「スイスにほど近いフランスの田舎町。 教師の娘マリーと農場の息子ジャ...」バルタザールどこへ行く りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
スイスにほど近いフランスの田舎町。 教師の娘マリーと農場の息子ジャ...
スイスにほど近いフランスの田舎町。
教師の娘マリーと農場の息子ジャックは筒井筒。
幼いながら、将来を誓い合っていた。
そんなある日、一匹のロバが生れ、バルタザールと名付ける。
キリスト教東方三賢人のひとりから名付けたのだった。
が、ジャックの一家は去り、農場はマリーの父に任され、月日は流れ・・・
バルタザールは鍛冶屋の苦役に使われていたが、苦役に耐えかねて遁走。
もとの農場で、成長したマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)と再会する・・・
といったところからはじまる物語。
その後、マリーに恋慕し、バルタザールに嫉妬する不良少年ジェラール(フランソワ・ラファルジュ)とマリーとの関係を中心に、バルタザールを通じて周囲の人間を描いていくのだが、出てくる人物だれひとりとして、共感を呼ぶような人物は出てこない。
この、善き人皆無、というのがロベール・ブレッソン監督の狙いのようで、観ていて心底つらい。
話の内容がつらいだけでなく、構図も幾分普通ではなく、ちょっと寄りすぎていたり、斜めだったり、切り返しのポジションも常識的でないなど、観る方をいらいらさせたり困惑させたりしています。
なので、観ていてつらいので、たいていはロバのバルタザールの方に目が行くことになるのだけれど、これまたバルタザールもろくな目に合わない。
キリスト教におけるパッション(受難)とでもいうべきもので、業にまみれた人間に代わって難を受けるという恰好。
神の息子の代理といったところなのだろう。
そう感じたのは、中盤登場する飲んだくれたバルタザールを手放す際にいうセリフで、
「バルタザールよ、これからも愚かな人々をみるがいい」というもの。
このセリフと関連して、のちにサーカス団に飼われることになるバルタザールは、檻にはいったトラなどの動物を見つめるカットがあるのだが、これは檻の中の動物に対するバルタザールの憐憫を示すとともに、「檻に入っている動物の方が外の人間よりマシだ」という思いの表れなのだろう。
物言わぬバルタザールは、沈黙する神のメタファー。
神は見届けるだけで、手を差し伸べることはできない。
ああ、神様はつらいよ。
そんなバルタザールも最後は犯罪の片棒を担がされる羽目に。
ジェラールの密輸品運びに使われ、銃弾を受けてしまう。
無垢な羊たちに囲まれて静かに死ぬ姿は、神々しくさえある。
業にまみれた人間のもとで死ぬよりは、よっぽど幸せであったに違いない。
尺は短いが、宗教色が強く、どこにも救いようがない物語なので、観るのがツラい部類の作品の中でも、最上位に位置する映画かもしれません。