劇場公開日 1997年7月12日

「面白い」もののけ姫 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0面白い

2025年4月13日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

もう何度見たか知れない作品。
ラピュタの「すべてを見せる」構造から、「すべてを描くが表現しない」構造へと変えたのは、作り手宮崎駿さんのすべてを描いてしまうと描きたいものがなくなってしまうということに気づいたからだということだ。
だからこの作品の裏設定は凝りに凝っている。
視聴者も感じる矛盾点のようなものを探すために何度も見てしまう。
村というのか小国の王になるはずだったアシタカヒコ
タタリ神によって呪いを受けるが同時に神々の聖痕を受ける。
村を出ることになる際に恋人カヤから受け取った黒曜石のナイフを、いとも簡単にサンへ渡してしまう。
「私はたたらばで暮そう」
さて、
単純に見て楽しめる作品だが、現代人の感覚と当時の人の感覚の違いという視点から見ることでこの作品の裏の顔が見えてくる。
この物語の視点はすべてアシタカによる。
しかし、彼が感じたこと それさえも押し殺していることでアシタカが感じているはずの葛藤のようなものがあまり見えないことが、この作品を別物にしているようだ。
宮崎さんに影響を与えたのが司馬遼太郎さんで、「人間というのは本当に不条理を抱え込んでしまうとき、礼儀正しくなるんです」という言葉が効いたようだ。
この視点によってこの作品がまったく違ったものになり、さらにタイトルがそれに輪をかけてしまった。
アシタカせっ記
これこそがこの作品の本当のタイトルのようだ。
しかしそれでは売れない。
このジレンマ
風の谷のナウシカを「巨大虫オーム」とするようなものだ。
このあたりは岡田斗司夫さんが解説している。
岡田さんは宮崎さんや鈴木さんなどたくさんのアニメーターたちと交流があるので、「実は」というのをよく知っている。
彼の語るこの物語の「実は」は、一般的には追うことなどできないだろう。
さて、、
一般視聴者の私が感じたもののけ姫
縄文文化を受け継いできた小国
豊かな森 自然との調和を崩さない生き方
ここに突如として現れたタタリ神 呪い
少女たちを守り国を守ったアシタカが追放される。
彼の本当は感じていたであろう不条理との葛藤を描かないことで、この作品が万人ウケすると同時に別物になった。
ヒイ様の呪い返し
西の国で起きた不吉なこと 呪いを受けたアシタカをそこへ向かわせることでその呪いを返す手法。
アシタカがたたらばへ残ったのはやはりサンがいるからだろう。
黒曜石のナイフをサンに贈ったのもカヤというたった一つの心残りを捨てたように思った。
それだけ国から追放されるというのはアシタカにとっては重いことだったのだろう。
マゲを切り落としたのは儀式だったが、黒曜石のナイフこそ自分自身をまったく別の世界の人間として生きることの決意だったように思った。
この物語に登場するたくさんの対峙軸
鉄という資源を得るために森を破壊し続けるエボシたち
その鉄を奪いたい侍たち
森の破壊を許さない神々
シシ神の首にあるという強力な力
彼らは巨体で言葉を遣うが、その他の特別な能力はない。
怒り狂い、人間を呪い、心を腐らせるように土蜘蛛のような妖怪タタリ神になるだけで、呪う以外の力はない。
アシタカは「人間の手でシシ神の頭を返したい」と言った。
日本各地に残るダイダラボッチ伝説
エボシには彼女らの言い分が存在する。
捨てられていた女の子を拾ってくる。
病気の人を人として扱ってくれる唯一の人
この多角的な面を考えると、人それぞれの生き方もまた多角的であっていいように思った。
考え抜いた上の生きる術 たたらばと鉄の生産
このたたらばに子供たちがいないのは何故だろう?
捨てられた子供は拾うのに、子供を産むことをエボシは嫌っているのだろうか?
サン
山に捨てられた子供をモロが育てた。
捨てたのが、あるいはエボシだったのだろうか?
目的のためには犠牲もいとわない女エボシ
たたらばの女たちの見たとは全く違う一面をのぞかせる。
シシ神の首 未知なる力 不老不死の力 繁栄の力
「シシ神は活かしもするし殺しもする」
破戒された自然はまた元に戻ろうとする。フクシマのように
人間の行き過ぎた破壊は、結局自然の元に戻ろうとする力によって戻されてしまうのかもしれない。
それを人間は知っていて、または感じることで終末論などが湧き起るのだろうか。
隕石の落下も、大地震も大洪水も自然の元に戻ろうとする力かもしれない。
もし、
サンがエボシの子供だったら、エボシはその罪滅ぼしのために捨てられてる子供を拾ってくるのだろうか? それとも単なる人工か?
既に山犬に育てられていたサンを、エボシは見つけることができなかったのだろう。
逆に山犬と一緒になってたたらばとエボシを狙うようになってしまった。
その娘と戦うときは、娘を殺すこともいとわない。
これこそエボシに降りかかった呪いだが、自作自演とも取れる。
「共に生きる道」
アシタカの提案
この時代 磁石を袋に入れ海岸の砂浜を行ったり来たりすれば、たくさんの砂鉄が取れるが、当然そんなことは無理な時代。
力対力では力のあるものが勝つ。
この構造は未だに変わらないし変えようとしないが、アシタカのような提案をすることはできる。
結局最後は未来少年コナンのように自然の力が勝つ。
この繰り返しが人類の歴史でもある。
様々な対立軸と視点のある物語
もっと書こうと思えば書けるが、キリがない。
だから、何度見ても面白い。

R41