ミツバチのささやきのレビュー・感想・評価
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私には理解できない映画だったが、他のレビューを読んで理解できた。
名作との評価の定まった映画であるが、いままで観る機会がなかった。たまたま「午前10時の映画祭」で上映されると知り、鑑賞した。正直な感想はタイトルの通りである。
上映後に映画評論家町山智浩氏の解説があるとの掲示があった。しかし、私が観た上映館では解説がなかった。この映画は何が言いたかったのだろうという「もやもや」だけが残った。
レビューを読んで、この映画の舞台はスペイン内戦時代で、映画製作時にはフランコ独裁政権はまだ健在だった。故にあからさまな政権批判はできず、隠喩や暗喩に頼らずを得なくなり、象徴や詩的な物に富んだ直ぐに理解できない作品となってしまったことがわかった。
理解することはできたが、この映画を観ていて楽しかったかと問われれば、「NO」である。主人公の女の子の可愛さだけが印象に残る。私には一度鑑賞すればいい映画に感じた。
10年後或いは20年後にまた鑑賞してもいいが、もしかすると、私はもうこの世にいないかもしれない。この映画が暗喩しているように。そういえば、映画の題名だって意味深ですよね。ミツバチは独裁政権下でのスペイン国民だと思えます。主人公の父が述べる働き蜂の説明からそう感じます。
ちびまる子姉妹とは
となりの"闇"トトロ
不思議な映画だった
Buenos dias !Don Jose
午前十時の映画祭にて
スペインの片田舎風景 何にもない所で木が一本だけの草原、泥濘みとても趣のある懐しいような映像 おとんの職業何?夫婦訳アリ?と思ったけど、裕福そうなお家 学校や映画館等の建物、子供達の服もお洒落だな 授業の様子も面白い 肝心の負傷兵のシーンはそんなにないけど、子供の頃って恐いものとか妙な事信じてたりとかあんな感じだった アナ役の子役さんお目々クリクリでとても可愛らしい
ギレルモ・デル・トロ監督この映画好きなんかな?と思った
無垢
スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督の傑作!長編映画デビュー作品。
1969年のデビュー作から(長編は)
3作品しか発表していない
「寡作な監督」として知られていますよね。
先日のスペインのサンセバスチャン国際映画祭で「ドノスティア賞」
(生涯功労賞)を授与された監督。
(宮崎駿監督も!)
そして!
今年のカンヌ国際映画祭で31年振りの新作!!!4作目の長編になる
「Close Your Eyes」
の正式出品が決定したとの記事を読みました!(怒ってたけどw)
31年振りって!!Σ('◉⌓◉’)
寡作にも程がある。。
↑新作では何と!あのアナ!が50年の時を経て出演しているそう!!
公開が待ち遠しいです!
さて、
映画マニアの方々から名作としてよく名前が挙がる本作。
私は監督のお名前と作風、本作のあらすじは知っていましたが、ずっとスルーしていました。
映画には、映画の方から色々教えて欲しい自分がいたので、その作風や内容で敬遠していました。
今じゃないな。。とずっと先送りに。
そんな中、今回の
「午前十時の映画祭13 」で、
本作が掛かるというじゃないですか!
これはもう今なんだな、と。
行って参りました。少し緊張。
舞台は1940年、内戦終結後のスペイン中部の小さな村。
6歳のアナと姉イザベルは、養蜂場で蜂の研究をする父フェルナンド、手紙を書き続けている母テレサと暮らしていた。
そんな中、村に巡回して来た映画
「フランケンシュタイン」を観たアナはそれに魅了され、イザベルの嘘を信じ、フランケンシュタインが住むという小屋に通う。
ある日、列車から飛び降りて、小屋に逃げ込んでいた負傷兵と出会う。
怖がる事もなく、看病するアナ。
りんごを差し出し、父のコートや時計まであげてしまう。
そして。。
シンプルな見かたとしてはアナの成長物語りなのか?
感度の高いアナが世界の向こう側や異形のもの達と交信する様が描かれているのか?
