もののけ姫のレビュー・感想・評価
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神殺しの罪
松永久秀という武人がいます。主家を裏切り、時の将軍を死に追いやり、大仏の首を焼き落としました。こういうと、人間性の欠片もない野獣ですが、実は彼、一流の教養人であり、完全合理主義者だったそうです。神を殺してでも、ヒトは何を得るつもりなんですかね。
かつてヒトは自然を畏れ、共生の道を探りました。現在ヒトは自然をコントロールし、支配しようとしています。結果、何が起こりました?。何が流行りました?。何に祟られています?。
今さら原始時代に還れとは、言いません。ただ合理主義と神秘主義、正しいのはひとつだけかな。
ヒトは世界と共生しません。寄生するのみ。しかも、お互いを傷つけ合う宿業を持つ。仮にそうだとしても…ね。
おそらく誰しも心の裡に、エボシ姐さんとサン姫が、棲んでいるはず。皆様の裡にいるアシタカは、どの道を歩みますか。
『だまれ!小僧!』のお告げは届きましたか。
皆様の歩む道に、木霊(こだま)多からんことを願います。
おまけ
件の松永おじさんですが、織田信長に従臣するも、謀反。ところが信長、彼の所有する名物茶器、平蜘蛛を渡せば許すと伝えます。これを聞いた松永おじさん、平蜘蛛に火薬を詰めて爆死します。
ここで問題です。
問1)そこまでして、松永おじさん、何を遺そうとしたの?。
問2)松永おじさんの前に、シシ神様が現れました。シシ神様、何しに来た?。三択です。
a)松永おじさんに、首を差し出す
b)松永おじさんの命を吸い上げる
c)その他
夏の終わりの自由研究にどうぞ。皆様の、心のレポート用紙にご記入ください。私に提出されても採点しかねますので、悪しからず。
【それぞれの理由】
この「もののけ姫」の物語はちょっと複雑だ。
単純な二元論では語れない、現代にも通じるテーマを内包しているからだ。
そして、それが物語に深さを持たせているようにも思う。
また、”今”を踏まえて、やり直すことは可能だとするエンディングの示唆も含めて、僕は、ジブリ作品のなかでも、この物語がかなり好きだ。
可能な限り、外との交流を避けて暮らす集落。
しかし、外の影響を完全に排除することなど出来ない。
大勢の人々が住み、商業も発達して、豊かな地域。
しかし、格差はあり、人の持ち物をつけ狙うような罪深い人間も多い。
男女の格差なく、醜いものにも差別なく、役割が与えられている集落。
しかし、武器製造を生業とし、別の地域からは常につけ狙われ、自らも森を侵食し、環境を損なっている。
森。
人間によって木々が伐採され、住む動物達は憎悪を募らせる。
そして、シシ神の支配するシシ神の森。
森の侵してはならないコアな領域。
それぞれ欲するものや、守るべきものが異なり、相互に理解するより、争いで解決しようとする者達。
そして、本来は神の領域と考えられた場所まで足を踏み入れて破壊してしまう。
憎しむべきは対峙する相手なのか。
決定的な判断材料を与えずにストーリーが進んでいく。
これは、今の僕達の生きる世界そのものであり、本来は神の領域とされた場所で失われてしまったところも少なくないはずだ。
シシ神の切り取られた頭を返したのは、まだ、やり直せるという、残り少ない希望を意味しているのだ。
そして、生まれ変わる山々の草木。
元々の森ではないかもしれないが、人間の知恵によって、豊かな自然を再び取り戻すことが出来るのではないかという希望を意味しているのだ。
単純な二元論では、片側の憎悪や正義などに焦点が当たりがちなところを、アシタカ、サン、イヌ、イノシシ、様々な背景を有する人間と、様々な場所を物語に配置することによって、僕達の世界を覆う複雑な問題を、どう考えるべきか、思考を促した秀作だと思う。
話がよりも、自分が怖い。
何回見てもグロいシーンが苦手です。
他のジブリ作品でも、自然に手を加える人間をどう思うかという問いかけは十二分に感じられるし、直接的な表現のシーンから、自然に対してよりも人間という生き物の怖さが際立って感じられてしまって。
