ミツバチのささやきのレビュー・感想・評価
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ビクトル・エリセの奇跡の長編デビュー作 難解だが、映像美に惹かれる
午前十時の映画祭13にて。
(町山智浩解説つき)
難しい映画だ。
本作公開時の日本はミニシアターブームの真っ只中で、“シネマスクエアとうきゅう” “ユーロスペース”などと並んでブームを牽引した“シネヴィヴァン六本木”で上映された。チケット購入も、購入後の劇場入りも長蛇の列だった。(※)
公開当時は、主演の女の子(アナ・トレント)が神秘的なほど可愛いかったことと、幻の傑作『フランケンシュタイン』(’31 監督:ジェームズ・ホエール)の映像が引用されていることが注目のマトだった。
実際、アナちゃんが大きな眼で『フランケンシュタイン』に見入る表情は、パブリシティに使われていたスチールを予め見ていても、映像として強いインパクトがあった。
この映画が独裁政権下スペインの隠喩であることを知ったのはずっと後なので、それを意識して鑑賞したのは今回が初めて。
製作されたのは日本公開の10年以上前で、製作当時のスペインはまだフランコ独裁政権下だった…ということすら初鑑賞時は知らなかった。
公開当時はファンタジックでアーティスティックな映画という印象だったが、難解で一種異様な雰囲気も感じていた。そういうハリウッド映画とは異質なところをオシャレに感じる周囲の空気はあったが、自分は映画の意味することが理解できず難しい映画だと思っていた。
アナと父・母・姉がスペインのどういう人達のメタファーであるかは、町山氏の解説のとおり監督や関係者が公表しているのだから、余談を挟めない。
しかし、よほどスペイン内戦前後の社会的背景や映画製作時のスペイン情勢を知っていないと、この的確だと評される隠喩を理解できないのではないだろうか。
少なくとも私には難しい。
スペインに全く詳しくない自分は、寒々しい村の風景と和やかさのない両親、意地悪な姉に囲まれた少女アナが可哀想で、映画で見たフランケンシュタインの怪物と空き家で出合った脱走兵を重ねてしまうのは、彼女の現実逃避なのだと解釈していた。
勿論、ラスト近くでアナの前に現れる怪物は幻だ。それは、彼女が現実(父)から逃げて幻想(脱走兵=精霊)を追い、遂に幻想世界に堕ちていったのだ…という理解だった。
今回30余年ぶりに鑑賞して(ほぼストーリーを忘れていたので初観と変わらないのだが)、時間軸を操作しているのではないかと感じた。
姉のイサベル(イサベル・テリェリア)に誘導されて野原の空き家に始めて行ったとき、アナは井戸の周りに靴跡を見つけている。
が、脱走兵が列車を飛び降りる場面はこの後に描かれていて、時系列だと脱走兵はまだそこにはいない。
また、姉妹で寝ている寝室をアナがこっそり抜け出すシーンがあるが、これもアナが空き家で脱走兵に出会う場面より前なのだ。
もしあの空き家に行ったのだとすると、そこにいる脱走兵=精霊がいるからではないかと思うのだ。
この映画全体の構成から、これらの部分だけ時間軸を前後させるのは違和感があるから、靴跡は脱走兵とは無関係で、それを精霊の足跡だとアナが確信し、夜なら出会えるかもしれないと寝室を抜け出していた…ともとれなくはない。
父のミツバチ生態観察、母の文通については、解説があったお陰で理解したとして、理解し難いのがイサベルの死んだふりのイタズラだ。
あれはイタズラではなくイサベルは本当に死んでいた説もある。
家族の食事のシーンで父親の言葉に母親がいっさい反応しないことから、母親はすでに死んでいたという説もあった。
最後に怪物が現れたりするので、そもそもアナが見ている幻影が挿入された映画なのだと解釈したこれらの説は、それなりに説得力がある。
だが、監督たちが後に明かした隠喩のロジックとは合致しないのだ。