背景にはスペイン内戦や独裁政権の空気感が漂っており、常に「死」の匂いがつきまとう。。。
もう「子供」ではないイザベル、テレサが書く手紙、毒キノコを踏みつけるフェルナンド。
汽車の走る線路や井戸の周りで遊ぶ様子、焚き火の描写などが差し込まれる度に、嫌な予感がして冷や汗が出そうな緊張感に包まれた。
加えて、猫、血、その血を唇に。。
絵画の骸骨など、様々なモチーフが死を連想させる。
そして数々の違和感。。。
イザベルのベットは?
イザベルは死体ごっこをしていただけ?
もしかしてイザベルはアナにだけ見える存在になった?!!
そして、
行方不明になったアナに何があった?
アナの受けた衝撃とは?
脱走した負傷兵は実はアナの。。。?!
だからテレサは手紙を燃やした?!!
しかし、お話しはシーンごとの繋がりもなく進む。。直接的には描かれない。
シンプルだし難解だし、全てが内包されていて開けるのに時間がかかる。
(今もまだ開けきれない)
アナのあの無垢な幼女時期の、
あの「期間限定」な幼い眼差しから見る世界はどう見えたのだろう。。。
絵画のような、詩のような、アナのような、幻想的で美しい作品でした。
◎町山智浩さんの解説がありました。
政治的な検閲が厳しい中、様々な思いを潜ませたとのこと。
解説付きとは面白い試みだが、、
私は鑑賞後の余韻に浸りたいタイプで、その後も頭の中で反芻し、自分なりに考えたい。
解説(ネタバレ?)は自分のタイミングで知りたかったです。話した内容を冊子にしてプレゼント!の方がうれしかったよ。
いや、解説ありがたい!って人も多いですよね。
素人が生意気言ってすみませんm(_ _)m
本作は素晴らしい映画です。
是非機会を作って観て欲しいです。
隠すことは美しきこと
『午前十時の映画祭』で鑑賞。
上映の前後に映画評論家の町山さんの解説があった。
全体的にストーリーが謎めいていて、それが素朴な村の画面の美しさとあいまって神秘的な魅力がある。特に主役の女の子は本当に魅力的で、幼児特有の真っ白で真っ黒でまっすぐな瞳。これって演技というより、物心つく前の年齢だからこそできるふるまいなのかな?
しかし町山さんの解説で、この映画がスペインが独裁政権により厳しく映画などの表現を検閲された状況で作られたこと、謎めいたストーリーの1つ1つに現体制を糾弾するための象徴的な意味があること、などが分かった。
制限された状況下の方が、むしろ名作が生まれる、ということの代表のような話だと思った。ソ連の映画監督タルコフスキーとかね。
定期的にリバイバルして欲しい名作
『午前十時の映画祭』で30年振りにスクリーンで鑑賞。
調律が狂ったピアノで母親が奏でる曲はソロンゴ。詩人ガルシア・ロルカが採譜して有名になった古いスペイン民謡。スペイン人であればこのメロディからスペイン内戦で銃殺されたロルカへ思いが及ぶものと思われます。詩も残されていて、思いの届かぬ恋人のことを歌っているようです 。
その他、スペイン内戦とか独裁政権とか、初回鑑賞時より当時のスペインに関する知識は増えているのですが、残念ながら感性は衰えたのか、初回ほどの衝撃はありません。
しかしながら、初回鑑賞時はアナ一人に持っていかれた心を、今回はイサベルにも向けることが出来ました。どこか死の匂いがする家族の中、ひとり現在進行形で生きてる感じがするイサベル、良いですよね。
絵画のような美しさ
23-105、115
何とも言えない寒さ、温かさ
悪とは何か
幻想的で美しい
閉塞感と立ち込める死の匂い
午前十時の映画祭で初見。
本編の前後に町村智浩氏の解説というかネタバラしが付いている。町村氏の評論全般には好感はもっているのだけど今回のこれはやり過ぎかなと思った。フランコ体制が終焉した後に監督はじめスタッフが映画について語ったことが元ネタではあるのだけど、あのシーンの意味は、とかあの配役の位置づけは、とかいちいち政治体制と紐づけて答え合わせをするのはちょっとね。
映画は最終的には観る人に委ねられるものだと思っている。監督の意図から離れたところで観客が感銘を受けるってこともあり得るわけでそれが表現っちゅうものではないんかい。
私自身はタイトルにした通りの印象をこの映画から受けそれはそれでなかなか得難い体験でした。
それ以上の細かい説明はいらないんだけどね。
