「観る者の変化」ふたりのベロニカ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
観る者の変化
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クラクフとパリ、生き写しの二人の女性がそれぞれの人生を歩む。
20年前にVHSで観たときの記憶を辿ると、クラクフのベロニカは優しくて大人しい娘なのに対して、パリのベロニカは要領よく男をものにする賢い娘であまり好感のもてるキャラクターではなかったように思う。
記憶など曖昧なもので、20年も経つと自分の意識の中でひどく作り替えられていくものだ。観たという事実そのものを忘れてしまう忘却よりもたちが悪い。
今回再鑑賞し、パリのベロニカだっていい子であることを認識。確かに、最後に好きな男の子と結ばれるのはパリのほうだけれども、別にズルいことをしているわけではない。何をどう解釈した残滓が、記憶の中のベロニカをズルい女に仕立て上げてしまったのだろうか。
20代半ばの私にとって、パリのベロニカはよほど器用な少女に見えたのだろう。今回見惚れてしまったイレーヌ・ジャコブの小さくて可愛いおっぱいのことなどほとんど記憶にないのだから、中年になった自分の視点の変化をつくづくと思い知らされる。
若い頃の自分は、短い一生を終えたクラクフのベロニカに同情し、生と性を謳歌するパリのベロニカには嫉妬のようなものを感じた。その自分も年月を経て中年のじじいとなり、女優の若く瑞々しい身体こそが最も印象に残るという物悲しさ。
ある作品を、ある年代の視点で鑑賞するのと同じようには、年月が経ってしまったときに再鑑賞することは出来ないものである。今自分が観ている映画は、今この瞬間にしか生成しない現象なのだということを、ほろ苦い気付きとともに考えさせられた。
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