「完成されてる」羊たちの沈黙 まゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
完成されてる
以前、どこかのサイトで解説されていたのを何とか思い出しながら書く。(この解説が正しいというのではなく、鑑賞後の自分の感想に最もフィットしていると感じたため)
ミステリーの用語で、「アームチェア・ディテクティブ」というのがある。又は「安楽椅子探偵」と呼ぶが、それに類する作品である。
クラリスとレクター博士は、二人とも同じものを持っている。その正体は「絶望」だ。それがこの映画の要になっている。
クラリスの父親が死んでしまうことは、幼かった彼女にとって「絶望」だが、それだけでは抽象的で弱い。だから子羊の屠殺を目撃して、子羊を一頭だけでも救い出そうとするという具体的なエピソードを加えている。こうすることで、子羊を助けて鳴き声が聞こえなくなるために(絶望に打ち勝つために)クラリスは行動している、というストーリーの目的が明確になる。クラリスの真っ直ぐな性格も表現できる。
一方でレクター博士は、精神科医として様々な患者と向き合いながら苦しみ闘ってきたはずで、そこで「絶望」に飲み込まれて人間を喰らうという悪魔になってしまった人間だ。レクター博士は精神科医としてクラリスのことをよく分析できるのと同時に、自分も同じ「絶望」を知っているから、彼女のことをより理解できるのだ。
面白い作品は必ず、表のストーリーと裏のストーリーの二本立てになっていて、二つの話が同時に進行する。この作品で言えば、犯人探しや謎解きにドキドキするのは確かにあるが、それは表のストーリーで、物語の主軸はあくまでもこのクラリスとレクター博士の関係性にある。
クラリスが汚れていない無垢な、ひたむきで、美しい、絶望に立ち向かう勇敢な女性だったからこそ、レクター博士はクラリスに興味をもったし、彼女にだけヒントを与えてくれた。クラリスは自覚は無いかもしれないが、この相反するように見える二人が、心の深いところで共鳴できる部分を持っている、特別な間柄だということが、この作品の最も大きな魅力になっているのである。
原作では、クラリスはもっと激しいキャラだそうで、作品の印象がかなり違うらしい。この映画はまた別の一つの完成形と言えるだろう。
ジョディ・フォスターの聡明で可憐な美しさよ…この役は彼女しか考えられない。