スペイン内戦
あの世とこの世の境、すぐそこにいる精霊の世界。
「7歳までは神のうち」とは、日本での話と思っていたが、スペインにもあるのだろうか。
スペイン・フランコ政権下での、鄙びた村での話。
スペイン・フランコ政権下と聞いて、『パンズ・ラビリンス』を思い出す。
現実と空想の境界線があいまいな点は同じだが、
『ミツバチのささやき』の方が、より現実に根差している。
(とはいえ、軍部とゲリラの抗争は『パンズ・ラビリンス』の方がはっきりと描かれているが)
なのに、『ミツバチのささやき』の方が豊かなイマジネーションが広がるのは、どういうことだろうか。
フランコ政権下の検閲を逃れるために、メタファーを使っていると聞く。
だからか、ほとんど説明がない。
映像やわずかな台詞・音楽・音響から、鑑賞者が読み取るしかない。
その映像も、素朴な風景画。
わずかな登場人物。
行間ならぬ、映画が醸し出す雰囲気を読み取る・イメージすることを求められる。
”映像詩””絵本のような”という感想も頷ける。
どなたも絶賛されるように、主人公・アナがかわいい。
おしゃまに見える姉・イサベルもよい。
そして、ふりまかれる死のモチーフ。
誰に書いて、投函しているのか、返事の得られない手紙。
どこかに連れて行ってくれる / 連れていかれる / 何かを運んでくる汽車。
生気のない乗客。
映画『フランケンシュタイン』。
「ねえ、どうして少女は殺されたの?怪物は殺されたの?」アナの疑問。
線路での遊び。ねえ、事故るよと、ハラハラと。
毒キノコ。
キノコの宝庫である山に目をやれば、靄がかかり…。『パンズ・ラビリンス』を思い出す私は、靄が煙に見え、メルセデス達が隠れているのではないかと思ってしまう。
学校での勉強。教えてもらっている内容…。「大切な器官」と焦点を当てられる”目”(フランケンシュタインつながりで、”脳”だと思ったのに)。何を見るのか。
井戸の周りでの遊び。余程暇なのだろうと思う反面、いつ、井戸に落ちてしまうのかとハラハラする。井戸もこの世とあの世をつなぐ橋。(ex.『赤ひげ』)
首を絞められる猫。
傷から湧き出てくる血。
西洋絵画には必ずと言っていいほど描かれる骸骨にわざわざ焦点を当てる映像。
反応しない姉。
焚火での遊び。これも危ないよと、ハラハラと。それだけでなく、サンファンの火祭り→メキシコの死者の祭りをも連想させる。日本でも、仏教の修行等の一環として行っているし、世界各国であるようだ(Wikiによると、適切に行われる限り、火傷を負う危険はないようだ)。
負傷した逃亡者。
ちらつくピストル。
銃撃戦。
死体。
こびりついている血。
フランケンシュタインとの邂逅。
あの世とこの世をさまようアナ。
医者・薬。
…。
物語は淡々と、エピソードやシーンはつながりが特にあるわけでもなく、日常を単発的に拾っているように進むのだが、静かな静かな緊張感が持続する。
何かが起こりそうで起こらない。そんな展開に引っ張られる。
その展開をつなぐのがアナ。
この世とあの世に境目にいるかの如く。
”殺される”ことの意味すらよく解らなかったのか。
小屋にいる逃亡者に、なんのためらいもなく、近づくアナ。
逃亡者を精霊=フランケンシュタインに見立てているのなら、映画の少女と同じように「殺される」と怖がってもよいのに。
未知なるものに惹かれていくあの年代。世の中は、善意溢れるもの・キラキラしたものであふれていると思っていたあの頃。
それが…。(食肉とかは屠殺しているだろうから、血が流れているだけで何があったかはアナにもわかるであろう)
しかも、父が…(と誤解)。
初めて、本当の恐怖を感じるアナ…。
それでも、目覚めたアナは、イサベルに教えてもらった呪文で、精霊に呼びかける。
このシーンの、幻想的で美しいこと。
心に残るラスト。
誰に呼びかけているのだろうか。
誰が答えてくれるのだろうか。
蜜蜂。働きづめの一生。働いた報酬は、女王蜂どころか、人間に搾取される。
フランケンシュタイン。”死体”の寄せ集め、しかも脳は犯罪者のもので作った化け物。結局、少女を殺してしまう。
フランコ政権の暗喩としている解説もある。
”あの世”と”この世”は、フランコ政権下での生活と、フランコ政権下以外での生活のことも意味しているのか?