いずれにせよ、神秘的で寂し気で、しかしサスペンスフルで、そして美しい映画である。
ピカソの「ゲルニカ」で知られる都市無差別攻撃は、フランコ軍と結託したドイツ軍によって行われた。子供の頃、「絨毯爆撃」という恐ろしい攻撃方法の代表例としてよく聞いたものだ。
このような非人道的な恐ろしい所業が、軍事クーデーターを起こした反乱軍によるもので、その反乱軍が勝利して実効支配する国に暮らす国民たちの気持は想像もできない。
今なお、侵略戦争や民族紛争、領土紛争の戦争が止まないのは、恐ろしくも悲しい。
※私の記憶が確かなら……
ミニシアターが都内各所に出現し始めた80年代、一般の映画館はまだ“入替え制”ではなかった。席は全席自由で、映画の途中でも構わず入ることができ、最終回の終映まで何時まででもいられた。一回の料金で何回も同じ映画を見ることが可能だったのだ。(大型劇場は中央の2〜3列が指定席で、上映回毎に別料金で指定券を買う方式だった)
ところがミニシアターは、一本の作品の上映開始までに入り、終了とともに出なければならない”入替え“方式を採っていた。と言っても、全席指定ではないので良い席に座りたい人は早くから並ばなければならなかった。入場整理券が配られ、その番号順に(10番刻みとかで)入場して好きな席を選ぶ方式が多かったと思う。
“シネヴィヴァン六本木”の入替え制は、終映後に部屋から出されるが、劇場の外に出ないで次の回に並び直して入ることができた(初期だけだったかも知れないが)。
今の六本木ヒルズ辺りにあった「WAVE」という施設の中にあり、「シネWAVE」と呼んでいたはずだ。その記憶が間違いなのか、私が誤った呼び方をしていたのか、定かではないが…。
“シネヴィヴァン六本木”は、特にヨーロッパ系のアート作品を上映していて、本当のシネフリークと、彼らに影響された流行に敏感な若者たちで溢れていた。
日比谷の“シャンテ シネ”はマイナースタジオの邦画も多く上映するなど、各劇場が特色を出していた。
そういえば、「ミニシアター」という呼び名はいつ使われるようになったのだろうか。当時は「単館系」という言い方をしていた気がする。
平和なようで
スペイン内戦がようやく終結した翌年1940年
スペイン北部に巡回映画が来た。
タイトルは『フランケンシュタイン』
イサベル、アナ姉妹は、
喜び勇んで椅子を持って駆けつける。
作中で、
アナと同年齢の女の子がフランケンと
楽しく仲良く遊ぶシーンが映し出されていた。
アナの父は養蜂業を営む。
アナの家の窓ガラスも巣の模様の六角形。
アナは蜜?を運ぶミツバチ🐝、
母は、だいぶ若く父とは年が離れている様子。
後妻らしい。母は誰かに熱心に手紙を書いている。
内戦で、別れて来た人に向けて。
荒地の真ん中にポツンと経つ農業用の小屋。
数日前、列車から飛び降りた男が傷を癒やすべく身体を横たえていた。
どこかから逃げて来たようだ。
野原を走り回っていたアナ
小屋に辿り着き男を見つける。
誰?私のフランケン❓
鞄からりんご🍎を取り出し
男に渡す。
次の日、家からパパの上着を持ち出してきて
男に着せてあげる。ポケットにはオルゴール付きの懐中時計。
数日後、小屋に立ち寄ると
誰も居なくて、
床に血痕が落ちているのを見つける。
アナは想像する、
かくまっていたフランケンおじさん、
パパに殺されたんだ。
母は、届いた封書の中を読み直ぐ燃やす。
かっての恋人からだったのか。
恋人は、一目会いたいと書いて来て
実際、会いに来るところだったのでは⁉️
夢の中だけで会えるフランケンおじさん。
思いっきりおしゃべりしたり遊んだり‥‥。
男は、あっけなく殺されてしまった。
かっての恋人に会いたいと、必死の思いで
やっと辿り着いたのに。反体制派に見つかったために。
パパは思う。自分の上着を届けたのは、
妻ではなく娘のアナだったと。
イザベルが死んだ真似?をしていたが、
