ファイト・クラブのレビュー・感想・評価
全71件中、21~40件目を表示
久々2度目の鑑賞~
どんな内容だったか忘れ、再度鑑賞。
ハチャメチャ!カオスな状態が最高(  ̄▽ ̄)
最後はちゃんと裏切ってくれる(^^)
多重人格的な映画は結構あるが、サスペンスやホラーが多いなかアクションで仕掛けてくるフィンチャーさんはさすがです!
思いの外、スカッとする話だった。
・高校生くらいの時に観て、二重人格だったんだ!の衝撃と殴り合うなんてバカみたいだなぁとか、そういう印象が残ってる映画だったけど、20年くらい経って見直して観たら殴り合いたい訳じゃないけど気持ちはわかるなぁ…と全く違う印象になった。無関係の自助グループで癒される感じや仕事の虚しさとかがわからなくもなくて殴り合って生きてる感覚や楽しみを得たいっていう気持ちがとても良かった。あとは石鹸を作ってる映画で時々シーンだけ脳裏に蘇る時があって、それがファイトクラブだと改めて知られてよかった。とはいえ実際にはやりたくないけど。
・爆破を止めるのかなと思ったら間に合わず、えっ、と思ったけど過去の自分をぶっ壊してるイメージなんだなってのと次々倒れていくのが良かった。自分を乗り越えるのは、銃で自分を撃ち抜くくらい痛いのかもしれない。
とてもよかった
前に『カナザワ映画祭』でスクリーンで見た時は寝てしまった。今回が初めてスクリーンでちゃんと見れた。何度見ても面白くて、激しく心を揺さぶられる。
エドワード・ノートンがなで肩のヒョロガリであるため、ネタ明かしをされてブラピであると言われてもカリスマ性が全然ないので結び付かない。いくら不眠症でもあんなにエネルギッシュに、ダブルワークなどできるだろうか。
アメリカなら、アマレスの経験者がごろごろいそうな印象があるのだけど、ファイトクラブには来ない。オタクの、運動や格闘技経験のない人が考えた感じの話だ。
廃墟に勝手に住んで野良犬のような暮らしをしてみたい。
10数年ぶりの鑑賞。 真相を理解して見ると色々な伏線が仕込まれてい...
10数年ぶりの鑑賞。
真相を理解して見ると色々な伏線が仕込まれている事が分かって、違う楽しみ方が出来ますね。
ラストシーンが現実とも思えないし、全てが夢オチって含みも有るんでしょうね。
マーラが眺めのいい部屋のお嬢さんだったとは今回初めて気付きました!
組織的破壊活動
昨年、Mankを観てから、デビッド・フィンチャー作品への見方が変わってしまいました。ファイト・クラブは大好きな映画だったんですが、評価一変かも。
クラブのテロ行為は、自己破壊による開放の象徴。
ビル爆破は、人間社会全体へのオブジェクション。
だと、思ってたんですが。
より直接的な感情があったんですね。
少し、がっかりしながら眺めてましたが、そういう事を考えなければ、これは、やっぱり、傑作です。とっても。
絶賛の嵐…
そんな嵐をストップさせて申し訳ないが、あまりにも痛々しいシーンが多くて、ちょっと引いた。
ブラピはカッコいい。
ジャック演じるノートンもなんだかいい。
不眠症が、ファイトクラブによって改善?していくのはなんとなくわかる気もするが。
とはいえ、さすがフィンチャー作品。
そうくるか!?というエンディングにはびっくり。
もう一度観るとまた違うのかな。
でも、やっぱ共感できない。
だって痛いの嫌だ〜!
途中マーラとタイラーが関係を持ったように見えたシーンで主人公の質問...