同時代を生きたスペインの観衆には、言葉にしなくとも共感し、それと気づくモチーフだったのだろう。
水辺で出会ったフランケンシュタイン。
無垢なるものとしてのメタファーか、人間が作り出した化け物(≒フランコ政権)として見るかによって、意味づけが変わってくる。
とはいえ、そんな当時のことを知らなくとも、アナの物語としても永久保存版。
”死”というものが、”あの世”がどんなものか、怖れと好奇心で満ち溢れていたあの頃。
ちょっと危険な遊びをして叱られたっけ。
精霊はすぐそばにいて、怖い反面、会いたかった、あの頃。
会えない代わりに、妖精の本とかを夢中で読んだっけ。
そんな日々を思い出させてくれる。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
よくわからないことだらけで、推測で補う映画だが、私にとっての最大の疑問は、イサベル。DVDについていた解説を始めとして、私が読んだ解説は”死体ごっこをしていた”とする。
”死体ごっこをしていた”だけなのか?
実は、あの時、死んでいるのでは?
焚火越えは、死者であるイサベルたちだけが参加できる遊びなので、アナは見ていただけなのでは?
布団でのおしゃべりも、映画を観た日は”会話”していたが、”あの日”以降は、イサベルが一方的にしゃべっているだけで、”会話”にはなっていない。
朝食シーンでも、両親とイサベルの会話はない。
実は、死んで精霊となってそこにいるのでは?
だから、医者は「アナはまだ生きている」と強調したのではないか。
ラストのシーンで、イサベルのベッドが片付けられているのは、そういうことではないのか。
朝食のシーンで、イサベルもカップを抱えていたのは、
しばらくイサベルもベッドで寝ていたのは、
母が、イサベルが死んだことが受け入れられなく、イサベルが生きているようにしていただけなのではと思ってしまった。
そうすると、ラストでアナが呼びかけていたのは、精霊となったイサベル?
この点だけは、監督の解説を聞きたい。
★ ★ ★ ★ ★
(2024.4.5追記)
上記の疑問に対して、いろいろな方が様々なコメントをくださいました。おかげ様で、考察が深められました。レビューサイトの醍醐味と嬉しくなると同時に、皆様に感謝いたします。
その中で、レビュアーのiwaoz様が町山さんの解説をコメントに記載してくださいました。ありがとうございます。
町山さんの解説(監督たちの言葉)、
「姉は、フランコ政権下で生まれて、現状に問題意識の無い若者たち。」
「監督曰く『私はアナ』というセリフは、スペイン国民に対して、希望を捨てずに新しい国を作っていこう、という呼び掛けだったらしいです。」
を頭に置きながら、
”イザベルは死体ごっこをしていた。”→「現状に問題意識の無い若者たち」に見えるが、実は処世術で死んだふりをしているだけ。そしてアナは精霊となった逃亡兵かフランケンシュタインに呼びかけている?
”イザベルは死んで精霊になった。”→「現状に問題意識の無い若者たち」の魂は一度死んだが、「希望を捨てずに新しい国を作ってい」く国民として再び蘇るように呼び掛けている?
