ファイト・クラブのレビュー・感想・評価
全252件中、1~20件目を表示
響くときにはがっつり響く、危険な魅力がある。
○作品全体
10年前くらいに見た時は、まったく響かない作品だった。
高そうな北欧家具を揃えられる安定した職業についておきながら、その地位を投げ捨てる主人公の振る舞いにまったくもって理解できなかったし、タイラーが主人公の作りだした別人格であることには驚いたが、それに振り回される主人公という構図も納得できなかった。自分が困ることをなぜ自分の作り出した人格がしてしまうのか。自制するもしないも自分自身の匙加減で、終盤のタイラーの暴走も茶番劇ではないか、と。
当時、居場所や日常に満足していた自分にとっては、不幸になっていく破滅主義者の物語を冷めた目で見ていたような気がする。
時は経って今の自分。別に今の居場所や日常のクオリティがあの頃より下がったとは思わないけれど、自分のやりたいことや望むことを我慢することが増えた。そしてそのストレスをお金に変えて消費することも増えた。現に数日前に別にそんなに欲しくなかったiPadを買ったりしてる。
それでもぼんやりとした心のうっぷんが残る中で、ふとこの状況で本作を今見たらどうなんだろう、と思ったのが再視聴に繋がったんだけど、まぁ、響いた。主人公自身や主人公を取り巻く環境を次々に破壊していく姿は危険な快感があった。
主人公がタイラーという別人格によって家を爆破し、職場で静かに狂っていく気持ちが、今ではわかる。今の生活に不満があるわけではないけれど、いろんなものにがんじがらめとなっている束縛感。職場での上司との関係性もそうだし、あれこれ揃えようと考えている趣味の時間もそうだ。上手くやっていかなければいけないという強迫観念みたいなものが強弱はあれど常時ある。それをぶち壊したらさぞ気持ちいいんだろうな、という主人公の感情が今の自分にならわかる気がした。
下へ、下へと向かっていく主人公はやはり破滅主義なのかもしれなけれど、本当に主人公がしたかったことは自分自身の環境も含めて「徳政令」なのだと思う。クレジットカード会社のデータを保管したビル群を爆破すること自体、まんま「徳政令」なわけだが、社会の徳政令に加えて、自分自身に積み重なった大小すべてのしがらみに対しても自宅の爆破や職場での振る舞いによって「徳政令」を行ったのだ。
主人公は物理的にも精神的にも痛みを伴いながら、いろんなものを帳消しにした。しかし「消費者」として甘い蜜を吸って過ごす人生を突き放すことができない自分は、痛みを伴ってタイラーを具現化することができない。未来を見据えて臆病になっている自分には、ラストシーンの美しさと同じくらい、ラストシーンの後の、主人公の過酷な人生を勝手に推測してしまう。しかし、だからこそ、タイラーの言うところの「所詮いろんなものを背負ったって最期は塵になる」を前提に破壊していくことの快感を映し出してくれる本作は、特別な「危険な魅力」を持っているのだと思う。
○カメラワーク
・序盤のモノローグは主人公がカメラ目線で急に話しかけてきたりコメディチックな演出なのに対して、後半は乾いた口調。終盤はモノローグがなくなる。主人公自身の冷静さのバロメーターのように感じた。序盤はがん患者の集いに安らぎを求める主人公に対して、客観視して自嘲できる余力があった、というような。
・金髪のファイトクラブ会員に対して過度に殴る主人公のシーン。タイラーと一緒に地下から階段を登っていくが、画面は天地逆さで下に降りていくような演出。下へ下へと落ちていく主人公の心情と繋がる。カメラマンが逆立ちするように正しい天地を映した状態からひっくり返るのがかっこいい。
・1コマだけ写す演出は潜在意識というよりちょっとホラーっぽい感じに見えた。
○その他
