マーティン 呪われた吸血少年のレビュー・感想・評価
全4件を表示
"バージン・バンパイアはつらいよ!"な映画
ここの評価も高いし(3件しかないけど笑)、ロッテントマトの評価も高いし…よし!今夜はロメロのホラーだッ!明日は休みだ!とかなり気合いを入れて見始めたけど…
ん〜、なんじゃ、こりゃ!…でした(笑)
『ゾンビ』を撮った同じ監督とは思えん、なんかゆる〜いホラーでした…というか、半分エロティックで青春もの的な…。
もしかしたら、この作品を撮った時代には、それなりにインパクトがあったのかも…アンチ・バンパイア?アンチ・ホラー?
ニンニクも十字架も太陽光線も効かない、鏡にも映るし、まして催眠術(magic)を使って女性を誘惑なんて出来ない…だから睡眠剤を注射で注入なんでしょうけど(笑)
マーティンの顔を見るたびに、「ノスフェラトゥ!」としつこく"呪い"の言葉を吐く親戚のジジイの方が、よっぽど怖かった…笑
3度の飯よりもロメロ映画が好きという方はどうぞ!笑
あれっ?もう上映終わってる?まだやってた…笑
前提となる知識がないとかなり駄作に見えるかも…。
今年170本目(合計234本目)。 この映画、原作が1977年公開という事情もあるので(そして、日本での公開は今週)、現在の映画の一般的なクオリティという観点からはやはり一ランク落ちる部分があります。ノイズなども入っており、アメリカ映画ですが、準1ではおよそ聞き取ることが難しい映画です。 またアメリカ映画という事情もあるし、1977年公開という事情もあるので、映画の趣旨的にはホラー映画になるのでしょうが、ホラー映画という要素は一応あるものの(大人の営みのシーンも出なくもないが、1回くらいしか出ない)、それより、キリスト教文化(特に、カトリック)の「教区」(カテドラル)といった語句まで登場し(さらに、趣旨は分からないが「売国奴」まで出てくる。文字通りの意味ではなく、おそらく罵倒的表現と思います)、かなり現地のホラー映画(しかも、当時)の相場観を知らないと、ホラー映画という割に余り怖くないし(もっとも、この映画は一般指定)、さらにキリスト教文化を前提とする知識も出るので、見かけに反して理解難易度は高いです(かつ、1977年公開という事情もあるので、エンディングロールも極めて簡素で、何がなんだかわからない間に終わってしまったりする)。 とはいえ、こういう映画を見ること自体に異文化の理解は感じられますし、「趣旨は分かりにくいが、1977年公開ということも考えると、字幕不足なども考えても仕方がない」とは思います(日本基準で考えれば、内容がわかりにくいだけであり、不愉快にさせるような表現はほぼほぼ存在しない)。 評価にあたっては、下記を考慮しました。 ---------- (減点0.3)とはいえ、この映画が現在(2020~2021)になって公開されたことに意義はあると思うのですが、1977年ごろのキリスト教文化などを知らないとまるでわからない点が結構多く、かといってホラー映画に分類されると思うのですが、その要素は少なめで、かといって「宗教映画」というカテゴリで見るのも無理であり、まぁあえていえば「異文化の理解を主眼とする学術系映画」に入るのかな…とは思うのですが、かなりわかりにくいです。 しかも、キリスト教文化(カトリック)に関しては、信者の方でもない限り、早晩身につく内容でもないですし…。 とはいっても、「わかりにくいものの、趣旨自体は一応理解はできる」点と、「当時(1977年)の本国(アメリカ)のホラー映画、キリスト教文化などの知識の吸収」という点ではそれほど傷はないと思うので、それほど多くは引いていません。 ----------
ゾンビから離れて
ロメロの叙情詩的な側面を捉えた佳作。この作品を持って、ロメロが詩人であることを私は理解した。ロメロによるドラキュラの解釈はとても詩的であり、切なさが冒頭からエンディングまで漂う。生きることの切なさ、それもヴァンパイアとしての生きづらさ。ロメロは美しい少年を配して、見事に描いた。ロードショー公開して全国で見られるメジャー作品ではないが、その寂しさ、悲しさ、報われなさ、孤独さが、心の琴線に触れて来る。美しくも、悲しい、個人個人の心の片隅に残る素晴らしい作品である。ロメロのファンになって、始めてたどり着ける良い作品でもある。私個人は劇場でこの作品を観られた奇跡に幸福と幸運を覚える。
呪われた血は本当にあったのか
注射で眠らせた女を裸にして、剃刀でつけた傷から吸血をおこなうという猟奇的犯罪を繰り返していた少年マーティン。祖父と孫ほどにも年の離れた従兄であるクーダに引き取られるが、クーダはマーティンを吸血鬼と罵り、事あるごとに呪われた血と脅す。マーティンは自分が何者であるのか思い悩み、またごく普通の形で女と結ばれることを夢想する。ラジオ番組に電話し、「伯爵」と名乗って吸血について語り、人気を得ていくが、吸血衝動には歯止めをかけられず、犯行を繰り返していく。 マーティンが実際に吸血鬼であったのかは作品内で明言されず、唐突で衝撃的なラストの後、余韻のように見るものの心に残る。実際、伝統的な吸血鬼像に見られる十字架を恐れニンニクを嫌い鏡に映らないといったことは一切なく、明るい太陽の元でも平気で行動できる姿は、そうでないことを示唆しているようにもとれるし、一方でこれまでの吸血鬼ものとは違うことを端的に示しているようにも見える。 そうした虚飾を剥ぎ取ってしまえば、マーティンはただの性衝動に思い悩む普通の少年(少年と言うにはちょっと薹が立っているのだが)にしか見えない。この辺りは誰にでも身に覚えのあることで、理解しやすい。彼が常軌を逸しているのは、ひとえにその衝動を犯罪行為で紛らわしていることと、犯行の手口が巧みで(実は仔細に見ると結構杜撰なのだが)、これまで嫌疑もかからず逃げおおせていることだ。クーダには完全に疑われているものの悪魔憑きと思われているせいで見逃されているという、なんとも厄介な構図すら孕んでいる。 ごく普通に考えれば、自分を吸血鬼だの悪魔だのと罵る相手と一緒に暮らしているのも相当におかしいのだが、一方でそのように見做した少年をごく当たり前のように自分の元で働かせているクーダの心情もかなり異常だ。このような関係性のもとで一つ屋根の下に暮らし食事をともにするというのもかなり理解し難い状況設定ではあるし、しかしながらその異常性をさほど感じさせず一本の作品にまとめ上げたのは、やはり監督のジョージ・A・ロメロの手腕が際立っているとしか言いようがない。ラストからスタッフロール中も続くシークエンスの乾き感は見事。
全4件を表示