「記憶。」八月の狂詩曲(ラプソディー) Noriさんの映画レビュー(感想・評価)
記憶。
諸用を終え時間・場所的にちょうどよかったので鑑賞。鑑賞後に、スクリーンの世界から33年後の伊嵜充則さんが急遽挨拶に来られて、時の経過に感じるところもあり。
1991年公開。当時私は既に出生していたが、映画にさほど興味がなく、黒澤明監督作品を鑑賞するのは数年先の話で。まだご存命だった訳で、同じ時代の空気を少しは共有していたのだなぁと思う。
平成になってすぐの頃、まだ昭和が色濃く残っている。お婆さんはしっかりお婆さんだし、おじさん・おばさんもしっかりおじさん・おばさんだし。令和の今、アンチエイジングが普遍性をもち、皆若々しい。けれども、年齢をありのままに、その年齢に求められる役割を所与のものとして受け入れ生を全うするという、生物としての在り方は大きく変容している。それでいいのかな、と思わないではない。
当時の長崎、まだまだ原爆の記憶を抱えて生きている人たちが沢山いて。私の祖母も長崎出身で、まだ存命だった。多過ぎる孫のうちの一人だったこともあり、あまり会話をした記憶がないが、もっと聞いておくべきことがあったな、と今なら思う。
長崎は修学旅行で行ったのが最後。作中の子供たちが辿る原爆の記憶、令和の今訪れたらまた違った感慨を抱くのだろう。
自然、変わりゆく街並み、それでも残る戦前の記憶。継承されるもの、忘れ去られてしまうもの。人工物と自然との対比。
クライマックスの土砂降り、あれは雨を待ったのかな。力強い画だった。
反戦反核を直接訴えかける作品ではないが、自身の外堀・内堀を埋められ、原爆投下の彼の地・彼の時代と地続きとなって。我々は何を選択しどう生きるの?と問われているような。そんな感覚を覚えた。
コメントする