各々の価値観や正義感で争いを始めてしまう人間の身勝手さに心がずーんと重く消化困難になります。
戦争やアウシュビッツと同じく、窮地でむごく変われてしまうのが自分の属する人間なのだという事実。
だから、平和を望む自分だってそうなりかねないのだという恐怖に襲われます。
高等知能を持ち感情がありながらも、それを地球のためではなく、人類のため自分のためだけに使う人類。
人類が生態系トップに君臨しているがために、犠牲になるしかない動物界虫界自然界。実際はもののけ姫のように挑んでくれず、村上春樹のおおきな木のように、本当の終わりまで悲鳴を上げる事すらない。
恐ろしい人類。
神も生まれ変わる
公開時は映画館で見て、その後何回も見ている。久しぶりに日テレが金曜ロードショーで放送してたので、また見た。アシタカ役の松田洋治が、ここでは爽やかでまっすぐな少年なのに、20数年後「キャラクター」で変質者になることを想像できただろうか。いや、できない。人間の幅が広がったっちゅうことで。
人間と自然、動物、神、産業、戦い、破壊。これだけ材料をぶっ込んで、見た目も整って味もいい料理にできるって、やはりすごい。シシ神の造形なんて、よくこんなこと思いつくなあって感じ。水の上をペタペタと歩く姿、撃たれて一瞬沈むところ、その後ニっと笑って平然と元のように歩くとか、どうやって考えつくのだろう。あと、コダマ、不気味ながらかわいい。頭がカラカラ回るのもグッドアイデア。ヤックル大好き。顔は愛らしいし走るの早いし、じっと水の中でアシタカを守ってるところもけなげ。ラスト近くで、タタラの人達と一緒に筏に乗っていて、さすが細部まで手抜きしないな、宮崎駿。と感心した。
一番好きなのは、デイダラボッチが朝の光に倒れて、すごい風が吹いて、その後に枯れた山が徐々に青くなってくるところ。ここに流れるピアノと合わさって、生命讃歌や赦し、祝祭、など、さまざまなことを感じられる。最高でございます。
共に生きる道はないのか
子供の頃初めてこの映画を観た時は、冒頭のタタリ神のシーンが怖くて手で顔を覆い、身構えながら、“ジブリってこんなんだったっけ?”と思っていました。人間と自然の闘いの物語ですが、当初はアシタカが自然を守るため、エボシ御前をやっつける話だと思っていたのですが、どうやらそうではなさそう。闘いモノといえばヒーローVS悪者のスタイルしか知らなかった私には新鮮でしたし、物事ってそんなに単純ではないのだなと子供ながらに考えさせられた作品です。
他のジブリ作品と比べると、重いというか、観る時にエネルギーを要しそうで、テレビで何回か放送されていたのに、いつも躊躇していましたが、先日の金曜ロードショーで放送されていたのを何となく観始めたら、最後まで夢中になっていました。
大人になって久々に観たもののけ姫ですが、まずその重厚感に圧倒されました。大自然の偉大さ、動物達の躍動感、タタリ神の得体の知れぬ怖さ、シシ神の存在感。自然は人間の闘う相手ではない。神とされる彼らを殺そうとする人間のあさましさ。武器や資源を巡る人間同士の争いの愚かしいこと。
モロも乙事主もエボシも自分の種族を守る為なら死など怖くない。動物も人間も関係なく、闘うことによって皆次々と命を落としていく。そんな彼らに投げかけられた“共に生きていく道はないのか”というアシタカの問い。
誰が良くて誰が悪いとかでは無く、皆ただ生きるのに必死なだけ。仲間を守る為に必死なだけ。生き方や考え方の異なる者同士がいればそこに利害が生じるのは仕方の無い事。互いがどれだけ歩み寄れるか。その先に問いの答えが待っているのだと思いました。
石田ゆり子が上手
2021年8月13日
映画 #もののけ姫 (1997年)鑑賞
#金曜ロードショー
#金ロー
約四半世紀前の映画なのに全然古臭くなくて、映像も内容も色褪せていない。さすが名作は違うなと感じた。
これからも定期的にテレビで放映されるんだろうし、それを見るんだろうな。
そこから私たちはどう生きて来たんだ?
