「たくましく奮闘するキキとそれを見守る大人達がとても素敵。」魔女の宅急便(1989) movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
たくましく奮闘するキキとそれを見守る大人達がとても素敵。
幼い頃からジブリ作品ではファンタジーすぎなくて、キャラクターの性格も自分と重なるところも多く、最も好きな作品。動物もたくさん出てきて良い。
キキが自立に向けて、一生懸命、見つけた街で生きていく資格を得ようと、巡ってきたチャンスを人の役に立って真っ当できるように頑張る。その意志の強さが大好きだ。
困っていてもすぐに人に甘えない頑張り屋のキキは自分とは重なるけれど、大人になって観ると、キキのような子がいたら、気にしないでもっと甘えて良いんだよ!と言いたくなる。おソノさんの、「そうならそうと言えば良いのに」ウルスラの「そうならはやく言えば良いのに」に凝縮されていると思う。
でも、簡単に弱音を吐かず、心配するジジにすらペラペラ話さないところが、修行の身としての覚悟の現れであり、キキの強さであり、周りから可愛がられる理由だと思う。いっぱいいっぱいになるまで頑張って、魔法の精魂まで使い果たしそうになって、でもそこで、周りに頼る事・甘える事・休む事・楽しむ事を教えてくれる周りの大人達。おソノさんもウルスラも、ちゃんと自立してて、人には優しいけれどとても素敵な人生のロールモデル。彼らが無条件にキキを甘やかさず、店番や掃除など、必ず対価の労働を交換条件にしながら、キキを助けている接し方も素敵。支えてくれる素晴らしい人たちに巡り会えたのはやっぱりキキ自身が頑張っているから。
パーティーの事はいったん忘れて、足の悪いおばあさまのために薪のオーブンでパイを仕込んだり電球を変えたり、奮闘するキキが何度見ても大好き。
対して、何度見ても、トンボのお友達グループへの嫌悪感は消えない。幼い頃は、1人の時に楽しそうな集団を見ると孤独感を自覚するから嫌なんだと捉えていた。
でも、大学に入りバイトで稼いだお金で身の回りを回すようになると、その嫌悪感の正体がわかった。自分で生活をする大変さもわからずに、親のお金で遊んでいる身で「たっくましーい」「ずぶ濡れじゃない」等と頑張っている子に上から声を掛ける、甘さや余裕に腹が立つのだ。頑張っているだけなのに、その自分が惨めにも感じさせられてしまう不思議。きっと高卒で働く子は、親のお金で大学に行きながら友達と遊びまわっている子を見て、同じ気持ちになるのだろう。彼らが悪い事をしているわけでは決してないのだけれど。
どんな場所にも、苦労せずうまくいく人というのはいて、同じ立ち位置になるために努力が必要な人からするとそれは羨ましくも腹立たしくもある。でも、自力で苦労して得た経験や信頼は絶対に大きな力になる。
そして、色々な気持ちを経験するからこそ、人の気持ちも理解できるようになる。自分を想って作って貰ったパイやそれを大雨の中届けてくれた人に対して感謝の気持ちも口に出せないなんて、理解できない人種になる必要はない。
子供にも、キキみたいに育って貰いたい。
ただ、現代なら、旅立つ荷物に雨がっぱや荷物にかけるカバーくらいは加えて欲しいかな。
産まれた頃の作品を幼児の頃何度も見て育ち、その頃は宅急便が市場参入したてだったのに、いまや宅配ボックスやら荷物追跡やらクール便やらレターパックやら様々な手段がたくさん。配達ドローンまで始まっている。メルカリやら個人同士の荷物のやり取りも盛んになった。一方、届けてくれた人に「ありがとう」って言いながらサインできる場面はどんどん減っている。人同士の関わりが自然と生じる、この作品の中の街並みくらいの時代の進み方が好きだなぁ。
そして、30年以上経っても全く古臭さがない洗練された街並みの背景の美しさや緻密なアニメーションの質の高さは本当に日本の誇りだと思う。
大人になってから見ても、おソノさんの旦那さんが一言オイって急に発すると笑えるし、オイにも様々なバリエーションがあって、無口でも良い人でホッコリするし、ジジが喋れなくなるのは残念でならないし、トンボの良さはよくわからない笑
ウルスラの描く、「虹の上をとぶ船の、星空をペガサスと牛が飛んでいく」という名の絵画、いつか見てみたい。