本当に亡くなったのかどうか⁉️
後の場面で、衰弱したアナを見舞いに来たが、
その横のイサベルのベッドの寝具は片付けてあり、
アナを診察したドクターも、意味深な発言。
「アナは生きているから。」と。
もし、そうならなぜ⁉️となる。
と勝手に書いてからwiki見たら、当時恐怖的な独裁政治で、反対意見など恐ろしくて言えない時代。
反フランコ政権派の監督は、
冷え切った夫婦仲を、内戦による分裂。
荒涼とした荒野を孤立したスペイン政権。
ミツバチを統率は取れているが想像力のない魅力にかけると揶揄している、‥‥難しい。
アナの瞳
「エクソシスト」を観るつもりが終わってたので。
公開時に背伸びして観に行った覚えはあるのに内容はほとんど記憶にない。女の子のきれいな眼だけは覚えている。
アナの瞳に映る好奇心、不安、恐れ。
ずっと画面に引き付けられる。
最後、あゝこんな終わり方だったな、と思い出した。
しっかりと解説とかレビューとか読み込んで観ていたら見方が変わってたと思う。もったいないことをした。
傑作。スペインの歴史的背景は置いといて、精霊を信じる純心な少女の物語と、絵画のような美しい映像は見る価値有り。評論家好みの映画が嫌いな人と面白い物語がないと寝てしまう人は確実に寝ます。 ^^
精霊を信じる純真な少女の、幻想とも現実ともつかない世界の物語と、息をのむほど美しい映像の数々を見るだけでもこの映画を見る価値がある。
スペインの歴史的背景と映画での象徴化は後でもよい。しかし、フランコ政権を批判した監督と製作陣の心意気は汲み取るべきだ。僕はネットのWikipedia・考察・解説を見ただけだが、なんとなく分かったような気がする。
最近 再鑑賞した「パンズ・ラビリンス」のフランコ政権下の描写なんて震え上がるほど恐えーゾ。
アナとイザベルが、マジ天使ってぐらい可愛すぎる。姉のイザベルがが、ちょっとお姉ちゃんだからって、アナを意地悪っぽくからかうようなところもヨイ。役名でやるとアナちゃんが混乱しちゃうから、みんな本名でやったとか、フランケンを最初見たとき泣き出しちゃった話とかもう可愛すぎる。
午前10時の映画祭でやらなければ知らなかった作品。午前10時の映画祭ってホントにありがたい。
けっこうよかった
大学で上京して見たと思ったら、85年の公開なのでそれだと高校生だからシネウインドで見たのかな。東京で名画座で見たのかもしれない。73年の映画だったことも初めて知った。当時はとても退屈でちっともいいと思えなくて、頑張って背伸びして見ていた。
30年越しで、淡々とした映画であることは分かってますよ、退屈かもしれないですよ、という気持ちで臨んだら、けっこうサスペンスな展開もちょっとあってつまらなくなかった。何より同年代の子どもがうちにいるのでところどころ、やめてーと思う。小屋で危険人物と交流したり、本当にやめて欲しい。ナウシカが子どもの王蟲を飼っていた場面を思い出す。ベッドをぴょんぴょん跳ねて遊ぶとか、木の枠が壊れかかっている。うちのベッドは長年子どもが跳ねて遊んだせいで留め具が砕けた。
ただそんなサスペンスフルな場面は短い。アナが小屋で男の血痕を触っているとお父さんに見つかる。アナはその場から小走りで逃げだす。お父さんは黙ってそれを見送る。なんで捕まえたり追いかけたりしないのだろうと思っていたら、夜になって捜索隊が出動する。お父さんは放置したまま帰宅したのか。お母さんは捜索をそっちのけで物思いに耽り、手紙を燃やす。アナが見つかってもお医者さんとちょっと話すだけでそれほど興奮せず、落ち着いている。
主人公の両親の関係があまりよくないことや、お父さんは養蜂が本業ではなく、なにか儲かる商売をしていることなどがうかがえる。農家にしては金持ちだ。
言葉でなく絵面や音での表現が格調高い。何より子どもが、子どもらしくて自然だ。子どもが余計なことしかしない様子が描かれている。