・主人公が普通の日常を歩んでいた時の「上っ面な世界」の表現が良かった。流行りの北欧家具を磨く主人公という構図もそうだし、飛行機での「一度きりの友人」に楽しみを見つけるというのも。個人的に好きなのは主人公と同じく、いろんな集いに現れるマーラに怒るシーンで「何回も練習したの?」とツッコまれるところ。上っ面の世界で生きてきた主人公にとって、怒りという本能的な感情を表に出すことが苦手なのだろう。それがマーラのエッジの効いたセリフによって表現されているのが巧いと感じた。
・以前見た時は、タイラーの常時マウントをとるような振る舞いに見えたけど、ボコボコにされる時はされるし、主人公に寄り添おうとする時にはきちんと寄り添ってくれていたんだな。主人公の作った人格だから当然なんだけど、それでも距離感というか、人間味が絶妙。
なんでこんなに評価高いのか分からない
不眠症で悩んでいる男が傷の舐め合いサークルに行き涙を流す。
睾丸を無くした訳でもない血液感染者でもないがんでもないが、そこに通い抱き合って涙を流すことがジャックはたまらなかった。
そんな中一人の女が現れる。睾丸をなくした人の傷の舐め合いサークルに女が来た。そして彼女は色んな傷舐め合いサークルに参加していた。ある日ついに彼女に問いつめる。「このことをみんなにバラすぞ!」と。そしたらあなたも一緒でしょって。笑 そしてジャックは飛行機でタイラーという男に出会う。家に帰ったら自分の家が爆発していて帰る場所がない。そんな時飛行機で知り合ったタイラーに連絡をした。再開したらタイラーは僕を殴れと。こうしてファイトクラブが始まって言った。そして何故か一緒に住むことに。それがまた雨漏りはするしシャワーのお湯はでないしでちょーボロい家。
たしか毎週金曜日だったかな?金曜日にどこかわからん場所で殴り合いをしていたら仲間がどんどん増えていってファイトクラブ誕生〜 ここまではまだ良かった
物語のクライマックスと週末はまるで意味がわからない
これは私の感性が死んでいるからか?
2度目 1度目ほどの衝撃はないけど面白い 欲にまみれてきたりこの映...
2度目
1度目ほどの衝撃はないけど面白い
欲にまみれてきたりこの映画を観た時の気持ちを忘れそうになった時に観るとすっきりとする
しがらみから少し解放してくれる救いのような映画
女には絶対分からない世界なのが上手い
ケンカを避けているとか暴力的な衝動とか
「すべてうまくいく 出会いのタイミングが悪かった」
この台詞が最高に良い
ちゃんとした自分でハッキリと話した最初の言葉みたいな所が
これからエドワードに待ち受ける運命なんて絶望感しかないのに晴れやかですっきりと、しっかりとしている感じが何故か上手くいく気にさせてくれる
BGMも相まって最高のラストシーン
びっくりした。
腰がぬけました。
テーマは消費主義でうんざりからの自分探し 反暴力 自己破壊は行き過...
デビッド・フィンチャー監督の華麗な左ストレート
以前に「セブン」のレビューでも書いたけど、監督のデビッド・フィンチャーが大嫌いだった😮💨
人のデリケートな部分を塩付きの爪楊枝で刺すかの作品がどうにも気に入らなかったからだ💨
「セブン」のレビューに彼女と喧嘩したエピソードを書いたが、あの映画が公開されてた時点ではマ王は監督としてデビッド・フィンチャーを認めてなかったのである😤
だから、懲りずに「ファイト・クラブ」なんて映画を作りやがって、と公開初日にケチを付けてやる気満々に腕を捲くって映画館へ赴いた次第だった😑
昔はそういうワケの解らん正義感を引っ提げて生きていたのよ💦
で、映画館で食らったのは反対にデビッド・フィンチャーからの見事なパンチだった👊
ほぼほぼ完璧なストーリーと先の読めない展開、ブラット・ピット、エドワード・ノートン、ヘレナ・ボナム=カーターの狂気の演技が融合して稀に見る名作となっていた✨
デビッド・フィンチャー監督が嫌いだったからマ王は腐すタイミングを見計らっていたんだが、悉くカウンターを頂き最後は美しい左ストレートを貰って139分後にマ王TKO負け🌀
以降、デビッド・フィンチャーが新作を作る度に映画館にせっせと足を運んでいる😅
手のひら返しと言われそうだが、彼の作品は今でも粗も波もあるのを否めない🫤
