ブラック・レインのレビュー・感想・評価
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観るなら断然「字幕版」がおすすめ
ストーリーとしては非常にベタかと思います。ワイルドなベテラン刑事と、スマートな若手刑事がコンビを組んで、凶悪犯を追う。特に目立った展開はありませんが、やはり注目すべきは日本が舞台になっているということではないでしょうか。また片言の中国人ではなく本物の日本人が多くキャスティングされている点も好感が持てます。
実際に撮影の多くは日本でされたようなので「へんてこ日本」な感じは少なく、日本人としては非常に見やすかったですが、おそらくアメリカ人からすると、イメージしている日本と違って面白みに欠けたことでしょう(チビ眼鏡も忍者も芸者も富士山も出てこない!)。
本作と言えば、松田優作の代表作のように語られることも多いですが、正直そんなにいい役じゃなかったように思います。悪役のボスではありますが、セリフは少ないし、登場シーンもほとんど逃走シーンなのでいまいちかっこよくない。もっとカリスマ性のある悪役に期待していたのでちょっとがっかり。高倉健は準主役でいい役どころだったと思います。それとガッツ石松の演技が案外上手。
あと、タイトルの通りですが、観るなら必ず字幕版で観るべきです。本作は英語と日本語が入り混じることで、異国感やセリフの面白さが演出されているのに、吹き替えだと全て日本語になってしまい本来の演出やセリフがまったく伝わらなくなってしまいます。
33年ぶり
バブル頃の大阪の街
日本がイケイケ絶頂期の遺産として、優作さんの遺作として、観ておいて損はない作品。
お話自体はなんということはないんですよね。多分にご都合主義だし。
正直中身はないの。
チンピラヤクザを捕まえたとか、取り逃がしたとか、また捕まえたとか、そういうお話。
でも、さすが「ふたつでじゅーぶんですよ」のリドリー・スコットさんだけあって、世界観の構築はすげーの。大阪が完全に異世界だもの。
まさに「ふたつでj」の台詞飛び出してきそうだもの(笑)
でもさ、健さんやりすぎじゃね?
やってることって警察の捜査から完全にはみ出した、ただの殺人だよ。コスチューム込みで野生の証明だよ!
でさ、優作さんを逮捕?したら、掌返しする警察のお偉いさんって何?(笑)
タイトルに至る“黒い雨”のエピソードはちょっと意味が薄くて無理くりすぎかなぁ。
まぁね、日本がイケイケだったころの良き思い出として観ておいて損はない作品かなぁ。
松田優作さんの怪演も凄まじいものがあるし。あと、若山富三郎さんとか、地ぃ~味にホタテマンとかさ。
古き良き演劇
これこんなに面白かったっけ!!!!!!!!!!
アメリカは、同情はしても反省はしない
物語の始まりとなる事件はあっさりと起こり、物語の展開と共に発生する様々な問題は、主人公の主体性を補強し、その人間性を明確にする。 主人公を取り巻く人物たちの行動には矛盾がなく、登場シーンが少なくても存在感があり印象に残る。 全体的に弛みがなく、主人公の行動に観客の好奇心がぐいぐいと引っ張られていく仕掛けになっている。
また、日本とアメリカの考え方の違いや二国間の関係を物語の中にうまく織り込んでおり、それも面白さに繋がっている。
今回、初めて感じたこともある。 この作品を通して、アメリカが見る日本の成るべき姿、目指すべき方向性が伺えるような気がしたのだ。 公開当時、経済的に破竹の勢いだったバブル期の日本を、アメリカは脅威ではなく、憐みと同情の気持ちで見ていたのではないか―。 そして、それはきっと、令和の現在でも変わっていないのではないのか―と感じたのである。
アメリカは、黒い雨を浴びて変わってしまった日本人に同情することはあっても、自らの行為を日本が望むような形で反省することはないのだ。 日本は、いつまでもアメリカの同情を誘い反省を待つのではなく、自らの足で立ち上がるべきではないか。 アメリカも、自らが叩き潰した日本が本当の意味で再び立ち上がり、対等になってくれることを望んでいるのではないか。
脚本を書いたクレイグ・ボロティンとウォーレン・ルイスがそんなことを考えていたのかどうかはわからないが、今回私は、この作品を観てそう感じたのである。
日米間の価値観の違い
もう何年も前の初見のときは、マイケルダグラスかっけえー、その脇を固める高倉健もアンディガルシアも松田優作もなかなかやるなー、と出演者目当てでしか鑑賞していませんでしたが、今回久しぶりに観ましたところ、やはりそれなりにメッセージ性のある映画でした。
個を主張するアメリカ人と組織に重きを置く日本人という対立構造を作りながら、それぞれが歩み寄るという展開。やはり最後はアメリカ映画ということもあり、「やっぱり個で動いても結果だせちゃうだろ?」ってな価値観を押し付けられたような展開でしたが、そこはそれぞれの出演者の名演で、すがすがしいエンディングとなりました。