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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映画館でジブリを観ようキャンペーンで今公開中の「もののけ姫」
やはりこの作品も、映画序盤の
祟り神がアシタカの村を襲うシーンや
乙事主(おっことぬし)が率いる巨大イノシシ軍団、
山場の「でいだらぼっち」の変身シーンなどは
映画館の大画面で観る価値有り過ぎです!!
アシタカが武者たちと戦うシーンでは
首、腕チョンパ!シーンが衝撃的なので
人によってはちょっと苦手な方もいるとのことですが
もともとあまり小さな子供向けの話ではないので
お子様の年齢を考えて観に行ってくださいね。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
岡田斗司夫氏のYouTube解説によると
「もののけ姫」は「風の谷のナウシカ」で
描ききれなかった部分を
人生最後の作品(当時の宮崎さんの心情)として
作った作品であるとのこと。
確かに「風の谷のナウシカ」を観て一週間後に
「もののけ姫」を観た時にその言葉実感しました。
「ナウシカ」でオームが押し寄せてくるシーン、
巨神兵のビームで多数のオームが吹き飛ばされるシーンなどは
「もののけ」でイノシシ軍団が押し寄せてくるシーン
イノシシ軍団が地雷で吹き飛ばされるされるシーンがほぼ一緒!
それでも新しい技術で作られた「もののけ」のイノシシは
「ナウシカ」のオームよりも臨場感があり
押し寄せ感がさらにリアル。
また、「ナウシカ」で子供のオームを
群れに返すナウシカのセリフや振る舞いと
シシ神の頭を「でいだらぼっち」に返す
アシタカのセリフや振る舞いがほぼ一緒。
どちらも人間と自然のせめぎ合いから
共存の道を探ろうとする主人公のお話でした。
1997年製作のこの作品に感動した私たちは
その答えを考えてきたのだろうか?
そこにズド〜〜と重いものを感じてしまった。
@おすすめ鑑賞方法は?
「23年も経てば観てない人も多いはず
1回は映画館で観ておきましょう」
ここからは2021年8月に
テレビで放送された時に感じたことの追記
前出の岡田斗司夫氏の解説によると
宮崎駿と言う人は、
「人と自然の共存」なんてそんなありふれたことを
(当時はこれで最後!と言ってたので)
最後の作品の主題にするような簡単な人では無い!
と繰り返し話しておられたので
もっと深いモノ、人の心の割り切れなさや
怨嗟の連鎖やそんなものが潜んでいるのかな?
等と思うようになりました。
天才の考えることは凡人には追いつけないですね。
産業革命黎明期
未来(子孫)への備え(贈り物)とし、自然の恩恵を分けてもらうことで命をつなぎ、自然とともに生きていた家内手工業の時代から、
「もっと成長を」と願い、創意工夫を重ねる工業化への変換の時代の狭間。
自然を管理し、治水をし、鉱物資源を日々の生活に活用し…。
そんな、人の生活を実り豊かなものにしようとする営み。
富が蓄えられれば、それを奪おうとする者も現れ…。
かつ、命の神秘をわが手にと策略する者、そんな人物の手足となり恩恵を得ようとする者。
それぞれの立場・思惑が入り乱れ…。
自然神 VS 人間の構図。
そんな単純な構図ではない。
エボシ御前を筆頭とするたたら場の人々。たたら場で作った製品はどこに流れていき、どのような使われ方をするのか。
そのたたら場の益に目を付けた戦国大名。
その戦国大名か、それ以外の権力者に命じられ、シシ神の首を狙う一群。
人間でも、獣でもないものたち。ー魔女の予言のようで、『マクベス」を思い出してしまう(そんなものは存在しないと思わせる予言)
山犬神、猪神の、この映画の中での存在・立ち位置は比較的わかりやすいが、
狒々神、鼠神達は?
最初のシシ神登場の時は、カモシカか鹿のようなシルエットもあったように見えるが…。
豊かさとは何なのか。その問いが、鑑賞者に跳ね返ってくる壮大なるスぺクタクル。
一見、ハッピーエンドぽく終わるが、答えの出ない命題。
多分、鑑賞するたびに、その時の年齢・人生の状況・社会状況によって、見方が変わるのだろう。
そんな、哲学書にも似た一大絵巻を、よくぞ作り上げたものだと称賛を捧げても捧げつくせぬ映画。
だが、それほどの映画だからこそ、「惜しい!」と思ってしまうところがそこかしこ。
重箱の隅をつつくが如くの棘なんだけれど、言いたい!
