「アメリカの男性が「一人前」として生きることがいかにきびしくてさびしいことなのか」フルメタル・ジャケット jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカの男性が「一人前」として生きることがいかにきびしくてさびしいことなのか
この映画はベトナム戦争時代にアメリカ海兵隊に志願した若者たちの群像劇です。
冒頭、次々に頭を丸刈りにされていく若者たち。彼らの背景、志願動機、人物像は描かれません。彼らはこれから8週間にわたり、海兵隊新兵訓練キャンプで地獄の訓練に耐えることになります。
訓練の目的は普通の若者を冷徹かつ正確無比な殺戮マシーンに変えること。そのためには参加者の人間性や個性や思想が徹底して否定されます。上官には絶対服従。訓練兵は名前も剥奪され、「ウジ虫」または「侮蔑的なあだ名」で呼ばれます。一切の反論や口答えは認められていません。彼らはライフルへの愛、国と海兵隊への忠誠心を叩き込まれていきます。
鬼教官ハートマン軍曹を演じたR・リー・アーメイは本職の俳優ではなく、本物の海兵隊の訓練教官経験者で、演技指導に来てもらったところあまりの迫力にキャスティング変更し採用されたとのこと。彼の罵詈雑言はもう「話芸」です。彼の下品で侮辱的な言葉は嫌味を通り越してユーモアにまで昇華されています。本作の真の主役はアーメイさんだと思います。
訓練兵達の中に二人の異物がいます。一人はパイル(ヴィンセント・ドノフリオ)、もう一人はジョーカー(マシュー・モディーン)。
パイルはデブで、運動能力が低く、不器用で、集団の足を引っ張る存在です。ジョーカーは「聖母を敬え!」と迫るハートマン軍曹に「自分は神を信じません!」と言い張り、その根性で班長&パイルの指導役に指名されます。
パイルはジョーカーの助けで少しずつ成長を見せますが、トランクに隠していたドーナツが軍曹にみつかり、以後パイルのヘマの罰は本人ではなく、他の隊員全員に与えられることに。そのストレスが頂点に達し、パイルは他のメンバー全員から暴行を受けます。この事件を契機にパイルの顔からは笑顔が消え、目には殺気が宿ります。
何一ついいところのなかったパイルは射撃の腕を見出され、軍曹からお褒めの言葉をかけられるように。そんなパイルはブツブツと独り言を喋りながら自分のライフルをまるで恋人のように撫で回します。
8週間の訓練を終えた修了式。やっと彼らは一人の人間、しかも一人前の海兵隊員として扱われるようになります。特にパイルは軍曹からまたもお褒めの言葉を頂戴します。そして彼らは家族よりも濃厚な仲間として海兵隊に迎え入れられます。この関係性は死んでも消えることはなく永遠だと強調されます。
いろんな大切なものを捨てて彼らが得たもの、それは「一人前の海兵隊員としての誇り」です。アメリカの若い男性は、こんな過酷な通過儀礼を、軍隊は言うに及ばずアメリカ社会のいたるところで経験するのでしょう。ヤワな自分を捨ててタフな一人前の男になること。それができないとオカマ扱いか子ども扱い。個性や人間性は二の次三の次。アメリカの病根とも言えるこの構造とマッチョ信仰をわかりやすく批判的に描いた本作は、そのおかげで普遍性を獲得しました。
成長の度合いが最も著しく一人前の殺戮マシーンになったパイルは、自分を一人前にしてくれた恩人である軍曹を射殺して自殺します。結局彼は仲間たちと和解することはありませんでした。
ハートマン軍曹役のR・リー・アーメイとパイル役のヴィンセント・ドノフリオの二人が退場した本作の後半部分、映画の緊張感は一気に緩んでしまいます。それほど本作に命を吹き込んだ二人の大熱演は観る者に忘れられない印象を残します。
もう一人の異物であったジョーカーは、高校時代の新聞部での経験を買われ、軍の情報誌の報道員としてベトナムへ送られます。ここから本作の舞台は訓練キャンプを離れベトナムへ移ることになります。
ジョーカーはヘルメットに"Born to kill"、胸にはピースマークのバッジを付けるという2面性を持った男であり、シニカルな批評精神を持った男です。報道員である彼の目を通して傍観者的立場で残酷な戦場の有り様が描かれていきますが、とてもこの後半部分がベトナム戦争の実相を十分に捉えられたとは思えません。
上司に反抗的なジョーカーは前線の取材に送られます。そこで親友"cow boy"の戦死を目の当たりにして、やっと戦争の厳しさを体感したようです。親友の敵を取るために残った兵士たちとともに狙撃兵のいる廃墟へ突入します。
狙撃犯(軍服を着た兵士ではない)は若いベトナム人女性であり、彼女はすでに瀕死の重傷を負って倒れています。彼女は何度も「Shoot me!」と口にし、止めを刺すよう頼みます。ジョーカーは悩みに悩んだ挙げ句、周囲に促され、しぶしぶ彼女に向けて拳銃を発射します。彼の初めての殺人シーンであり、彼にとって最大の葛藤シーンでしたが、実践経験のない彼のナイーブさが強調されたシーンでもありました。古参兵にとってはおそらくありふれた場面でしょう。ジョーカーは、格好は一人前でも軍人としてはまだまだ未熟のようです。
本作の中で鬼軍曹が後にテロリストとなった二人の元海兵隊員の話をします。軍曹は彼らのことを優秀な海兵隊員として称揚しますが、実像は自分を除け者にした社会に復讐を図ったテロリストです。この映画はアメリカの男性が「一人前」として生きることがいかにきびしくてさびしいことなのか、教えてくれます。彼らはもしかしたら死んで始めて「一人前」なのかも知れません。
追記
「アメリカの過酷な通過儀礼」
どんな文化にも青年が一人前の男になるためには乗り越えるべき「通過儀礼」があると言われますが、本作で描かれるアメリカの通過儀礼は過酷です。頭を丸め、8週間キャンプに閉じ込められ、「ウジ虫」または「侮蔑的なあだ名」で呼ばれ、一切の口答えは許されず、暴力体罰当たり前。この訓練を通して普通の若者たちはナイーブさを捨て、ライフルと祖国への愛と海兵隊への忠誠心を身に着け、冷徹な殺戮マシーンへと成長していきます。この通過儀礼を終えて初めて彼らは名前で呼ばれ、一人前の男として扱われ、家族よりも濃い「永遠の仲間」を手に入れます。
日本ではとっくにそんな通過儀礼はなくなりました。今そんなことをすればすぐにパワハラ・セクハラで訴えられます。もはや過去の遺物です。ではわれわれは幸せになったのか。悲惨な目に合わなくて済むかわりに、一生を幼稚なままで信頼できる仲間も持たずに過ごすのが今の私達なのかも知れません。
本作は集団の中の異物である二人の若者にフォーカスします。一人は通過儀礼そのものを通過できません。彼に逃げ道はありません。もう一人は要領よく通過儀礼をくぐり抜けたものの、現実社会である戦場に出て葛藤を経験します。ナイーブで個性的だった青年たちはいつしか「部品」や「消耗品」となり摩滅しながら生きていくしかない、そんな厳しいアメリカの現実が描かれています。そして悲しいのは、この通過儀礼が人間的な成熟とは全く関係がないという点でした。