拠が欲しい──
あらためて観て、それを思ったのです。
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