終盤、終わりそうでなかなか終わらない。
そんなに面白いわけでもなくて、面白がるような作りでもない。しかしとても印象深い。すごく面白がろうと思って見たらとてもつまらないだろう。淡々とした流れに身を任せるような気持ちで見るといい。
解説ありで観ると楽しみが広がる
町山さんの解説つきで鑑賞。
解説無ければ、映画に影響を受けた少女の現実と空想入り混じるホラーテイストの話で楽しめるだろう。
ただ、解説付きで当時のスペインの情勢を知ることで、各キャラの暗示であったり、監督の真に伝えたいことが分かるので是非みてほしい。
観ないと一生の損ですよ。
本当に。主演のアナ・トレントの可愛らしさもいいけど、何より、子供の感覚を映像として掬い取れているのが素晴らしい。こういうのを本当に大人の仕事というんだろうな。公開当時もヒットして評判になりました。・・今ではもう無理だろうな。
フランケンシュタイン
午前十時の映画祭13、にて観賞。
1931年のボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタイン』が劇中で使われてます。
怪物フランケンシュタインに興味を持つ少女が主役なんだけど、少し意味が分からなかった。
純真無垢な少女を描いてるって事かな?って思ったけど、調べてみたら違うみたい…
スペイン映画で、スペインの田舎が舞台ですが風景が美しいです。
それを観てるだけでも楽しめます。
絵画みたい。
この映画が本当に描いてる事を知りたいって方は、
まず観てみて、自分で感じてみて考えてみて、そのあと調べて答え合わせしては、いかがでしょう。
アナが可愛かった。
スペイン内戦が終わった翌年の1940年、6歳の少女アナが暮らす村に映画フランケンシュタインの巡回上映がやってきた。映画の中の怪物を精霊だと思うアナは、姉から村はずれの一軒家に怪物が潜んでいると聞き、その家を訪れた。するとこそには謎めいたひとりの負傷兵がいて・・・てな話。
良くわからないストーリーであまり面白くはなかったが、アナ役のアナ・トレントは可愛かった。
これこそ映画鑑賞。
映画でしか表現することができないであろう美しさが、徹底して抑揚を抑えられた撮影技術とテンポによって、最大限に引き出されていた。子供が世界に対して持つ危うさと密かな関係が、この情景をより引き立たせていた。明確なストーリーや教訓や意義がなくても映画が映画として充分に成立することがよくわかる映画。
私には理解できない映画だったが、他のレビューを読んで理解できた。
名作との評価の定まった映画であるが、いままで観る機会がなかった。たまたま「午前10時の映画祭」で上映されると知り、鑑賞した。正直な感想はタイトルの通りである。
上映後に映画評論家町山智浩氏の解説があるとの掲示があった。しかし、私が観た上映館では解説がなかった。この映画は何が言いたかったのだろうという「もやもや」だけが残った。
レビューを読んで、この映画の舞台はスペイン内戦時代で、映画製作時にはフランコ独裁政権はまだ健在だった。故にあからさまな政権批判はできず、隠喩や暗喩に頼らずを得なくなり、象徴や詩的な物に富んだ直ぐに理解できない作品となってしまったことがわかった。
理解することはできたが、この映画を観ていて楽しかったかと問われれば、「NO」である。主人公の女の子の可愛さだけが印象に残る。私には一度鑑賞すればいい映画に感じた。
10年後或いは20年後にまた鑑賞してもいいが、もしかすると、私はもうこの世にいないかもしれない。この映画が暗喩しているように。そういえば、映画の題名だって意味深ですよね。ミツバチは独裁政権下でのスペイン国民だと思えます。主人公の父が述べる働き蜂の説明からそう感じます。
ちびまる子姉妹とは
全然違うなあ、ピアスしてるし憂いが有るし。画は素晴らしいし、性衝動とか、大人への目覚めとか色々ぶち込んでいると感じたが、油断していると睡魔が・・・
