八月の狂詩曲(ラプソディー)のレビュー・感想・評価
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溶けたジャングルジムにどんどん近づいてくる集団が怖い
監督と脚本は『醉いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『生きる(1952)』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『影武者』『乱』の黒澤明
20代前半のときTSUTAYAで借りて鑑賞して以来四半世紀以上経つがそれ以来2度目の鑑賞
長崎を舞台とした反核映画
長崎の片田舎に住む老婆の鉦に孫たちが夏休みを利用し泊まりに来た
ハワイに住む鉦の甥が鉦に会いに来日した
いくら優れた演出家でも脚本がダメでは話にならない
黒沢映画の多くは黒澤明1人で脚本を書いているわけではない
黒澤1人だとこうなるのか
柳葉敏郎主演TVドラマ『ホットドッグ』の4人きょうだいの長男として主演していた伊崎くんと田村正和主演『パパはニュースキャスター』の愛(めぐみ)3人衆の1人を演じた鈴木美恵が懐かしい
欧米的価値観に反旗を翻しハリウッドスターのリチャード・ギアに謝罪させるシーンは高く評価したいが・・・
この作品の1番の見どころは超大物助っ人外国人俳優リチャード・ギアではない
マグリットの絵にありそうなキノコ雲と巨大な目の取り合わせでもない
ましてや原爆の熱線でぐにゃりと曲がったジャングルジムでもない
強風吹き荒れる悪天候の中を傘を差して外出し野薔薇の日本語少女合唱が流れる中やっぱり傘が裏返しになるもそれでも負けるもんかと突き進む老婆
それを必死に走って追いかける孫4人
信次郎は派手にこけてる
なんかこのシーン高級なコント?
タイトルは忘れたが漫画か他の映画作品で見たような光景
このシーンのパロディかな
反核反戦映画なのに最後の最後で大笑いしてしまった
椿三十郎が100点ならこっちはせいぜい20点がいいところ
あと吉岡秀隆が演じた縦男って名前変わってるね
原作も縦男
ちなみに原作は原爆絡みの話は全くないらしい
原作者も映画の出来に相当の不満があったと聞く
いくらテーマが良くてもそれだけで映画作品を賞賛する思想は持ち合わせていない
映画の出来としてかなり不味い
漫画のはだしのゲンが傑作ならこっちは明らかに駄作だ
配役
忠雄と良江の母の鉦に村瀬幸子
良江の息子の縦男に吉岡秀隆
忠雄の娘のたみに大寶智子
良江の娘のみな子に鈴木美恵
忠雄の息子の信次郎に伊崎充則
鉦の息子の忠雄に井川比佐志
鉦の娘の良江に根岸季衣
良江の夫の登に河原崎長一郎
忠雄の妻の町子に茅島成美
鉦の甥のクラークにリチャード・ギア
記憶。
諸用を終え時間・場所的にちょうどよかったので鑑賞。鑑賞後に、スクリーンの世界から33年後の伊嵜充則さんが急遽挨拶に来られて、時の経過に感じるところもあり。
1991年公開。当時私は既に出生していたが、映画にさほど興味がなく、黒澤明監督作品を鑑賞するのは数年先の話で。まだご存命だった訳で、同じ時代の空気を少しは共有していたのだなぁと思う。
平成になってすぐの頃、まだ昭和が色濃く残っている。お婆さんはしっかりお婆さんだし、おじさん・おばさんもしっかりおじさん・おばさんだし。令和の今、アンチエイジングが普遍性をもち、皆若々しい。けれども、年齢をありのままに、その年齢に求められる役割を所与のものとして受け入れ生を全うするという、生物としての在り方は大きく変容している。それでいいのかな、と思わないではない。
当時の長崎、まだまだ原爆の記憶を抱えて生きている人たちが沢山いて。私の祖母も長崎出身で、まだ存命だった。多過ぎる孫のうちの一人だったこともあり、あまり会話をした記憶がないが、もっと聞いておくべきことがあったな、と今なら思う。
長崎は修学旅行で行ったのが最後。作中の子供たちが辿る原爆の記憶、令和の今訪れたらまた違った感慨を抱くのだろう。
自然、変わりゆく街並み、それでも残る戦前の記憶。継承されるもの、忘れ去られてしまうもの。人工物と自然との対比。
クライマックスの土砂降り、あれは雨を待ったのかな。力強い画だった。
反戦反核を直接訴えかける作品ではないが、自身の外堀・内堀を埋められ、原爆投下の彼の地・彼の時代と地続きとなって。我々は何を選択しどう生きるの?と問われているような。そんな感覚を覚えた。
●黒澤明監督『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(1991) 神保町シ...
