白夜(1971)のレビュー・感想・評価
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あまりにも経済的なロベール・ブレッソンのモンタージュ美学
男がおもむろに手を挙げるショットに切り返す形でこちらへ向かってくるタクシーのショット。しかしタクシーが停車せぬうちにカットが切り替わり、次の瞬間には男が完全に停車したタクシーのドアノブを握っている。
タクシーが男に気づいて停車したことは、わざわざ説明せずとも直後のドアノブのショットによって完全に説明される。それゆえの省略。結果、この一連のシークエンスは類稀なる軽妙なリズムを獲得している。
その後、タクシーはすぐさま画面左の闇の中に消えていき、空港の荷物ベルトコンベアを画面右に向かって流れていく荷物の群が映し出される。次いで男が画面右上に伸びるエスカレーターを登っていくショット。そこにオーバーラップするジェット機の轟音。わずか10秒ほどで男が女のもとを去り、異国の地へ旅立ってしまったことが説明される。
あまりにも経済的なロベール・ブレッソンのモンタージュ美学はこうしたほんの些細なシークエンスにおいても力強く発揮されている。
中でも最も瞠目すべきは男と女のドア越しの攻防戦だ。目まぐるしいカット変更にもかかわらず、その部屋の間取りを、男と女の関係値の変容を、我々はいとも容易に想像することができる。そういう意味では『スリ』と並んでブレッソン入門に相応しい映画だといえるだろう。
脚本は至極単純。孤独な画家ジャックは夜のポンヌフでマルトという女と出会う。マルトは一年前に、ある橋の上で恋人と落ち合い、結婚する約束をしていた。しかし恋人は現れず、マルトは悲嘆に暮れる。他方ジャックは彼女を毎夜慰めているうちに彼女のことが好きになってしまう。マルトのほうも恋人への執着をかなぐり捨て「今日が終わったらあなたと一緒になる」と決意を固めるが、まさにその晩、マルトの前に恋人が現れてしまう。
まあ、ロベール・ブレッソンを物語的境位において観るということは、身も蓋もない悲劇を観ることと同義なので不思議はない。それでも、恋人と肩を組んで雑踏の中に消えていくマルトを呆然と見つめるジャックのやりきれない佇まいには思わず感涙を誘われた。
時代柄なのか、ヒッピースタイルの若者が多々登場する。しかし彼らこそが本作の音楽を担う重要人物たちであることは言うまでもない。ジャックとマルトの恋を盛り上げる船上の音楽隊、あるいはマルトに去られてしまったジャックの絶望をセンチメンタルになぞる路上のフォークシンガー。
あとはやっぱり手ですね。ブレッソンは世界で一番手を撮るのが上手い。ドアノブを回し、テープレコーダーを押し、女の脚を愛撫する手。そこには形容し難い神聖さが確かに宿っている。
ブレッソンの橋ものがたり
自分が生まれた頃に作られた見逃していたブレッソン白夜を4Kという復活上映的なイベントで観れた。場内は上映回数の少なさか、かなり混んでいて、時折いびきも聞こえもするが、角川有楽町のスクリーンサイズが好き。
そして映画はびっくりするほど若く、鮮烈。
これはブレッソンのポンヌフの恋人たちというか、ブレッソンの橋物語。パリと橋(と川)。諦めるのか待つのか、待つのか諦めるのかという女と、そんな女に吸い寄せられる男。いづれも若者。2組のミュージシャンがいい按配にカットアウトをする。音楽はうっとりだが、切り込み方は唐突に。それがゆっくり川上から川下に流れ去る。もうそれだけ。更に謎のラジカセ録音機能。愛を記録し、吐き出し、なるほどとは思いつつ、バスの中で徐に再生するのは衝撃的面白さ。向かいで見つめ合う主婦たちと恋にまいっちまった青年との視線の交錯。たけし映画でもこんなのはない。
川面に反射する光はフィルムの優位性を物語る。これはスクリーンで観ないとな、の1本だった。ラストシークエンスが青春そのもの。
パリの街に音楽が流れていた
19世紀のペテルブルグではなく、20世紀のパリのポンヌフ(第9橋)で、現れない恋人を待つ女性と画家の青年が出会う。
彼女は存在そのものが美しい芸術のようだけどロマンティストではない。彼はとても孤独で貧しいけど悪意はなくロマンティストだ。
60年代後半のパリの街には音楽があふれている。吟遊詩人のように街角でギターやバイオリンや笛を演奏する人たちもいる。
セーヌ川を行く船も音楽と共に流れていく。
そうして彼と彼女の束の間の時間も流れて消えていく。
唯一音楽だけがそれを知り惜しんでくれるかのようだ。
なにも救いがないほどつらい孤独の中で、20世紀と言うさらに人間をコンクリートで囲ってしまう孤独の檻の中で、彼はなんとか持ち堪えているんだ。共感しないわけがないじゃないか!
40年前に見た映画だからあいまいなところはあるけど、心に染み付いている。10代のころ、4,5回は見に行ったと思う。池袋に文芸座とかいう映画館があった時に。
流れて過ぎていったあれらの音楽の曲名を知ることはできないだろう。DVDも発売されていないから二度と聞くこともできない。
だからこそ、一層懐かしく、胸がしめつけられる。
記憶が確かなら、あれは1968年のアカデミー賞芸術作品賞かなんかだったような気がします。最高に芸術的であることには間違いないと私も思う。万人に理解されるかは別として。
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