ストーリー的にはやくざ同士の対立関係の背景がイマイチ分かりずらく、佐藤の登場シーンから偽警察に引き渡すまでの過程が少々強引過ぎるような印象でした。
公開当時リアルタイムで観ていませんでしたが、この当時はおそらく日本の文化は米国の一般人にはさほど伝わっていなくて、日本といえば、FujiyamaだのGeishaだの、言葉だけでしか知らなくて、日本の街並みなどにかなり不思議な感覚を覚えたのではないでしょうか。とは言え、この映画では、あまり日本を異質な国として描かれていなくて、大袈裟に揶揄したり、皮肉っているわけでもなく、客観的に捉えられている印象でした。
松田優作の作品は映画もドラマもあまり観たことが無いのですが、この映画では、表情に鬼気迫る迫真のものがあったものの、役柄なのかセリフが少なく、演技力については “?” でした。若くして亡くなられたので、過大評価されているような気がしないでもありません。
高倉健、松田優作ばかりが目立ちますが、若山富三郎、神山繁、國村隼などなど、名だたる俳優さん揃いで、それぞれの好演が、この映画を更に盛り上げていてくれたと思います。
今では日米間の文化の違いも浸透し、お互いの違いにさほど驚くこともないかもしれませんが、この当時の情報量でこれだけ骨太なストーリーを作り上げたことは、素晴らしいと思います。
よく完成させたリドリースコット!!!
当日平成になったばかりの日本で、“ウォール街”でオスカーを受賞して全盛期だったマイケル・ダグラスと、”エイリアン”や”ブレードランナー”といった大作を成功させノリに乗ってた頃のリドリースコットが、ほとんど日本人キャストで日本を舞台に映画を撮った。という異色であり、とても意義のある作品である。それだけでよく完成させたと脱帽したい本作だったが、日本人キャスト、(特に高倉健と松田優作)の演技が光り、日本俳優もまだまだ捨てたもんじゃねぇなと、世界で通用するなと、色々と衝撃を与えてくれた作品であった。
高倉健と松田優作が正当に海外でも評価されてくれて本当に嬉しいし、2人とも演技が上手いなって。健さんなんかは、日本の生真面目な刑事を英語であんなに上手くよく演じられたなと…。松田優作は、本作が遺作であるが、世界に爪痕を残せてよかったなと考える。刑事とか主人公とかの役が多い彼が、悪役を演じるのはかなり我々日本人にとっては驚きだったのではないかと思う。余談だが、本作のブレイクを機に、彼が絶対勝てないと語っていたデニーロとの共演映画のオファーが来てた所の訃報に、彼の死が痛まれる。まだまだこれから活躍できたって時の死が悲しい。指切りのシーンとかその前後の鬼気迫る感じと、立場的には下なのにも関わらずどこか畏怖する威圧感をもつ、何を考えているか分からない故の恐怖感というやつを上手く表現できていたと思う。度肝抜かれるよ。
日本においてもかなり忠実だったし、出てくる日本語が殆ど流暢なのも素晴らしい。ただ1つ言えることがあるとすれば、日本のヤクザに対して外国人は大きく描きすぎているかなと思った。展開がちょっと有り得ないなと思うシーンが多々あったんだが、マイケル・ダグラスと高倉健の掛け合いと演技の上手さ、松田優作の恐演によってそれが緩和されていたのかなと思った。かなり俳優に助けられた作品という感想。だからこそ違和感が惜しかった。特にガルシアが死ぬシーンなんかは、ちょっと無法地帯すぎない!?って感じです。これは日本側がもっと協力的に映画製作に関わってあげたらいい方向に改善したのかなと切実に思う。リドリースコットに”日本ではもう二度と映画は撮らない”と言わせたほど、撮影環境は最悪だったらしい。そう考えると彼はよく完成させたなと。彼の監督としての手腕の素晴らしさの理解がより深まった。
追記だが、本作の撮影監督には、後の”スピード”や”トゥームレイダー”のヤン・デ・ボンが、音楽は”パイレーツ”で有名なハンス・ジマーがそれぞれ担当していて、夢のようなキャスト陣だなっていう感想。ヤン・デ・ボンの撮るアクションは没入感が半端なくて好きなんですよね。
色々書いたが、ハリウッドが日本で撮影し、日本人を用いて、日本が舞台の作品を作るという実験的な姿勢や、映画としての完成度の高さ(特に日本のシーンなんかが)などから、日本の洋画ファンには是非とも見て欲しい1作であることは間違いない。
黒い雨
唐突に、黒い雨の話を菅井が語りだす。
原爆炸裂後に降ったあの黒い雨のことである。映画のタイトルも、この黒い雨のことらしい。
この映画が作成された年代にUSAサイドの製作陣がよくこの話を知っていたなと思う。しかも、かなり唐突に筋だけ追えば、必然ではない話を、菅井に語らせ、タイトルにまでしてしまう。
かなりの思い入れがあったのか?説明として使いたかったのか?思いつきなのか?
