白夜(1971) : 映画評論・批評
2012年10月23日更新
2012年10月27日よりユーロスペースほかにてロードショー
その後に語られるだろう数えきれないほどの物語を抱えた映画
ある映画を見た誰かが別の映画を夢想して別の映画を作る。そしてその映画を見た別の誰かが別の映画を夢想して別の映画を作る。そして、それらの映画を見た誰かがその中にもとになった「ある映画」を見ることになる。そんな映画の水脈の広がりと収束を考えてみたくなるような映画が、この「白夜」である。
1971年の製作、70歳を前にしたロベール・ブレッソンによって作られたこの映画を見ると、様々な映画の断片が浮かび上がってくる。しかしそれはそれ以前に作られた映画ではなく、それ以後に作られた映画の断片だ。この映画以降に作られ、世界の映画ファンたちを驚喜させそして更に映画の枠を広げて行った映画たち。まるで宇宙の最初の爆発のように、広がり続ける映画の星雲。
つまり未来をその中に充満させた映画。「白夜」とはスクリーンのことでもあるだろう。白い夜の中で繰り広げられる夢。それこそ映画といえないだろうか。ある夜偶然であったふたりの物語が、彼らの記憶とともに語られるこの映画は、その中に、その後に語られるだろう数えきれないほどの物語を抱えている。映画の無限大の可能性とともにそこにある。つまり主人公のふたりの無限大の可能性、それを見る私たちの無限大の可能性がここで語られているということである。だから、かつて作られた「名作」を観に行くのではなく、私たち自身の未来を観に行く、そんなつもりでこの映画に向き合えたらと思う。
(樋口泰人)