劇場公開日 2024年8月2日

「是枝裕和監督のデビュー作品」幻の光 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0是枝裕和監督のデビュー作品

2024年12月2日
PCから投稿

是枝裕和監督のデビュー作であり江角マキコのデビュー作でもあった。
Maborosiというタイトルがついていて海外で評価が高い。RottenTomatoesのオーディエンスレビューを見て解ったがMaborosiは海外にコアなファンをもっている。
一方日本でそれほどでもないのはおそらく主演女優の保険料の未納問題や落書き問題が影響していると思われる。

良くも悪くも芸能界を駆け抜けた人であり、幻の光の「ゆみ子」とはタイプが違い、ショムニや肉食系のイメージが固着しているので「むかし猫かぶって是枝映画に出てた」という下馬評が形成され、映画自体もそんなふうに流された、の感がある。

じっさい本作の江角マキコの演技は棒であり上手ではなかった。ただし言わば小津映画のように上手ではない棒演技で大丈夫につくってある映画だった。江角マキコの素人っぽさはむしろ好ましく、且つ内省的な「ゆみ子」の性格を表現し得ていたと思う。
また是枝映画ファンなら解ると思うが是枝監督は女優に関して面食いで、演技力と面なら、面をとる監督だと思う。当時、新進で曲がりなりにもきれいな江角マキコは監督好みだったに違いない。

海外では特に撮影がほめられていて小津安二郎や侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が引き合いにされているが、長回しや静けさや遠景での撮影距離感などテオアンゲロプロスを思わせた。ご覧になれば解ると思うが演技力を必要としない俯瞰的な映画だった。
現行の是枝裕和よりずっとアートハウスな、と言うか、ばりばりのアートハウス映画だが、こけおどしなアートハウスではなく、ペーソスが解る、内容のある監督がデビューしたことが解る映画だった。

ちなみにこけおどしなアートハウスとは河瀬直美みたいに深刻or高尚っぽいテーマをもっていて、その真意は解らないし、そもそも下手なので伝わらないのだが、深刻or高尚っぽい雰囲気に気圧されて、なんとなくサムズアップが醸成される、という感じの映画をこけおどしのアートハウスと言っているのだが、きょうびの日本映画、ほどんどがそこへ当てはまると思う。
ていうか「こけおどしのアートハウス」は所謂「日本映画」の特徴と言える。

幻の光の話の骨子は、ゆみ子が郁夫(浅野忠信)の自殺を理解できないことである。
優しく温厚な民雄(内藤剛志)と再婚し、海辺の村で息子と連れ子と幸せに暮らし、悲しみが次第に和らいではいくものの、しかし郁夫の死は痼り(しこり)のようにゆみ子の心に影を落としている。それを民雄に打ち明けたときの回答がこの映画の題にも関わる白眉になっている。

ゆみ子『うちな、わからへんねん、あの人がなんで自殺したんか、なんで線路の上あるいてたんか。それ考え始めると、もうあかんようになんねん、なあ、あんたはなんでやと思う?』

民雄『海に誘われる言うとった。おやじ、まえは船に乗っとったんや。ひとりで海のうえにおったら、沖のほうにきれいな光がみえるんやと。ちらちら、ちらちら光って俺を誘うんじゃ言うとった。誰にでもそゆことあるんとちゃうか。』

幻の光は、大切な人の自殺について生き残った人にその理解方法を提供する話、と言える。
自殺は、忌まわしく、やってはいけないことだが、もし誰かの自殺に遭ってしまったなら、幻の光に誘われて行ってしまったんだ──と理解したほうが生きるのが楽だ、と民雄、ひいては作者宮本輝は言っていて、それを婉曲に語っている。

世の中には「なぜ死んでしまったのだろう」という自殺がある。有名人でも、ある。その「なぜ」の深淵を見つめてしまうと「もうあかんようなんねん」という混沌と不信に陥る。だから光に誘われて行っただけ──という、気持ちを和らげる理解が必要なんだ、と映画幻の光は言っているわけ。

こだわったのは長回しよりも自然光で暗くてリマスターがなされてほしいと切実に思った映画だった。また、イケボな内藤剛志がテレビづいていて映画へ来ないのを改めて残念に思った。
imdb7.5、RottenTomatoes100%と83%。

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津次郎