途中マーラとタイラーが関係を持ったように見えたシーンで主人公の質問に対して激昂したマーラから勘づいてしまったが、それでも面白い。
結局二重人格ではあったものの、自分を美化した妄想にとりつかれ、取り返しのつかないことになる主人公を描いた作品。それでもあそこまでの求心力はその才能が元々あったとしか思えないが。
ただ、終わり方が少しやっつけ感があった。
ラストへの急展開から期待値が上がっていたのでそこだけ残念だが、それでも良い映画だった。
Do not talk about fight club. 劇薬❗
「午前10時の映画祭」で鑑賞してきました。学生の頃にレンタルして観た事があるのですが、映画館のスクリーンで観るとまた違いますね。
正直この映画を説明するのってとても難しい気がします。どこを切り取ってもストーリーの一部分にしかならないというか。殴り会うファイトクラブの要素がメインかと言えばそれも違うような、タイラーの正体を探る事がメインかと言えばそこもちょっと違うような。それでも映画から伝わるパワーはとんでもない作品でした。これは1度観てくれとしか言い様がないです。
俳優陣は勿論ブラピは格好良かったですが、まぁ何と言ってもエドワード・ノートンでしょう。何かもうスゴい事になってます。個人的には上司の部屋で自分を殴るシーンが印象的でした。あれは観てて引き込まれましたね。ヒロインはヘレナ・ボナム=カーターだったんですね。ハリポタのイメージが強いのですが、けっこう色々と出ているんですね。あれ?ジャレット・レトもいる!
で、個人的にはあの最後の解釈って正直イマイチ良くわかってないんですよね。テロを成功はタイラーの目論見だったはずなのに、エドワード・ノートンも結局そっち派だったって事なのでしょうか?普通に爆発眺めてたし。最後も色々と解釈がありそうなのですが、やっぱりこれは一度観てもらうしかない作品ですね。
私にはできない生き方
私は真面目な方なので、映画とはいえ暴力や犯罪は観ていて引いてしまいます。もったいないですが本作を本気で楽しみきれなかったと思います。悪いことをするのに抵抗や恐怖を感じるんですよね。タイラーにクソゴミ野郎言われるタイプです。
タイラーのきったないたまに浸水する家より絶対いい家具揃えた家でくつろいだほうがええやんと思ってしまうのですが。私にはできない生き方だなあ。
鑑賞中はファシズム的雰囲気のせいか、終盤のタイラー軍団をめっちゃ悪いことやってる集団に思い込んでいましたが、実際のところ彼らは殺人はやってないですし、色々破壊して、最後もクレジットカード会社のビル群崩壊させたくらいなんですよね。まあ大事っちゃ大事ですけど。
そこに気づいてからちょっとこの作品が好きになりました。映像、演出もさすがのデヴィットフィンチャー。他にはない尖ったセンスを感じます。
良くも悪くも、克己というのか。そして最後は自分に似た境遇(≒自分)のマーラにこれからすべてよくなると告げる。自分を認めることができたって話なのかなと思います。崩壊するビルと相まってなんとも美しいラストシーン。でも自分撃った時は絶対死んだと思いましたよ、なぜ生きているのか主人公。
bgmも格好良かったです。オープニングから引き込まれました。「小さな1回分パックの人生旅」のあたりとかもセリフと曲の組み合わせがクセになります。
終盤の警察署のあたりから流れる曲も格好いい。
序盤でタイラーのサブリミナルがところどころで出てくるので、幻かもなあとは思っていましたが、二重人格とは。寝てる間に活動しているというのもいいですね。序盤で挟まったシガレットバーンの話が、もろにこの作品の構成の解説になっているというニクい演出が素晴らしい。さっき書いたサブリミナルやラストにアレを入れ込むのとかも。
タイラーが後ろでヌンチャクやってるシーンとか、「ケンカを売るのは難しい」のファイトクラブ会員たちが空回りしてるシーンがシュールで笑えました。あとは主人公の「僕はジャックの○○です」の言い回しがお気に入り。
登場人物が何かを投げ捨てるシーンがちょくちょくあるのですが、それがどれも格好いい。特にタイラーのタバコの捨て方。真似した人も多いのでは。投げた後拾ってね。ポイ捨てはだめですよ笑
ブラッドピットはもちろん格好いいですが、エドワードノートン、めっちゃ輝いてました。ボロボロになるのが妙に似合う。いろんな表情が見られるので彼のファンの方には是非見て欲しい作品です。
映画『ファイト・クラブ』観る。 「父性」という観点からこの映画を観...