「もっと、もっと」と望んでしまう私は、たたら場の者や戦国大名と一緒なんだと思いつつ…。
だいだら法師の造形。
なんであんなデザインなのだろう。内臓が透けて見える…。勿論、意味があってのことなんだろうけれど。”命”を視覚的に表しているのだろうけれど、グロテスク…。
木霊の顔も、動きがかわいらしいが、今ではマスコットにもなっているが、初見では驚いた。
まあ、ムンクの『叫び』がマスコットになるご時世だから。人の感覚は変わってきているのだろう。
主要人物アシタカの造形。
やっていることは、双方を結び付け、共存の道を探ろうとする青年。だから、どっちにも加担し、どっちをも裏切る。下手すると、蝙蝠のような、優柔不断な存在。だが、言葉使いと、松田氏の一本筋の通った貴公子然とする発声・言い方。その松田氏のおかげで、善なる道を模索しつつも成しえぬ、それでも悩み苦しみつつもあきらめない高潔な青年ー人類の希望ーみたいに見えてくる(笑)。
ヤックルが常に付き添うのも、アシタカの誠実さを表していて好き。
そのアシタカと比べると、エボシがよくわからない。
たたら場の人々を大切にし、生活の場を与え、切り盛りする女傑。それが、クライマックスに差し掛かる前の決断…。何故?私には突然の変心に見えて…。
声は田中さんで合っていたけれど、絵が田中さんの演技に追い付いていない。田中さんの姿を思い浮かべながら見てしまったよ。初期の東映映画やディズニーみたいに、田中さんに演技をしてもらって、そこからセル画起こして欲しかった。
そして、サン。
言葉や刺青・服は誰が教えたの・施したの?う~ん…。ま、映画の都合上、おいておいて…。
なぜに声が石田さん?山犬の娘としての猛々しさがない。監督はどういうイメージでサンを作ったんだ。人身御供にされた非力で哀れな娘?
大変申し訳ないけれど、サンがいなくとも話は進む。山犬神たちはちゃんと人間とコミュニケーションをとれる設定だもの。
森繁氏。『白蛇伝』でほれ込み、監督自らお願いしに行ったと聞いたような。だが、『白蛇伝』の方がすごかった。
『白蛇伝』を見てから、声には声優ではなく、俳優を使う主義と聞いているが、それがいい方の出ることもあるし、悪い方に出ることもある。
勿論、小林氏、西村氏、上条氏、森光子さん等々、他にも、えっ?この人が?と華を添えてくださっているのだが…。
とケチつけてはいるものの、
三輪氏の声にはひれ伏してしまった。
この映画の格調を一気に上げている。母性を醸し出しながらも、荒ぶる男性的な神の声。神々しすぎて、つい背筋を伸ばしてしまう。三輪さんの声で語られる、人間の考える人情なんてちっぽけなものと思わされる自然の摂理。説得力がありすぎ。
でも、エボシよりは、役柄の性質上まだモロの顔で見られるが、それでも絵が負けている。勿体ない。
絵と音の融合。難しい。ちょっとしたことが、お互いを殺してしまう。
スッキリとしたオチがあるわけでもない。
この映画の人物のその後は描かれていないが、時代を下って、今の私たちに繋がることを思えば、そこにあるのは希望なのか?