●黒澤明監督『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(1991)
神保町シアターさんにて特集上映「一度はスクリーンで観ておきたい――忘れられない90年代映画たち」2024年6月29日(土)~8月2日(金)にて。
33年ぶりのスクリーン鑑賞。
公開当日は高校生、『七人の侍』『用心棒』などと新旧同時に鑑賞、本作に関しては随分と異質な印象を受けてましたね。
今見返すと戦中派の監督らしい反戦・反原爆を訴えつつも敵国や人は憎まないメッセージをしっかりと感じとれましたね。
主演の祖母役の村瀬幸子さんの円熟した演技、雷雨のなか突き進むラストも印象的ですが、
吉岡秀隆さん、伊崎充則さん、鈴木美恵さん、大寶智子さん孫役たちがとにかく芸達者。
当時はリチャード・ギアのインパクトに持っていかれましたが、いやはや日本人キャストも全然負けていませんでしたね。
終わらない「ピカ」
Amazon Prime Video(プラス松竹)で鑑賞。
原作(鍋の中)は未読。
祖母と孫たちのひと夏の交流を通して反戦・反核を訴える黒澤明監督作品。心温まるトーンだからこそ、核兵器への怒りが際立ち、戦後を生きる我々への問い掛けが刺さりました。
祖母の、「戦争」は終わっても「ピカ」は終わらないと云うセリフが印象深いです。核戦争がいったい何をもたらすのか、端的に示した名セリフではないでしょうか?
奇妙なラスト・シーンにあっけにとられました。
黒沢明監督の
作品の中でも「生きる」と「まあだだよ」、それにこの「八月の狂詩曲」が一番好きだ。
しかし、みんなの評価はあまり高くなく、とても意外だった。
でも、まあ、自分がいいと思う作品が自分にとっての名作だ。(あたりまえか・・・)
戦争って全く無駄。田舎っていい
長崎の原子爆弾。黒澤明監督の映画。
原爆犠牲者の老兄弟がアメリカに渡り、その兄弟の息子役にリチャードギアを迎え、原爆という犯罪を反省する息子。
久しく会えてない兄弟がずっと入院。原爆の日(旦那の命日)を過ぎてから病床のアニメに逢いに行く予定だったが、間に合わず亡くなってしまう。
戦争がいかに愚かしい事なのか考えさせられる。
ルドンの目玉
長崎の田舎の風景がきれい。おばあちゃんの昔話も、途中までになることが多かったけど、引き込まれた。
全体的に夢のような感じ。または、お能のような。すでにおばあちゃんは半分あの世にいて、過去のことを語り、雨の中舞いながら昇天する。起承転結など、現代の物語に当てはめようとすると理解不能なので、日本古来の語りものだと考えれば、このとりとめのなさは納得できるような気がする。
ピカの目玉。ルドンの絵を想像してしまった。宙に浮かぶ不気味な目玉。あんなのが始終頭の中にいたら困っちゃうな。
風化への警鐘