「レイジングブル」で懲りた前・後解説、上映前はずっと目を伏せていましたが、後は参考になりました。ただ苦痛なので喋りのプロを使ってほしい。
となりの"闇"トトロ
なるほど。中々に(自由が)厳しい時代に作られた、何もかもが疲弊しきっていた頃のスペインでの物語。そういう側面でみても、強烈な皮肉が隠されていて「うむ」となるのだが、"死"の興味に取り憑かれる、年頃の姉妹の物語としても秀逸。大人になればなるほどにソレは身近になってきて"怖れ"と同義になってくるから、意図的に考えない様になるし両親からもそんな雰囲気を感じるのだが、姉妹はどこ吹く風。確かに自分もそんな感じだったな…なんて思いつつも、ひたすら美しい姉妹に惹き込まれていきました。なんだかちょっと現実味のない美しさだよね。二人とも。
イザベルはアレ以降居ない方に一票。
不思議な映画だった
姉のイサベルの眼差しが恒松祐里さんによく似ていた。妹のアナの面影は少しだけNHKの林田アナウンサーを思い出した。
映画「フランケンシュタイン」を見たくなった。
これから見る人へのアドバイスとしては
1.睡眠をきちんととって見に行くこと
2.何らかの解説を読むか見るかして、行くこと
Buenos dias !Don Jose
午前十時の映画祭にて
スペインの片田舎風景 何にもない所で木が一本だけの草原、泥濘みとても趣のある懐しいような映像 おとんの職業何?夫婦訳アリ?と思ったけど、裕福そうなお家 学校や映画館等の建物、子供達の服もお洒落だな 授業の様子も面白い 肝心の負傷兵のシーンはそんなにないけど、子供の頃って恐いものとか妙な事信じてたりとかあんな感じだった アナ役の子役さんお目々クリクリでとても可愛らしい
ギレルモ・デル・トロ監督この映画好きなんかな?と思った
無垢
スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督の傑作!長編映画デビュー作品。
1969年のデビュー作から(長編は)
3作品しか発表していない
「寡作な監督」として知られていますよね。
先日のスペインのサンセバスチャン国際映画祭で「ドノスティア賞」
(生涯功労賞)を授与された監督。
(宮崎駿監督も!)
そして!
今年のカンヌ国際映画祭で31年振りの新作!!!4作目の長編になる
「Close Your Eyes」
の正式出品が決定したとの記事を読みました!(怒ってたけどw)
31年振りって!!Σ('◉⌓◉’)
寡作にも程がある。。
↑新作では何と!あのアナ!が50年の時を経て出演しているそう!!
公開が待ち遠しいです!
さて、
映画マニアの方々から名作としてよく名前が挙がる本作。
私は監督のお名前と作風、本作のあらすじは知っていましたが、ずっとスルーしていました。
映画には、映画の方から色々教えて欲しい自分がいたので、その作風や内容で敬遠していました。
今じゃないな。。とずっと先送りに。
そんな中、今回の
「午前十時の映画祭13 」で、
本作が掛かるというじゃないですか!
これはもう今なんだな、と。
行って参りました。少し緊張。
舞台は1940年、内戦終結後のスペイン中部の小さな村。
6歳のアナと姉イザベルは、養蜂場で蜂の研究をする父フェルナンド、手紙を書き続けている母テレサと暮らしていた。
そんな中、村に巡回して来た映画
「フランケンシュタイン」を観たアナはそれに魅了され、イザベルの嘘を信じ、フランケンシュタインが住むという小屋に通う。
ある日、列車から飛び降りて、小屋に逃げ込んでいた負傷兵と出会う。
怖がる事もなく、看病するアナ。
りんごを差し出し、父のコートや時計まであげてしまう。
そして。。
シンプルな見かたとしてはアナの成長物語りなのか?
感度の高いアナが世界の向こう側や異形のもの達と交信する様が描かれているのか?
