アウトロー(1976)のレビュー・感想・評価
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イーストウッド映画の良さが詰まっている
2度目の視聴であるが、改めてイーストウッド映画のすばらしさが詰まっている映画だった。反戦思想、弱者を守るための戦い、様々な人との共生、正義の仮面をかぶった悪人への憎悪、女性に積極的な強い男等、後期の作品群に繋がるプロットが全部詰まっていた。インディアンのチェロキー族の酋長や店で虐待されていた若い女、襲撃を受けて夫と兄を失った老婦人と孫娘、約束の地のバーで知り合った客などと一緒に暮らすことになるが、その姿こそが「理想郷」と言っているかのようだった。
彼の映画には、どの立場の人にも、悪い人と良い人が出てくる。それどころか、一人の人間の中にも頑固な部分、無知な部分、愚かな部分、残忍な部分等が同居していて、人間をそのまま描こうとしているかのようだ。それに対して、ハリウッド映画の大半は、悪人側は全てが悪、善人側は全てが善という単純な図式で描こうするわけだが、それに対するアンチテーゼに見えてしまう。
彼の愛人として10年余りも同棲することになったソンドラ・ロックも、この映画では華憐でお人形さんのようでかわいい。
また、インディアンとの共生という視点からも、この時期としては、かなり挑戦的な試みであろう。白人が二枚舌でいつもインディアンを騙して、良い土地は奪われ、居留地に追い立てられた様子がさりげなく挿入されている。コマンチ族の酋長と一対一で共生できるように誓いを立てるのも、メッセージ性が強かった。
アメリカ建国200年に際して作られた作品とか。アメリカの歴史を考えれば、もともと先住民の土地を銃の力で略奪して、自分たちの土地にして建国した国。血塗られた建国とも言えよう。そこから脱して、戦争ではなく共生をってメッセージ性を持たせたかったのかもしれない。
弱者の連帯
南北戦争末期、北軍のゲリラが罪もない婦女子を虐殺、彼らの方が正真正銘の卑劣な犯罪者だろう。主人公のジョジーウェールズ(クリント・イーストウッド)のことをアウトローと言うがそもそも法など有名無実、当時の法は銃という暴力であったことは間違いない、しかも時を経た現代でもその法は脈々とアメリカ社会の中で生きていよう。
家族を目の前で惨殺されれば復讐の鬼と化すのに理屈は要らない、クリントならすぐにでも決着をつけると思いきや追われる身とは情けない。道中、虐げられている同類を救って逃避行は続くばかり。
原作者のフォレスト・カーターはチェロキーの血を引いているからだろう、劇中でもネイティブ・アメリカンが重要な役割を演じている。
主人公が先住民を不憫に思うのは侵略者としての良心の呵責もあるのだろうか。南北戦争は黒人奴隷解放が争点の一つだったが南部ではチェロキーも白人の真似をして黒人奴隷を虐待していた事実は語られない。リンカーンもまたネイティブに対しては冷酷だったというからどっちもどっちだろう。アメリカに限らず人間の歴史は一皮むけば暗黒史なのだろう。
北部の象徴のような牧場主の夫人一家も交えてイーストウッドの仲間たちは軋轢を超えて一つになる、これこそがイーストウッドが言いたかったテーマなのかもしれない。
最後になってやっと仇の方からお出ましだが弱者が連帯して見事仇討達成、追っ手も手を引く幕切れだが、クリントも無傷ではない、生き延びたのか、皆のもとに帰ったのか、はたまた放浪を続けたのかは語られない・・。
脱線ネタだが、クリント・イーストウッド監督5本目だが途中まではフィリップ・カウフマンが監督だったがローラ役のソンドラ・ロックを巡って対立、カウフマンが途中降板となり訴訟騒ぎ、クリント側は6万弗の罰金となった、全米監督組合は「映画の撮影開始後に、監督を降板・交替させる事は禁止」と言うルールを明文化、本作にちなんで「イーストウッド・ルール」と呼ばれているそうだ。ソンドラ・ロックとの関係は12年間続いたようだが結婚に至らず慰謝料訴訟を起こされている。美談が好きな割には妻2人、愛人6人、子供7人、孫2人と私生活はハチャメチャだ。まあ、作品と下半身の人格は関係が無いのだろう。
おもしろかった
年寄りとか女子供とか仲間になる人は皆弱い奴ばっかりだけど、ウェールズがその人たちを嫌がらず仲間にしていくところがいい。最初は一人だったのに、後半になると人も増えるし馬や牛も増える。少しドラクエとかそんな仲間が増える感じがいい。
ウェールズはそういえば元はと言えば農民みたいな仕事をしていたのだから庶民に何の恨みもないから当たり前なのかもしれないけど。
まあとにかくハッピーエンドで最後は終わるからよかったです。それにみんなが牧場について新しい生活を始めんとするところとか。むらにはほとんど誰も居なくてこれからどうやって食っていくのだろう?とその辺も気になりましたがそれはなく終わってしまいました。
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