「ゾディアック」は確かに面白かったけど「ゴーン・ガール」はマ王的には「いや、そういうもんだろ」としか思えなかった(胸クソ悪い映画に挙げられてたけど)
最近は映画の宣伝も巧妙になり、いよいよ外からは良作と駄作の区別がつき難くなっている😶
このサイトでも【ネタバレ】のレビューが目立つけどしかし、我こそは映画好き、というのなら映画館で映画を観てから歓喜や後悔をすれば良いだけなのだ🤔
そもそも感想なんてのは個人差が著しいからして他人の評価で観る観ないを決めてはアカンと思うのよ、マ王としては😬
ちなみに「ファイト・クラブ」は女子にはウケが悪い🥸
デート向けの映画ではないという事だ👍
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
この映画はネタバレ止めて度★★★★☆
ネタバレしても理解出来ないわ度★★★★☆
【これぞ見る劇薬。だが一時的なもの。】
※ネタバレを含みます※
僕自身、ネタバレ等を危惧し、あまり事前情報は入れず、名前から連想できる暴力的映画なのか?と予想して、鑑賞に臨みました。
暴力シーン等で奮起しない自分にとっては、途中迄の鬱々としたシーンの数々が退屈に感じましたが、主人公『ジャック』が、もう1つの自分『タイラー』に気づくシーンで思わず声が漏れてしまいました。
確かに、作中で「おや?」と不思議な感覚に襲われるような伏線シーンは多く盛り込まれていましたが、まさか『タイラー』が主人公の別人格とは、驚きました。
ですが、別人格とは説明付かないくらいタイラーが剥き出されすぎてて、少し違和感を持ってしまいましたが、全然目を瞑れる範疇なので、そこは無視します。
今作は、社会風刺映画と言われ、消費社会や、人々が物体に操られているように、物体で個々を着飾っている社会を皮肉った映画だと思うのですが、それにしても暴力と紐付けるのは少し無理があるのかなと思ってしまいましたね。
まず、暴力(ファイト)に関しては、人を痛め付けるのが目的ではなく、自分をいたぶり生を実感するという事に関しては一貫していたので良かったです。が、社会に鬱屈とした感情を抱いている男達が、“殴り合う”という事で何か開放感に似たものを感じているのだとしたら、非常に薄っぺらく感じますね。
それに、『ジャック』の「彼の名前はボブだ」という意見に、それまで『ボブ』を人として扱っていなかった『タイラー』の信者達が、流されたように、口々に貫いてきた芯を曲げるシーンは、非常に滑稽で面白かったです。
「校風なんかに従うかよ〜!」と言って暴れるヤンキーのようにも見えました。もしかすると、この“馬鹿げた皮肉”を意図的に演出しているのかもしれません。
それにしても、作中に散りばめられたサブリミナルや、タイラー演じるブラピの無骨さは、何処か男の厨二心を刺激されますね。あぁ成れたらいいなと誰もが思いそうです。
他の方々も仰られている通り、『消費社会』を皮肉っているわりには、映画製作で多額のお金を使っていたり、今作をブランド的に利用し、社会を達観した気になっている鑑賞者も多い点を考えると、今作もただの『消費映画』のようにも感じますね。
現実でスーパースターのブラピが「着飾るのなんてクソだぜ!」みたいな発言してる事自体、皮肉なのでしょうか。考え過ぎですかね笑
楽しめたけど汚い
最初、主人公はブラピに似た雰囲気あるなと思いながら観ていた。
話が進むにつれて、不眠症では片付けられない程の精神の病み方にみえたので、これはもしかして二重人格か?と疑っていた。スーツケースが同じだったり似た生育環境だったり。
予想は当たってしまったが、それでも十分どんでん返しは楽しめた。
この作品を真似たようなドラマが後世いくつもあるので予想できてしまったと思う。
リアルタイムで観たらもっと驚きがあってさらに楽しめたと思う。
ただ、汚らしい場面が多いので観やすい映画ではなかった。暴力でストレス発散できるというのも全くわからないので。
ネタバレ禁止の『真実の行方』で好演したエドワート・ノートンが主役
全252件中、1~20件目を表示