背景にはスペイン内戦や独裁政権の空気感が漂っており、常に「死」の匂いがつきまとう。。。
もう「子供」ではないイザベル、テレサが書く手紙、毒キノコを踏みつけるフェルナンド。
汽車の走る線路や井戸の周りで遊ぶ様子、焚き火の描写などが差し込まれる度に、嫌な予感がして冷や汗が出そうな緊張感に包まれた。
加えて、猫、血、その血を唇に。。
絵画の骸骨など、様々なモチーフが死を連想させる。
そして数々の違和感。。。
イザベルのベットは?
イザベルは死体ごっこをしていただけ?
もしかしてイザベルはアナにだけ見える存在になった?!!
そして、
行方不明になったアナに何があった?
アナの受けた衝撃とは?
脱走した負傷兵は実はアナの。。。?!
だからテレサは手紙を燃やした?!!
しかし、お話しはシーンごとの繋がりもなく進む。。直接的には描かれない。
シンプルだし難解だし、全てが内包されていて開けるのに時間がかかる。
(今もまだ開けきれない)
アナのあの無垢な幼女時期の、
あの「期間限定」な幼い眼差しから見る世界はどう見えたのだろう。。。
絵画のような、詩のような、アナのような、幻想的で美しい作品でした。
◎町山智浩さんの解説がありました。
政治的な検閲が厳しい中、様々な思いを潜ませたとのこと。
解説付きとは面白い試みだが、、
私は鑑賞後の余韻に浸りたいタイプで、その後も頭の中で反芻し、自分なりに考えたい。
解説(ネタバレ?)は自分のタイミングで知りたかったです。話した内容を冊子にしてプレゼント!の方がうれしかったよ。
いや、解説ありがたい!って人も多いですよね。
素人が生意気言ってすみませんm(_ _)m
本作は素晴らしい映画です。
是非機会を作って観て欲しいです。
隠すことは美しきこと
『午前十時の映画祭』で鑑賞。
上映の前後に映画評論家の町山さんの解説があった。
全体的にストーリーが謎めいていて、それが素朴な村の画面の美しさとあいまって神秘的な魅力がある。特に主役の女の子は本当に魅力的で、幼児特有の真っ白で真っ黒でまっすぐな瞳。これって演技というより、物心つく前の年齢だからこそできるふるまいなのかな?
しかし町山さんの解説で、この映画がスペインが独裁政権により厳しく映画などの表現を検閲された状況で作られたこと、謎めいたストーリーの1つ1つに現体制を糾弾するための象徴的な意味があること、などが分かった。
制限された状況下の方が、むしろ名作が生まれる、ということの代表のような話だと思った。ソ連の映画監督タルコフスキーとかね。
定期的にリバイバルして欲しい名作
『午前十時の映画祭』で30年振りにスクリーンで鑑賞。
調律が狂ったピアノで母親が奏でる曲はソロンゴ。詩人ガルシア・ロルカが採譜して有名になった古いスペイン民謡。スペイン人であればこのメロディからスペイン内戦で銃殺されたロルカへ思いが及ぶものと思われます。詩も残されていて、思いの届かぬ恋人のことを歌っているようです 。
その他、スペイン内戦とか独裁政権とか、初回鑑賞時より当時のスペインに関する知識は増えているのですが、残念ながら感性は衰えたのか、初回ほどの衝撃はありません。
しかしながら、初回鑑賞時はアナ一人に持っていかれた心を、今回はイサベルにも向けることが出来ました。どこか死の匂いがする家族の中、ひとり現在進行形で生きてる感じがするイサベル、良いですよね。
絵画のような美しさ
とにかく画面が美しいですね。
井戸のある小屋を見下ろすシーンや、姉妹の前を汽車が通り過ぎるシーンなど、印象的でずっと見ていたくなります。
ストーリーは明確なモノは有りませんが、まさにアートでした。
午前十時の映画祭で、詳細な解説付きという新しい試みも作品の理解を深める為に良かったです。過去にも有ったのかな?
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