(『ゴジラ』が生まれたきっかけとかから興味をもったのか?酸性雨とか世紀末?)
想いは図り知らぬが、黒い雨を知っていて、かつかなり重要そうに語らせるだけでも、唸ってしまう。
その、黒い雨以降の新人類が佐藤。
映画の主筋は、ニックの再生物語。
すさんだ刑事だったニックが、いろいろあって、高潔な松本に感化されて…。松本もニックに感化されて…。
結末を二通り用意して、採用された方は…というほど、この二人の軸が中心になっている。
ならば、敵方は佐藤のグループだけでいいと思うのに、旧式のザ・ヤクザというべき菅井達と、佐藤達の攻防も出てくる。
その旧式と、新人類を分けるものとして出てくるのが”黒い雨”。日本の戦前と戦後の違い。それをUSAの製作陣が、若山氏が演じる菅井に語らせる。
はっきりとした意図はなかったのかもしれない。
ここを大きく取り上げたいのは、私の中の”日本人”なのかもしれない。
でも、あれやこれや、意味づけを考えてしまう。
(単なるSF要素で使っているなら腹立つが・・・)
細かく見ていくと、
ダグラス氏のなめ切った表情・チャーリーを目の前でなぶり殺しにされる時の様子・反省した時の様子・クライマックスで佐藤を殺せるかもというものを発見した時の逡巡とか、多彩。やさぐれている中にも心の底に眠る”善”を匂わせる。
ガルシア氏の、チャーリーがニックの本当の姿を信じている優しさ・陽気さを見せてくれ、その人懐っこさで転回点を作るキーマンとしての存在感。”好い奴”と皆が思わねば、後半に説得力がなくなる。
高倉氏の、松本の真摯な誠実さをとつとつと示した演技。ニックがその説教を受け入れるほどの、松本の人生を醸し出さなければ、説得力がなくなる。不器用なだけでは、人は説得されない。
神山氏は定番。警察のお偉いさんといったらこの方。流ちょうな英語もさすが。
石松氏は、馬鹿にされやすいが、元WBC世界ライト級チャンピオン。実は、すでにワールドワイドな方。プロボクサーとしては、USAでも知られた方だったのかしら?唯一無二の存在感。佐藤とは別の意味で、眼が彼を追ってしまう。
内田氏は、最近の”ロックンローラー”なお姿を探すと、見逃してしまう。
若山氏はその迫力にひれ伏してしまう。同じやくざもんでも、半端な佐藤と違う、大組織を束ねる風格を示す。菅井の前だと、狂気の佐藤が焦って駄々っ子している思春期男児に見えてくる。尤もやくざの世界だから、器の違いなんて暴力の前にはなんの意味もなくてと言うところも、危ない、危ない。
と、それぞれ、ご自身の魅力を演じきっている。
だのに、鑑賞後は、佐藤のイメージしか残らない。
ビジュアル的には、こんな髪型していたっけ?とか、こんなに黒のトレンチコートを美しく着こなしていらしたのね、と改めて驚く程度なのに、
あの、冒頭のダイナーの「あ”?」の振り向きざま。戦慄第一弾。
あの、日本到着時。
あの、チャーリーを殺す場面。 なんて、残忍な。なのに、舞を舞うように美しく。それでいて臨場感が半端ない。チャーリーが、ニックの唯一残った友として、気さくな良い奴だから、余計に胸が引き裂かれる。
あの、菅井達との会合の場。
あの、バイクチェイスからの乱闘。
雰囲気、間、眼、声の出し方、あの笑い方…。
触るだけで切れそうな、蛇のような、人を小馬鹿にしたような、どこか姑息なチンピラのような下卑た表情も織り交ぜながら、計算高く抜け目なく、ただひたすら己の力を信じ、欲丸出しで突き進む佐藤。圧倒的な迫力。クールなのに、クールだけじゃない下卑た小物感も匂わせる。なのに目が離せなくなる。
”異端”なヒール。だが、孤高の存在ではなく、佐藤を慕う部下もいる不思議さ。
何故、こんな人間になった?なんてことすら考えたくもなくなるほどのヒール。
場の空気を、映画の出来を一変させる役者。こんな人がいるんだ。
すざまじい…。
オーディションで、、松田氏の演技を見たときに、監督もダグラス氏も、この映画の成功を確信したというが、さもありなん。
コネリー監督で、デ・ニーロ氏との共演がオファーされていたというが、観たかったなぁ。
正直言って、この映画だけが松田氏の代表作とは思わない。他にも、永遠に記憶に残る作品は山ほどある。