庶民の視点で描いた原爆、反戦映画としては「この世界の片隅に」を観た時ほどの魂を揺さぶられた何かが足りない気がする・・。世界の黒澤監督作品として、この凡庸さは何かと戸惑いながら鑑賞、答えが見つからないのであれこれ邪推してしまった。
有力な軍人だった父のお蔭か兵役免除、戦地にもいかず原爆投下当時35歳の新進監督、国威高揚映画を撮っていた黒澤明にしてみれば戦争と向き合う映画は辛かったのだろうか、80歳の晩年になって心境が変わり、戦中を生きたものの使命感として後世に非劇を伝えなければと思ったのだろうか。
ただ、祖母が語るピカドンや校庭に残る熱でひしゃげたモニュメントを通じてでは所詮、間接話法、当事者としての疑似体験の坩堝「この世界の片隅に」ほどの胸苦しさには程遠い。
リチャード・ギアまで仕込んで「罪を憎んで人を憎まず」と儒学的な原爆投下への解釈、世界観も間違っているわけではないが醒めている感が拭えない。反戦映画ではあるが小津の「東京物語」のような世代間ギャップに時に寄せて見せるのでテーマの解釈に戸惑ったのだが、痴呆の始まった祖母の奇行と追う孫たちのラストショットが戦争体験の風化、終焉を暗示しているようで警鐘としては圧巻だった。
脱線ですが劇中に小学校の教師だった祖父のオルガンが出てきます、長崎出身で一昨年逝かれたシャンソン歌手の古賀力さんが訳詩して唄われていた「先生のオルガン」が思い出されました。
まさに原爆で亡くなった先生のオルガンを懐かしむ教え子たちのレクイエムだったのです。
シューベルトの「野ばら」が主題の様ですが、知る人ぞ知る市井の名曲を黒澤さんには使って欲しかったと勝手に口惜しんでいます。
黒澤明監督80才、吉岡秀隆20才、リチャード・ギア41才。祖母と孫たちの夏休みの数日間の出来事を淡々と描く。
BSテレビ東京で映画「八月の狂詩曲(ラプソディー)」を見た。
劇場公開日 1991年5月25日
黒澤明監督80才
吉岡秀隆20才
リチャード・ギア41才
吉岡秀隆ら孫4人は長崎に住む祖母の家に来ている。
祖父は長崎に落とされた原子爆弾で亡くなった。
リチャード・ギアは日系2世の米国人。
長崎に住む叔母に会いに来る。
孫たちは祖母が話す昔の話をいろいろと聞く。
祖母が少しボケているのではないかと気づく。
祖母の元に電報が届く。
数日後に会いに行こうとしていたハワイ在住の兄が亡くなったという。
祖母と孫たちの夏休みの数日間の出来事を淡々と描く。
作品に娯楽性は無い。
都会人にとっては日本の田舎の風景が癒しになるかもしれない。
上映時間は98分。
満足度は5点満点で2点☆☆です。
野ばらは戦争を許さない
残酷な映像はなくても、原爆は決して落としてはいけないということ、どうして原爆はだめなのかという理由が明確に伝わる、強いメッセージを持った作品です。
戦争のことなんて知らないし考えない私の日々に、原爆の恐ろしさと、当時の人々の深い悲しみを伝えてくださいました。
十代によくある反戦映画と思ったのも、年を経て感激する自分も、よくわ...