と考えると、そこにも監督の強烈なメッセージを感じてしまいます。
焚火を飛び越える遊びも、イザベルが象徴している人々はこういう現状にいるよということなのか…。
下手に表現したら殺されるかもしれない状況の中、検閲に対する目くらましを用いてもなお、それでも発信したいメッセージ。監督のパッションがとても強い映画なのですね。
本当に知れば知るほどという映画だと改めて思いました。
溶け込むような静かな世界
アナがストライクすぎる
最初に観たのは15年以上前。
アートの趣味が合う友人に、「主人公の女の子がむちゃくちゃかわいくて好きだと思う」と、オススメされました。
友人の言う通り、アナがむちゃくちゃかわいいけど、なんて暗いお話…という印象でした。
今回は、すっかりお気に入りの目黒シネマで、劇場上映3日間(短い!)とのことで、スケジュールにねじ込んで観てきました。
ほんとに子供たちが描いたであろうマジックのイラストと共にオープニングが進んでいきます。このイラストから既に、かわいいのに暗いです。
最後までずっと、明度も彩度も低いです。
アナの真っ直ぐすぎる瞳。
今回の二本立てのテーマが"幼いまなざし"それまさに。
時折笑顔を見せるも、真っ黒で大きな瞳で、ただただ真顔で見つめるのですよね。
よーーく物事を見る子で、疑問を問う。そういう年頃ってのもあるのでしょうが、真実を見ようとするキャラクターも好みです。
佇まいも表情もなんて刹那的。当時7歳!(もっと幼く見える)
イサベルの知ったかぶりもいい比較。なんでなんで攻撃されるお姉ちゃんも大変よね。
アナもイサベルも本名だそうです。かわいい。
スペインという土地や、1940年代という時代が、この"哀愁"を感じさせるのでしょうか。
テレサが自転車で走る道は果てしなく見え、広大な荒れた平野の中に幼い2人がポツリ。
拓けた何もない風景の中に、現代都市を脳内で比較してしまいます。
そんな、子供たちの足では遠いやろーー、というところを駆けていくシーンも好き。
ずっと"かわいいなぁ"と語彙力崩壊状態で見ていました。ずっと変な顔してたと思います。
アナとイサベルはもちろん、犬もネコもかわいいです。父親が人嫌いながら、犬の異常なまでの懐き方で、根の人の良さが伺えます。
●かわいいの例
・『フランケンシュタイン』の映画を観ている姿。
・↑観た後、家にキャーキャー飛び込む2人。
・布団でのささやきトーク。
・ネグリジェ姿
・↑で、はしゃぐ2人。
・学校のお揃いの制服とシャツコート。
・アナのポンチョコート。
・父に見つかって無言で逃げるアナ
・・・
そして、
「デン」 リンゴ
もうね、声から何から何までドストライクすぎて、吹き出してしまいました。ここ、大好きで、よく真似してたの思い出しました。
この最高のシーンを忘れていた自分よ。
あー、観にきてよかった。
●その他の感想
象徴的に登場する、ハチの巣模様の窓。どこか牢獄とも重なります。朽ちたアンティークなベッドやピアノも建物も暗い。ドクロの絵といい、"死"の香りがそこかしこに。
母の手紙は訳アリな様子。自分の年齢的に、父母の方に思い入れが出てきてもいいのに、がっつりアナにときめいてばかりで、15年前と成長してません。
フランケンと見合ってるアナは息が白くてほんとに顎がガクガク震えているように見えました。大丈夫ーー?
毒キノコの見分け方をお父さんから学ぶのも印象的。毒キノコ、いい匂いなんですね。全然見分けられる気がしません。
イサベルが猫に執拗に首絞め?子供ってああいうことするよなーって思うけど、それを撮った監督の感覚すごい。
指から血が出ても、派手に騒がないのとか、唇に塗るのもリアル。イサベルが肝座ってるのかもしれませんが、子供ってそゆとこあるある。
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