映画『ファイト・クラブ』観る。
「父性」という観点からこの映画を観ると深くて面白かった。
『ファイト・クラブ』
◆あらすじ
主人公は仕事は真面目にこなすし、上司の言う事もきちんと聞く、会社の不正も仕事の為だと目を瞑ってこなす。プライベートでは贅沢な家具を取り揃えるのが趣味で人生は全てうまくいっているように見えるが不眠症という悩みを抱えています。
不眠症改善の為に最初は病気友の会に行くけれど劇的には改善しません。ある日飛行機内で隣の席になった男(ブラッドピット)と世間話をするうちに友人となる。この男と酒の酔いに任せて地下の喧嘩場、ファイトクラブを設立する。
◆登場人物の描写
主人公とブラピは対照的な描かれ方をしています。主人公は痩せ型で真面目なサラリーマン、ブラピは筋骨隆々、デカいサングラスと赤い革ジャンでアナーキーな生き方をしています。主人公は自分にはない何かを持っているブラピに惹かれていきます。
◆肥大化するファイトクラブ
ファイトクラブは世に不満を抱えた男たちがストレスを発散するのにうってつけのようで会員数が増え続けます。元々ブラピはいたずら癖が酷く最初は子供のいたずら程度が徐々にエスカレートしていきます。やがてファイト・クラブはブラピの私兵団と化し、ビル爆破などの度を越えたテロ行為にまで発展していくように。主人公はブラピの女癖の悪さや度を越えた犯罪行為に次第に嫌気がさし、ビル爆破計画に至っては阻止しようとします。
最初は惹かれていたのに嫌悪する、このグラデーションが絶妙で非常に面白かった。主人公には父親がいない、法律や一般常識に囚われない生き方をするブラピに最初は惹かれ憧れていた、これは自由、自律した大人への憧れと言えます。主人公はそんなブラピに自分にはない父性を感じていたのです。
しかし、物語が進むにつれて段々嫌悪するようになる。まるで思春期の子供が父親を嫌うように。そして最後に父親殺し(父を乗り越える)試練(ビル爆破計画の阻止)に立ち向かいます。序盤友好的で温かさすら感じていた平和な映画が中盤から一変してスリリングな内容に転がっていく所も非常に面白かった!そしてブラピかっけぇ!ちょっとワルイ男に惹かれる感じ!
◆感想
人は父親と母親から良影響か悪影響を受けて育ちます。父親がいない主人公は問題を抱えて成人します。ブラピに父性を見出し、そしてブラピを嫌う感情のグラデーションが繊細に描かれていてとても良かったです!前半ちょっとだけ展開が遅く眠たいもののそれも伏線となっていたので耐えて観て良かったです。
話題だったファイトクラブを再度視聴
二度目の視聴。前回は前知識なくまあ普通に楽しんだだけだったが、その後、①ファイトクラブ問題(特定グループにおいて、古参である自分を差し置いて昔の自分が親しんだグループが自分が居ないうちに全くの別物(多くは陽キャのワイワイサークル的な)になっていて自分の居場所がなくなる事)というようなこの映画の名前を用いた面白い活用の仕方をとあるポッドキャスト番組で聞いて気になっていた②とある陰謀論サイトにて、911事件にからめてこの作品の予言性が強く語られていた・・・ということがあり、この作品には自分として強い因縁を感じており、二度目の視聴は②を軽く確認する意味で見ることに至った(事前に断って置くとそういう自分は陰謀論に詳しくない)。
結論として、予言ではなく、予告という言葉は甘く、儀式に近いと思う(思うという表現理由は、自分は論理的な結論づけをしているわけではなく、テキトーな自分内部での帰結であるからだ)ということだ。つまり、用意周到な予言の益は、大多数の人間が見るフィクションで皆が共有してある指向性をもった事象のシンボルを見ることによって、それが現実化することを促進する目的があるのではないかということだ。実益が無いとなんぼ自意識過剰で大愚を馬鹿にしたいからといって犯罪予告をするバカではないだろうからだ。
