「裏切り、分断。千々に乱れるその心。 けれど…。」ブラス! とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
裏切り、分断。千々に乱れるその心。 けれど…。
イギリス。炭鉱閉鎖が舞台。
大好きな『パレードへようこそ』は1984~1985年が舞台。
この映画でのフィルが刑務所に入り、停職となった頃の闘争か。
そして、この映画はその後の話。
1992年にグライムソープ・コリアリー・バンドが成し遂げたロイヤル・アルバート・ホールで行われた全英ブラスバンド選手権大会での偉業が発想の基になっている。
映画でのグリムリー・コリアリー・バンドの演奏は、グライムソープ・コリアリー・バンドが担っている。
『アランフェス協奏曲』『ダニーボーイ』等、心に染み入る。
けれど、耳タコになっているのではないかと思うほどに聞いている『ウィリアム・テル序曲』『威風堂々』で涙が出てくるなんて、思いもしなかった。
話は実話ベースだからか淡々と進む。ご都合主義的な展開や、ステレオタイプ的な描写もなくはない。だから、初見はちょっと物足りなく感じた。『ブラス!』という邦題や、マクレガー氏演じるアンディが主人公と勘違いしていたこともあって、ちょっと混乱。フィルとダニーが実の親子と気づくのが遅かったのもその一因。
けれど、一番印象に残ったフィルを軸に据えて鑑賞し直すと、その悲哀が胸に迫ってくる。
自分のことはさておき、妻にも、子どもにも、父にも、仲間にも、すべての人に幸せになってもらいたいフィル。
だから、1984~1985年のデモの時には逮捕されるまで頑張ってしまって…。その結果、背負ってしまった借金…。
家族を守ることは、父や仲間を裏切ること。仲間の意思を伝えることは父の生きる気持ちに止めを刺すこと。
誠実に頑張れば、頑張るほど、追い詰められていく…。
妻に見放され、子と引き離され、父を裏切り、仲間を裏切り…。そして、何より、炭鉱夫・組合員・バンドマンとしての自分のアイデンティティへの裏切り…。
炭鉱閉鎖。すでに経営者側は決定している。
だが、労組との話し合いもあり、従業者自身に選ばせる。
フィル以外のブラスバンドメンバーがどちらに投票したのかは明示されていない。
4(閉鎖して退職金を得る)対1(退職金を蹴って存続)で閉鎖が決定。ならば、フィル以外にも退職金を取った者もいたであろうに。
フィルの投票内容を知った、いつもの仲間は…。
そんな息子の窮状に全く気が付かない父・ダニー。
過去の窮状を乗り越えてきた経験から、今回もどうにかなると楽観視。
社会の流れは掴まない。黒いダイヤと呼ばれた石炭だって、いくら豊富にあっても、需要がなくなればただのゴミになるのに。
失業してもバンドがあればと言い切ってしまう。ダニーは年金生活者?子育て中の現役とは経済事情が違うのに。
息子であるフィルが家財を没収されるほどに追い詰められている窮状すら気づかず、安易に「楽器を買え」というダニー。(楽器を買ったことでブチ切れる妻は当然の反応だよね)
フィルが自死を図りながらも、「生活より音楽こそ大事なんだ」(思い出し意訳引用)とダニーに言う。その鬼気迫ること。それでやっと気が付くダニー。
そこから、ラストの演説に繋がる。
原題『Brassed off(怒っている、うんざり)』が効いてくる。
★ ★ ★
『ウィリアム・テル序曲』。運動会の定番。走ること、急ぐことを強要されているようで、あまり好きではない曲。だのに、この映画では、涙が出てくる。
勿論、これまで聞いたことがないほど、演奏が良い。力強く、急ぎすぎず、一緒に胸張って前進している気分になってくる。コルネット?の独奏は聞き惚れるほど素晴らしいし、シンバルも決めてくれる。
それに加えて、フィルの変化。ちょっとだけだけど報われたことが嬉しい。
指揮するハリーも良い。初めは緊張した面持ち。そして舞台にダニーを見つけたとたんの嬉しさ爆発の表情。指揮をしながら体全体で爆発している。それに応えるかのような演奏がまた、良い。
『威風堂々』。これもまた、クラッシック音楽の定番。祝日とか祭典によくかかる。
だが、この映画のこの人々の生き様を見た後で、彼らが演奏しているのを聴くと涙が出てくる。誇り。生き様。それを共有する仲間。お金では買えないもの。彼らのこの先は判らないが、それでもなお、否、それだからこそ、なお、胸にしみる。
『アランフェス協奏曲』「スペインとアランフエスの平和への想いを込めて作曲したと言われている。第2楽章については、病によって重体となった妻や失った初めての子供に対する神への祈りが込められているとも言われている。」(by Wiki)。
初めは、バンドの練習風景の中で、グロリアの演奏に驚く人々の様が映し出されるが、炭鉱経営者と労組の話し合い場面に変わっていく。これから起こることへの鎮魂歌のようにも思えて、なんという演出か。
ここのコルネットのソロと『ウィリアム・テル序曲』のソロは同じ方が演奏しているのだろうなと思うがどうなのであろう。
『ダニーボーイ』。別れを告げる歌と思っていたから、ここでこの演奏?と焦ったが、「戦地に赴く息子や孫を送り出すという設定で解釈されることも多い。」(by Wiki)。でもあるので、闘病を支援するということか。勿論、バンド解散の意味も含んでいると思うが。ダニーを思い、しっとりときかせてくれる。楽器を手放してしまったアンディが口笛で参加しており、時折、口笛を聞こえるのがミソ。
オープニングの行進曲も良い。光の乱舞から、皆の姿に変わっていく演出も好き。曲は違うが『ウィリアムテル序曲』ほどの力強さはない。これから起こることへの予感。
★ ★ ★
イギリスでの炭鉱閉鎖の憂き目にあった人々を描いた映画ではあるが、
リストラや雇止め等、本人の意思に寄らぬ失業の憂き目にあった方々と、その家族の物語でもある。
そして、経済発展の名のもとに、人々の尊厳を踏みにじっている様へメッセージでもある。
深刻な貧困問題を抱えるようになった日本、貧困への恐怖から経済的発展にしがみついている日本。
鬱による休職・失職者、引きこもりや自死者が激増している今。
その痛みと、行く末を考えるためにも、ぜひ観て欲しい映画だと思う。