「「真の自由」を求めてやまないヒーロー像」パピヨン(1973) いたりきたりさんの映画レビュー(感想・評価)
「真の自由」を求めてやまないヒーロー像
「日本公開50周年」とのことで、何度目かのリバイバル上映が決定した本作。
私も過去2度ほど劇場で観ていますが、ハッキリ思い出せるのは、ゴキちゃんやゲジゲジくんたちを食べて(!)腕立て伏せする例の独房シーンと、ヤシの実を詰めた藁袋にしがみついて海をプカプカ漂っていくシーン、この2つだけ(涙)。
そんな頼りない記憶を上書き更新すべく、このほど東銀座・東劇で開催された「ライムスター宇多丸登壇『パピヨン』特別先行上映会」へいそいそと出かけてまいりました。
まず客席暗転と同時にスクリーンカーテンが稼働。シネスコサイズにきっちりマスキングされた画面で観ることができたのは、なにげに嬉しかった(これは宇多丸さんも上映後のトークで言及されていました)。
で、本編は151分の長丁場をまったく飽きさせず、お見事のひとこと。
それにしても、勝手な思い込みで『大脱走』みたいな「スカっと爽快感」を期待していたら、思いのほか生々しいドキュメンタリー・タッチが随所に挿し込まれていてびっくり。エンドロールでも廃墟と化した監獄の外景が次々と映し出され、「ザ・実録もの」が強調されます……。
ううむ、過去2回のわが鑑賞歴は海の藻屑と消えたか。『メメント』のガイ・ピアースおじさんに成り果てたのか。つくづく記憶など当てにならぬと思い知らされました。
そういえば、ダスティン・ホフマンが全編にわたり抑え気味の演技だったのも意外でした。ラストもアクターズ・スタジオ仕込みの“泣き笑顔”炸裂かと思いきや、意外とあっさり。
そこへ、フルオーケストラで昂った「パピヨンのテーマ」が被ってきて大感動のエンディング…というのも全くの記憶違い。実際の劇伴は、年老いた2人にそっと寄り添うがごとく、ミュゼット仕様のアコーディオンの音色を軸にやさしく“歌い上げている”というものでした。
こうして見返すと、この作品、あまり劇伴が付いてないのですね。なんでも監督と作曲家が協議の上、必要最小限にとどめようと決めたのだとか。
そもそも先のメインテーマ曲だって、男臭さのかけらもない、シャンソンの香りと愁いを帯びたメロディだし。ここらはちょっと、チター1台で勝負した『第三の男』の「ハリー・ライムのテーマ」などが思い出されます。
それにしても、本作のスティーヴ・マックィーンは「老人演技がわざとらしい」とかよくやり玉に挙げられていて、確かにごもっともだとは思うけれど(それを言うならダスティン・ホフマンのメソッド演技だって充分あざといぞ)、一途に自由を希求し、生にとことん執着する姿はやっぱり胸アツ。そしてなにより「映画的なヒーロー」としてズバ抜けてるぞ、と襟を正しました。
この「真の自由」を求めてやまないヒーロー像は、たとえばキアヌ・リーブス主演の『マトリックス』三部作などにもしっかり受け継がれていますね。
以下は余談——。
1.
映画冒頭、フランスの司令官役として、本作の脚本も手がけたダルトン・トランボ(※共同脚本)がカメオ出演しています。これは本作のトリビアを漁っていて知ったのですが、鑑賞後まだ間もない今は、その立ち姿をハッキリ思い出せます。なにせ、炎天下に整列させた全裸の囚人たちを前に「フランスは諸君を見捨てた、完全に排除した」などとムチャクチャなことを言い放つ強烈キャラだったので。
2.
囚人船で南米ギアナに到着後、港からパピヨンたちがぞろぞろ監獄へ向かう道すがら、バクがまるで野良犬のように街中にいて、鼻で水の入ったバケツをひっくり返していました。なるほど、バクって南米に普通に生息してるんだ(笑)。
3.
逃走中のパピヨンは原住民の裸族の村に匿われ、美女とイチャイチャするなど一時のパラダイス気分を満喫します。観た人の感想を読むと「ありゃなんだ?」「意味不明」「シークエンス丸ごとカットすべき」などとありますが、アレは公開当時のセンスでいうところの「観客サービス」ですよね。それより、件のヌード美女の肌にビキニトップの日焼け跡が残っていたことの方が気になりました。
4.
過去に多くの人が指摘しておりますが、本作のラスト、パピヨンがヤシの実を詰めた藁袋に乗って波間を漂っているとき、その袋の水面下でスキューバダイバーが袋を牽引している姿がたしかに映り込んでいます。
コレ、過去2回の鑑賞時には全く気づきませんでした。あるいは、今回クリアな映像を大スクリーン(東劇は10.57m×4.50m)で前5列目から見たから初めて気づけたのかも…。