そんな役者だから、この人にもつい、タラればを言いたくなる。
治療よりも、演技することを選んだ男と語られる。
でも、1980年代でなく、今だったら、どのような選択をされたのだろうか。
今なら、ステージⅣとかの手の施しようのない状態でなければ、治療して仕事に復帰できる。私の周りにもたくさんいる。
今なら、訃報が届いたサニー千葉(千葉真一)氏らがハリウッドで実績を積んで、この映画があって、2003年には『ラストサムライ』があって、アカデミー賞にノミネートされるくらいに、日本人がハリウッド映画に出ることは夢物語ではなくなった。
ひょっとしたら、松田氏も、次のチャンスを待って、まずは治療をされたのではないだろうか。
でも、1980年代は違った。
癌と宣告されることは死の宣告をされることとほぼ同意義。ショックを受けて自死される方もあとを絶たなかったから、基本インフォームドコンセントは家族のみだった時代。治療したとしても、闘病記さながら、ベッドの中で苦しみながら…。それでも、延命が期待されるような程度。
ハリウッド進出も、まだ、『ラストサムライ』どころか、この映画も企画中…。次のチャンスなんていつのことか…。
奥様が女優で、奥様のお姉さま夫妻も演劇人だったから、意志を通せたのかな?
渾身の役者たちが揃った映画。
この役者にキャストしたことに賛辞を贈りたい。
Wikiでみた、最初にオファーした役者が演じていたら、どんな映画になっていたのだろう?
ジャッキー・チェン氏の佐藤は新境地が開けたかもしれないが、
小林桂樹氏の菅井…。小林氏も名優だけどさ。
シーン・シーンも語り継がれる要素はある。
初見では、特に後半棚田の場面、あの亀の忍者でも出てくるんじゃ?えっランボー?もひょっとして出てくる?なんて思い、興ざめしたが、ロケを全部日本でできなかったのは、日本側の問題だと知って、日本がこの映画に傷をつけたのかとがっかり…。
そうやって見ると、善戦しているなあと見方が変わり(笑)。
とはいえ、全体を通してみるとすっきりいかない。
なぜ日本を舞台に?USA舞台で、佐藤を暴れされても良かったんじゃないかと思う。
けれど、松本の律義さ(性善説人間)と人生捨ててるニック(人を信じられない)の対比とか、
日本警察のような日本的チームワークとニックのような暴れ馬との対比や、
菅井が代表するイタリアンマフィア的日本やくざ(しきたりとか順列重んじる)と佐藤のようななんでもありのニュー勢力の抗争とか、
いろんなことを、いつもの舞台以外で描きたかったのかしら?
今一つ、すっきり腑に落ちないので☆4つ。
(物語☆3
役者☆10
映像☆2:好みでない
アクション☆5)
ものすっごい名作ってわけじゃないよね
目を見張る松田優作の狂気じみた演技
ショーケンの戯言
松田優作が命を削りながら演じた佐藤、本来の役名は"弘法"であり演ずるは"萩原健一"である。
実直な刑事を演じた高倉健、アル中でクビ寸前の刑事役として"勝新太郎"が演じる筈だった、役名は"市"もちろん「座頭市」から。
勝新太郎の兄でもある若山富三郎の大親分は"藤山寛美"に決まっていた。
アンディ・ガルシアの役は"トム・クルーズ"が演じ、ニューヨーク市警の上司はジーン・ハックマン。
プロデューサーやキャスティング・ディレクターと直で会い、打ち合わせも行ったショーケン。
新宿歌舞伎町での撮影は断念、舞台を香港に変える発言をするマイケル・ダグラス、日本側のスタッフから大阪を提案する。
黒澤明の「影武者」降板騒動から牙を抜かれたかのような勝新は、英語が出来ないからと消極的な態度で本作を降りてしまう。
様々な問題が山積みになり、ショーケンの負担も限界に達し最初の「ブラック・レイン」は頓挫する。
優作でスタートした撮影も途中、何も知らされないで再度、ショーケンにオファーされたらしい。
俺の代わりに逝ってしまった優作、、、不謹慎に思われるセリフを吐いちゃうショーケン。
こんな信じられない、大嘘極まりない話をマジメに語ってしまうショーケン、そこがまた彼らしいのであり、憎めないのは確かだが、真実は何処!??