土地神は戻るのか、呼び戻せるのか。
そこに”発展”はあるのか。
エンディングテーマにのって、思いを馳せてしまう。
山犬に育てられた少女
対立する二者には、それぞれ信じている思想や価値観が存在する。戦争が発生してしまう背景について少し理解できたような気がした。もちろん、絶対に起こってはならないが。
印象的だったのは、サンという女性。生まれてまもない頃に、人間から生贄として差し出され、山犬に育てられてきた。町に乗り込んで、仲間や自然のために必死で戦う冒頭のシーンは、胸熱くなるものでもあり、切なくもあった。「来るな!人間なんか大嫌いだ!!」とアシタカに言い放つシーンも心揺さぶられた。
この映画はなんとも感想を言語化しにくい。素直に言えば、「難しい」。でも、「なんかすごかった」という映画だった。
ヒューマニズムと自然
久しぶりに観たけど、やはり名作。アニメなんで「子供向けのインスタント映画」かと思いきや、実際は「人道主義と自然の調和は可能か?」という、ハリウッド映画なんかによくある「単純極まりない勧善懲悪」に比べて、ストーリーやテーマの掘り下げ方が、ずっと複雑且つ深い作品。
監督が他のメディアで、「網野史学からの影響や、自分はディープ・エコロジストではない」と述べてたけど、それもあってか、タタラ場の生活様式に、ちゃんとリアリティがある。エボシを悪人として描いてないし。後、ワカラン奴は「ワカランでもええよ」という突き放した姿勢も良かったかな。実際、米国の映画関係者はよくワカランかったようやし。
ギリギリ若かった駿監督、御大の最初で最後のアクション大作アニメ
プロデューサーの鈴木敏夫氏の説得によって誕生した『もののけ姫』、当時の
宮崎駿氏の年齢がギリギリ体力勝負でアクション物を作れる最後の時期だと
判断したゆえらしいがこれ以降、御大の作品でここまで苛烈で迫力ましましで
熱気のある作品は存在しない。驚異の作画枚数と本格導入されたデジタル処理
(祟り神の触手の動きや背景の動き等)が織りなす合戦や戦闘シーンの数々は
ジブリ作品随一の迫力を生み出し、久石譲氏の手がける数々の劇中曲もひときわ
荘厳で、主人公が里を出立する際のBGMは圧巻。脂の乗り切った時期に
制作されたのもあろうが、まさにタイトル通りの作品である。
ただ、この感想を抱いたのは今回のリバイバル劇場とその前から積み上げてきた
予備知識を含めた最近の話、初公開時にはこんな感想は全くなかった。
本作は97年に公開されており、これの初視聴は劇場ではなく自宅のビデオ。
当時は小学生なのもあるが、内容が複雑すぎて全然理解してなかった。
あの時劇場に足を運んだとしても楽しめなかったと断言できる。
ちなみにビデオで見た時に浮かんだ感想は『おかゆ美味しそう』だったが、今でも
このシーンは旨そう、ジブリは食事シーンがとにかく美味しそうに描くから好き。
今となって多少は物語への理解力が高まったおかげで話の流れを汲めるように
なり、事態が急変していく本編の流れを初めて理解して見れた。その一方で
本作の結末が一応のハッピーエンドを迎えはするが、例えばアシタカの呪いは
果たして解けきってるのか、たたら場とシシガミの森の対立が解消されてるのか
たたら場を襲った侍連中は全滅したが第二陣が来るのではないかと内容を理解
したからこそ結末に影を落とす不穏要素がかなり残っているようにも見えてきた。
だだ、この作品の主題要素には監督いわく
①子供たちの心の空洞
②至る所に起こる差別
③人間と自然との関わり
④人間の憎悪の増幅作用、殺戮へ突き進む闘争本能
⑤神秘主義と合理主義の対立
など字にしてもさっぱり解らない課題を入れているそうで、これらを取り入れた
監督自身も【解決不能な問題】と評しているのである、なら結末が解決してるようで
解決してないように見えるのは制作者の狙い通りなのかもしれない。
これが1990年代のアニメ映画ということに驚き
壮大な世界観に引き付けられました。
人間と森の生き物の戦いが見所です。
また、音楽がこの世界観をさらに引き立たせ、視聴者はこの映画に釘付けになること間違いなしです。
現代の世界を上からシシガミが見てるよう
シシガミの表情が印象的でそれを描ける宮崎駿はすごすぎる。無音の足音と久石譲の音楽も素晴らしい。
災害などが起きると自然には敵わないなと思うけれど、それ以外にも人同士の争いや、自ら便利で忙しくて息苦しい現代社会を作っていく人間をシシガミが上からあの表情で見ているように感じた。
それでもアシタカのように真心を持って生きれば、シシガミさまが時には助けてくれるのかも。
全200件中、41~60件目を表示