911事件に関わるとして、この映画で気になった点をあげていく。冒頭においてground zeroという言葉を使い、20:26において、発音が近いdrops to zero(人生の残り時間はやがてゼロになる)という言葉を用いている。21:41に飛行機が飛行機に突っ込む描写がある。序盤で主人公の一室(高層ビルの8~10Fほど)が爆破される。ラストに米国の金融関係の複数のビルに同時爆破テロをしてエンドとなる。「お前は廃墟となった'ロックフェラーセンター'の大峡谷でヘラジカを追う。」という言葉。物語中、頻発される「タワー」という言葉。「飛行機が墜落する」という主人公の言葉(01:52)。スフィアの一石二鳥作戦(玉はチェス盤をもしたテーブル席✖2に向かって転がる)。気になった具体例は以上となる。それとともに、タイラーによるインパクトある「お前は物に支配されている」等の主張が視聴者に与える影響性はもちろん大衆に悪影響を与える意味があると考えたのが一つ。もう一つは、無意味で面白げあるサブリミナル表現(ところどころのタイラー?の画像の挿入、ラスト02:16の男性裸体の下半身画像の挿入)は、大衆にこの作品の儀式性を確信されるのを防ぐためのブラフ(面白おかしく馬鹿げて下品で妄想なのだよという見せかけ)を目的としているのだろうなとテキトーな仮説をたてた。
上記に関わらないこととして、この作品はとても楽しめた。不眠症を抱えながらも悲壮感よりはコメデイチックに飄々と自分の病気と向き合って行く主人公。自分のスタンスを強烈に掲げ資本主義を憎悪し主人公を面白い世界に連れて行ってくれるタイラー。主人公の鏡面役(同じ性質)と思いきや、主人公を現実から見つめるリアル側の目撃者となった、マーラの存在。そしてファイトクラブという社会のはぐれものが鬱憤を晴らす組織から人肉を用いた石鹸工場、社会へのテロ組織と変遷していった組織。共感を誘われたし憧れもする内容だ。
謎な点もあるが名作でした
なんか最初はブラピカッケーな!ぐらいにしか感じず、ナレーションも多く途中で見るのをやめようかと思ってました。
途中まではなぜ評価の高い映画なのか不思議だったけど後半からのストーリーの展開に一気に集中力高まりました。
店主がタイラーを殴っているシーンがあるがあれは誰を殴ってるんだ?僕はそれを見てたじゃないか!とかちょっと謎なシーンはあるが最後のどんでん返しは衝撃的でした。
もう少し前半に伏線を入れてくれると集中して見れた気はします。
たまたま最近パーフェクブルーってアニメを見たからだけど少しストーリーかぶるなぁと思いました
殴り合いてえぜ
まさかのオチ。衝撃的というか男ならアツくなる部分があったが、まさか同一人物とは。。友達が勧めていたの確かに、という感じ。昔兄弟と身体を通じた殴り合い。痛みこそが生きている証拠を得られたような感覚があったことを思い出した。この社会はクソだってパンクも最後に流して血とセックスを感じる。興奮した。。。「我々は消費者だ。ライフスタイルの奴隷。」「職場といえばガソリンスタンドかレストラン、しがないサラリーマン。宣伝文句に煽られて要りもしない車や服を買わされてる。」「歴史のはざまで生きる目標が何もない。」「テレビは言う。明日は君も億万長者かスーパースター。大嘘だ。その現実を知って俺たちはむかついている」
見終わってすぐ他のレビューを見ました
この映画は脚本が途中でうまくいかなかったに違いない。
まあまあいい線いってたのに、途中で
二重人格⁈ そんなことで決着つけないでほしかった。
わかった時点で「ストーップ!」です。
ブラピとE•ノートン良かった、それだけ。
決して口外するな
家庭の中のモノは何でも爆薬になるとか、フィルム映画のつなぎ目は「シガレット・バーンズ」などと言うとかのウンチクだらけ。ファイトクラブを設立するまでは、病気でもないのにマーラ(ヘレナ・ボナム・カーター)とともに患者の会に参加するというエピソードが面白い。「睾丸がんの会」のネタがストーリーの後半には伏線として生かされてることも絶妙だった。
20年近く経って見直してみたが、どっちがどっちだったか忘れてしまってた。知り合ったタイラー(ブラピ)と廃屋で生活するようになってからも、自分の内臓を一人称にするヘンテコな小説を見つけ、ジャックの延髄などという一人称をたまに吐くのも面白い。とにかくネタが豊富な作品であることは間違いない。
鬱屈した昼間の生活から自分を解放したい奴が続々と集まってくる。日常ではアザだらけ血だらけになって日常に戻る会員たち。ルールのあるファイト・クラブでは自己変革を求めながらも社会生活に順応していたはずだった。徐々に放火や度の過ぎた“宿題”のおかげで彼らは反社会活動家となってしまい、死者も出てしまうことに・・・それが睾丸がんの会のボブだったことが主人公(エドワード・ノートン)にショックを与え、不眠症もいつしか治ってしまう。
徐々に反社行動になっていき、リーダーさえも止められない。騒乱(mayhem)計画なるものも作られ、隠れ家の地下室にはニトログリセリンだらけに。ある意味、テロリストというよりファシズムさえ感じられる展開。こうなったら自分がいなくても次から次へとテロリスト、ファシストは生まれてくる。抑鬱の解放という裏のテーマが静かに身をひそめているのだ。まるでサブリミナル効果のように・・・