そりゃぁ、観たかったヨ、佐藤を演じるショーケンを、でも優作が演じる佐藤は全てのキャスト陣を喰ってしまう演技というか存在感が異様で、鬼気迫る凄みがスクリーンを支配している。
危ない雰囲気とギラついた目が印象的な当時のM・ダグラスに絶好調な売れっコ俳優だったA・ガルシア、国民的なスターの健さん、松田優作が全てを掻っ攫って逝ってしまった。
内田裕也と安岡力也が間で見守るように、だからこそ撮影も乗り切れたのかな、心強い仲間だったのであろう。
あの曲、小学生の時は何も知らずカッコ良いと適当に口遊んだり、歌うはグレッグ・オールマン!サザンロック最高な"The Allman Brothers Band"な訳で、今になると複雑な心境でもある。
健さんが歌う「What'd I Say」ハスキーな声で、レイ・チャールズに負けず劣らず??
リドリー・スコットの美的センスと近未来なディストピア感が混沌とした雰囲気を醸し出し、大阪の街に覆い映し込む斬新な映像描写が一際に素晴らしい。
【今作で、他の日米の数々の素晴らしき俳優よりも圧倒的な存在感を発揮していたのは、松田優作である。】
―リドリー・スコット監督が、今作の”黒い雨”を経験していない狂気のヤクザ、”サトー”役に松田優作を抜擢した理由が、彼が出演した森田芳光監督の「それから」の演技を見て決めたという理由が、久しぶりに今作を鑑賞して腑に落ちた。-
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彼の、日本人離れした長身、鼻筋の通った風貌、そして何よりも迸る狂気である。
「それから」はご存知の通り、夏目漱石の名作の映画化作品で、アクションシーンは勿論全くない。
が、”高等遊民“長井代助を演じた松田優作の抑制した演技からは、”狂気性”が明らかに滲み出ていた。
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今作の布陣は、主役の型破りな殺人課の刑事ニックを演じたマイケル・ダグラス、相棒チャーリーを演じたアンディ・ガルシアを始め、日本サイドでも、高倉健、若山富三郎、内田裕也、國村隼(分かるかな?)と豪華キャストである。
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だが今作が強烈に印象に残っている要因は、チャーリーを”かッと開いた口とサングラスの奥の、禍々しい目で見据え”、バイクに乗り、日本刀の先端をアスファルトの地面に付け火花を散らしながら、ニックの眼前で切り殺すシーンや、
世話になった筈の親分、菅井(若山富三郎)の前で指を詰めるシーンと、その後、表情を一変させ”かッと開いた口を開け”菅井の手に刃を立てるシーン、
等、松田優作演じた”サトー”が出演するシーンである。
メインストーリーとしては、アメリカの型破りな刑事と、日本の堅苦しい警察組織の中で生きる高倉健演じる松本警部の男同士の繋がりを描いているのであるが、
個人的には、松田優作の圧倒的な存在感が、この映画の魅力である、と思ってしまうのである。
<彼は今作での素晴らしい演技で、ワールドワイドでの活躍が期待されたが・・。
彼の遺した財産が、今や邦画界を牽引している事実には、敬服せざるを得ない。>
ヒロシマではない黒い雨
リドリー・スコットが大阪を舞台にした警察ドラマを作り、1989年の日本を的確に捉えたアクション映画。
アメリカのはみ出し刑事(マイケル・ダグラス)が若い部下(アンディ・ガルシア)と共に、日本人犯罪者(松田優作)を引き渡すため日本にやってくる。
ところが偽警察にまんまと騙され、大恥をかくことに。
大阪府警の警部補(高倉健)の協力を得て、日本のヤクザ抗争を追いかける。
雨の好きなリドリー・スコット、大阪はいつも濡れていた。
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