十代によくある反戦映画と思ったのも、年を経て感激する自分も、よくわかる。終盤は映画美そのもののカット連発。般若心経と薔薇、滝と訃報、そして雨。もはや問答無用に自分の中に踏み入ってくる。映画の美そのもの。
【お祖母さんと4人の孫が経験した”一夏の不思議”な出来事を美しい田園風景を背景に描く。人間愛と希望と平和のメッセージでもある作品。】
ー 今作で印象的なのは、長崎郊外の田園風景の美しさである。(これは、前作”夢”から引き続いていると感じた。) -
・ある日、お祖母さん(村瀬幸子)の下にエアメールが届く。
ハワイに住むお祖母さんの兄、錫二郎(で、大富豪)が、死に瀕してお祖母さんに会いたいという内容である。
・手紙を書いたのは、錫二郎の息子のクラーク(リチャード・ギア)。
だが、お祖母さんは、錫二郎という兄の記憶がない・・。
・孫たちの親たちは興奮して、ハワイへ行ってしまう。(ここら辺は唐突感を覚える・・)
そして、残された4人の孫たちは長崎の街から少し離れたお祖母さんの農家で夏休みを過ごす事になる。
(黒沢監督は邪念のある”大人”を退場させて、お祖母さんと孫の交流を描きたいのかな、と勝手に解釈。)
という設定のため、物語自体がファンタジーめいてくる。
・そして、お祖母さんと4人の孫は少しづつ話をする中で、原爆でお祖父ちゃんを亡くしたお祖母ちゃんの気持ちを理解していく・・。
・そこに突然、ハワイからクラークがやってくる。(私は彼を狂言回し的に観ていた。)
・クラークとお祖母さんは言葉は余り通じずとも、心が通い合っていく。
(月光の下、二人が手を取り合いながら、縁側に座る姿は忘れ難い程、美しい・・。)
・錫二郎の訃報が届き、ハワイに帰っていくクラーク。
お祖母さんは、徐々に哀しき過去を思い出す・・。
・そして、流れるシューベルトの”野ばら”・・。
<物語自体、ファンタジー要素を纏いながら、”人間愛と希望と平和のメッセージ”を発信する作品。
吉岡秀隆、大寶智子(”1999年の夏休み”は忘れ難い・・)を始めとした孫たちとお祖母さんの不思議な一夏の美しい田園風景が忘れ難い作品である。>
■追記
今作のパンフレットには、山田洋次監督の”フィルム窯変説”を始め、フェデリコ・フェリーニが黒沢明に宛てたメッセージが記載されている。
どちらも、必読の名文であると思う。
<1991年6月、劇場にて鑑賞 その後、DVDで、夏になると数度鑑賞。>
黒澤監督は日本人にしか撮れない映画を遺されました 日本人としてその責任を立派に果たされたのだと思います
疑いようのない傑作です
撮影時80歳の黒澤監督が、晩年だからこそ撮れた作品かも知れません
原爆の悲惨
それは日本人にとって永遠に忘れられない衝撃です
また忘れてはならないことでもあります
日本人がそれをテーマに映画を作ることは必然なことです
ユダヤ人監督はホロコーストをテーマにした映画を数多く撮っています
そして、その多くが映画史に残る傑作になっています
そのように、日本人もこのテーマに挑まなければならないはずです
日本人しか撮れないテーマなのです
しかしこのテーマの作品はそれ程多くないように思えます
何故でしょうか?
本作の登場人物のように遠慮しているのでしょうか?
勝手に忖度しているなら、本作の台詞のように恥ずかしいことだと思います
原爆投下から45年の年の物語です
45歳で死んだおじいちゃんが生きた年月と同じだけの歳月が過ぎた年の夏の物語
恩讐の彼方に日米の戦争の怨念は最早消えて、本作は戦後生まれの団塊世代のジュニア達の世代に代わろうとしているその時に、その子供達を主人公にして撮られているのです
彼らにどうこの悲惨な記憶を伝えていくのか
イデオロギーではなく
憎悪や怨念の伝承ではなく
核戦争のもたらす悲惨、そのことを伝える
本作はその明確な解答であると思います
そして21世紀の現代、本作から30年近い年月がさらに経ちました
本作に登場した子供達は親になり、さらにその子供達の時代となったのです
童は見たり
紅におう野中のばら
蟻の一筋の隊列のように子供から子供に命はつながって行きます
それぞれの幸せな人生を目指して紅いばらに登って行くのです
しかし、童がみたのはピカの目だったのです
雷鳴にピカが落ちたと錯乱する老婆