初見では単純に二重人格だったというオチを楽しむのもいいだろう。しかし、タイラーに喋らせている台詞は奥が深いので鑑賞2回目以降なら彼らの台詞を楽しむしかない。資本主義の揶揄、しかし非暴力ではない。ガンジーと殴り合いたいなどと言ったのが正解とされるのだから相当なものだろう。しかし、公開されたのが1999年であることも考えると、物質文明を破壊するという世紀末思想も絡んでいるに違いない。全てを“0”に・・・爆弾を仕掛けたのもクレジット会社ばかりというのも頷けるのです。そうして、何かとこの後の9.11を思い出されるため、自分の心の中でも映画の中身を封印してしまっていたかもしれません・・・
爆捨離映画
物語は自宅を爆破するところから始まり、
資本主義の権化である、
金融会社のビル群を崩壊させて終わる。
人生を変えるために、
石鹸を爆弾に変えたタイラーダーデン
現状を変えるためには、
ないものをねだるよりも、
今あるものを起爆剤にして、
突破口を開けろ。
そんなメッセージを語られたような
夢の中の妄想のような映画
想像以上にぶっ飛んでた内容。予想していた内容とは違っていた。
もう少し純粋にファイトするクラブの話かと思ってたけど、主人公の人格解離して、暴走していく話でしたね。
正直、中盤あたり、というかかなり序盤から、サイコじみた主人公設定なので、実は人格が違うだけ、という展開は読みやすかったです。
あまりにリアリティがないので、主人公の内面世界の妄想の話という方があってると思います。この映画の内容全てが、夢の中の妄想劇。そういう解釈の方がしっくり来ます。
自分で自分を殴ったり、ひきづったりとか無理だしね。
きっと、飛行機が墜落して、助かったけど意識昏睡の中、現実世界ではやれなかったことを、夢の中で行なっているんでしょう。
個人的はあまり好きな内容ではない。この映画が好まれる理由はなんとなく分かりますが。要は男の欲望そのものだから。暴力、破壊、セックスだらけ。
Fight Club
「二重人格」をテーマに据えた映画が好きで、『複製された男』(2012)や『嗤う分身』(2013)など既に何本か鑑賞しており、どの作品にも共通しているのが、メインの人格が自ら負傷することで第二の人格を殺すことで物語が終わるというもので、本作も漏れなくそのようなエンディングなのであるが、そういった作品と比べて本作はとりわけ血生臭い演出が強く、139分という上映時間も相まって最後まで鑑賞するにはかなり体力を消耗したように思う。
上記2作品と異なっている点といえば、エドワード・ノートン演じる主人公には名前が与えられず、また各人格のビジュアルが異なる点である。モノローグにおける一人称「僕」以外に主人公に名前が与えられないことで彼は「信頼できない語り手」となり、その上ビジュアルも異なれば、観客は「僕」と「タイラー・ダーデン」を全くの別人と捉え、完全にミスリードさせられる。このトリックこそが本作品をより重層化させており、「主人公自身がタイラー・ダーデンであった」という本作品の「二重人格オチ」たらしめている所以である。
「僕」は一流の家具や洋服で虚栄心を満たし、物質的には充足した生活を送っている一方で、精神的には満たされず不眠症を患っている。出張中の飛行機で、自分とは真逆の性格のタイラー・ダーデンと出会い、「ファイト・クラブ」を結成する・・・端的にいえば、タイラー・ダーデンは「僕」の理想像であり、互いを殴り合い、己の「強さ」を誇示する「ファイト・クラブ」は「僕」が失くしていた男性性の象徴である。すべては「僕」自身が無意識に抱いていた欲望の権化であり、それらは「僕」が眠っている間に「タイラー・ダーデン」という名前を持って実体となる。「僕」が不眠症を患い、医師へ「目が醒めると違う場所にいる」と語るのも当然だろう。
過剰なまでの殴り合いやテロの描写から誤解し易いが、本作は決して暴力を賛美する映画ではない。本作における暴力とは、自己滅却を行うことのメタファーである。劇中でも語られる通り「苦痛や犠牲なしには何も得られない」のが常で、「痛みから意識を背け」てはならない。痛みや苦しみを感じながら、生きている実感を得て、肯定する。DVD冒頭に登場するオリジナルの警告文こそが、本作が伝えたいメッセージそのものだったのではないだろうか。
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