主人の安否を確かめに豪雨の中をひた走る姿
その時老婆の傘が跳ね上がってしまう
この演出の瞬間、号泣しました
黒澤監督の日本人として生きた80年の全人生か本作に反映されて、おばあちゃんのことばとして、行動として、佇まいとして語られているのです
黒澤監督は日本人にしか撮れない映画を遺されました
日本人としてその責任を立派に果たされたのだと思います
全く頭の下がることです
黒澤明監督の生誕110年の節目の日3月23日はもうすぐです
思ったほど悪くなかった(逆に良かった)
公開時から黒澤明の最低作品と大評判で辛くて観れませんでした。
実際観てみたら、何故なのかわからないが素直に反戦反核染み入った。多分ものすごく真っ正直に棒球ストレートで黒澤らしくない描き方が、なぜかツボに嵌った。
公開当時の悪評判は今初めて観て「俺もそう感じてはいる」のですがそれを突き破るこの馬鹿正直な演出にやられました。
黒澤流反戦・反核メッセージ
黒澤明後期の作品にしては珍しく2時間切っている。反核・反戦のメッセージが強烈に伝わる映画だけども、ずっと訴えてきたかったことの集大成になったんだろうなぁ。リチャード・ギア出演作の中では一番いいかも。
「野ばら」が全面に流れているけど、これがまた印象的。もちろん村瀬幸子おばあちゃんが台風の中彷徨うシーンにゾクゾクさせられるのだが・・・
森の中で吉岡秀隆が大寶智子に迫ってしまうシーンだとか、夏休みに久しぶりにあったであろういとこ同士。ノスタルジックな田舎の風景と長崎に落とされた原爆の傷痕が妙にマッチしていたりするのが素敵。滝の美しさと神秘的な森に心癒されたりもする。
今日は原子爆弾が落ちた日
この映画は戦争を伝えるメッセージとしては陳腐である。
新しい知見が得られるかというと疑問である。
思想的にはフラットな描写だと思うので、入門編で子供に見せたらどうか。
しかし、作品としての凄みは偏ってはいるが「はだしのゲン」の方に軍配が上がるだろうが。
原爆の傷跡は未だ残っていてそれでも我々日本人はアメリカ人の言いなりとして生きていかねばならない。それを戦前から生きている世代は苦々しく思うけれど、戦後生まれはアメリカ贔屓だったり、関心が無かったりする。そのギャップをおおよそ3世代に渡って対照的に描いている、しかも祖母の家に帰省するという形で上手に。
最初はアメリカ側家族からの純粋なオファーがくる。随分昔に生き別れたが、ハワイで成功した祖母の兄が余命幾ばくもない。死ぬ前に一目妹に会いたいのだという。当然、その兄以下は現地で作った家族なのでアメリカ人、兄自身も帰化している。
つまりはアメリカ側からの純粋な好意を持って始まる。
祖母は夫を原爆で無くしており、アメリカにいい感情は無いため、渋る。
子供達は戦争について知らず、旅行に行けるという無邪気にはしゃぐ。
その後、祖母の苦悩を知り、戦争の傷跡を知り、子供達の視点は変わる。
しかし子供達の親世代は、大成功した親戚がいると浮かれ始める。
純粋に子供達は大人の打算に疑問を呈し、その対照的な様が面白い。
過去は過去と祖母は次第に、生き別れの兄に会う決意を固めていく。
これが祖母とその兄が実際に兄弟であったという様々な証言を集めて行く過程で象徴されていると思う。
ここで大きな作品中の事件が起こる。祖母が「夫の命日が終わったら会いに行く」という手紙をハワイに送らせたことである。
打算的な親戚は、皆向こうの心情を害したのでは無いかと恐れ、あろうことか実際に手紙をしたため出した子供達を責める。その浅ましさに祖母は怒り、心を硬直させる。そんな中リチャードギア扮する、兄の息子に当たる人物が来日し、祖母の元へと会いにくる。真摯な態度で臨み、祖母の中のわだかまりは溶けて行く。
が、しかし悪いタイミングで訃報が届く。
兄の死だ。
祖母は大変後悔し、その日から認知症が進んでしまう。原爆の空模様の雨の日、勘違いして一人飛び出してしまう。
魅せ方などは上手いし分かりやすいと思ったが話のテーマにもう少し、ドラマとしての深みが欲しかった。素材というか戦争自体の重みにかまけてその辺の匙加減が薄いように思えるのは、好みの問題なのだろうか。
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